ついに優勝!

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ばんざ〜い!
「今田が初優勝 日本勢5年ぶり3人目 米男子ゴルフ」
http://sankei.jp.msn.com/sports/golf/080519/glf0805190800000-n1.htm

米男子ゴルフツアーのAT&Tクラシックは18日、米ジョージア州ダルースのTPCシュガーローフ(パー72)で最終ラウンドを行い、前日まで6位の今田竜二(いまだ・りゅうじ)(31)がケニー・ペリー(米国)とのプレーオフの末に同ツアー初優勝を果たした。
日本勢の米ツアー優勝は、1983年に初勝利を挙げた青木功、2001〜03年に1勝ずつマークした丸山茂樹に続き、5年ぶり3人目。今田の優勝は日本勢として5勝目となった。
優勝賞金は99万ドル(約1億300万円)で、来季のマスターズ・トーナメント出場資格を獲得した。
広島県出身の今田は1991年に14歳でゴルフ留学して以来、米国で腕を磨いてきた異色の経歴を持つ。下部ツアーで好成績を挙げて2005年から米ツアーへ本格参戦。昨年のこの大会でもプレーオフに進出、ことしもすでに2位に2度入るなど力をつけていた。(共同)

米国でのアマチュア時代は、タイガーと並ぶほどの実力者でしたから、いつかは、と期待してましたが、やっと勝ったか! うれしいのう、うれしいのう。
ちなみに、記事あるように14歳で渡米。要するに、日本のゴルフ界の世話になってないってことですな。JGAとかJGTO、涙目やなw。
さ、今田と石川、本当に賞賛する価値があるのはどっちかな?
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疑念、失笑、失笑

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まず、疑念から。
天災における生存率というのは、3日間を超えると、一気に下がるという話があります。新聞でもニュースでも、シナ大陸・四川地域での震災報道で盛んに伝えていますね。
その72時間を過ぎて、ようやくシナ共産党政府が日本からの国際緊急援助隊の受け入れを表明したと。
やっぱり、私は、シナ共産党政府は決して、「人民」のための政府ではない、すなわち、中華人民共和国という名前が看板倒れであると、疑ってしまいます。
つまり、早急に救助隊を受け入れて、例えばわずかな数だとしても、救助がなされたとします。世界各国の救助隊から見たら、ごく当たり前のことですが、シナ共産党政府から見ると、これは「人民の保護」という「手柄」を奪われたことになる。まして、それが日本の救助隊の「手柄」となったら、四川の人民の日本への感情が良くなるかも知れない。つまり、これはシナ共産党政府にとっては「悪化」を意味する。
だから、72時間経過してから「やっぱり、自分たちだけでは無理でした」というポーズを取って、受け入れを表明したのではないかと、私は疑ってしまうのです。
もし、そういう「意図」がないにしても、どちらにしてもこういう強権的な国家というのは、自国内に他国の公的組織の人間が、しかも緊急に入ってくることは望まないものなんでしょう。人物の「事前選定」ができませんからね。そういう国を「大人の国」だとか言って褒め称えてきた人、特に「知識人」という人種は、反省した方がいいと思いますよ。
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グリーンピース、鯨を食べる話。
グリーンピース、“鯨肉横領疑惑の証拠品”として運送会社倉庫から鯨肉を無断で持ち出し、食べる」from 「痛いニュース」さん
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1128171.html

「今回の調査の中で私たちも食べる行為をしなければならなかったので、食べました」

人のものを盗んで食いましたってどんな記者会見やねんw
ま、これが鯨かどうかを確認するため、というロジックではあろうと思うのだけれども、グリーンピースは鯨を食ってるってことなのね。確認するだけなら、他の方法あるんだけど。
っていうか、いつからこの団体は法の統制の管轄外に置かれたんだろうかね?
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キミはこのままでは、他人から尊敬を受ける選手にはなれないよ。
「ジャンボ、石川遼の話題に目を細め「いつでも勝つチャンスはある」」
http://www.golfdigest.co.jp/news/hotnews/2008/235_1.asp
よりによって、世界の舞台で日本のゴルフの恥をさらけ出し、かつ日本のゴルフを最悪にした張本人を師に仰ぐ必要はなかろうに。ジャンボの存在は、必ずしもゴルフの技量と、その人物が受ける敬意とは、全く関係がないということを示す実例であるということですよ。
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確かこの人、文科相だったような

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もう日本はダメかも知れないね。
「自民幹事長「年貢増やすのは当たり前」」
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20080513AT3S1300S13052008.html

自民党伊吹文明幹事長は13日午前の記者会見で、同党の中川秀直元幹事長が消費税などの増税に反対していることに関連して「(今の時代は)お殿様は国民だ。国民が使っているものに年貢が追いつかない場合は、国民が年貢をもう少し増やすのは当たり前のことだ」と述べ、税金を「年貢」と例えて反論した。

年貢ってのは、物納時代の税金なので、例えもへったくれもないと、私は思うのですが、それよりも、この文章の論理構造がわからないんです。
お殿様が国民。まあ、主権者ってことなんでしょうな。が、殿様は税金を徴収して、使う側ですよね。殿様が自分で使いたいもののために自腹を切るんなら、そりゃそれで結構なこと。要するに、国民が自腹を切るのは当然だろう、と言いたいんだと思うんですが。
ま、次の選挙で落選するんですな。
でもさ、少なくとも一人の国民である私は、これ以上、高速道路なんか不要だと考えているし、空港整備なんかも不要だと思っている。何が何でも東京、都会と同じようにすることが、地域格差の解消ではないと思ってますよ。また、シナ共産党政府からパンダを借りてくれとも思わないし、独裁国家を支援するようなカネなんか出すなと言いたい。
ま、この人は元大蔵省だっけ。要するに、役人が立法府議員の仮面をかぶってるだけですよ。考えてるのは、役人のことだけですな。こんなことしか考えられないヤツは、選挙で落とせ。それに限る。
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GW、満喫しております

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とはいっても、元々、出不精な人間で、人ごみと都会が大嫌い。4/29から5/6までの長期連休ですが、すでに遠出の用事は終了済み。4/29から5/2までは広島の両親がこちらに遊びに来ておりまして、今日からはカミサンの実家に世話になっている次第。カミサンの実家は、クルマで15分ですし、自営の仕事もされているので、泊まりにいくというわけでもありませんがね。
ま、テレビを見ていますと、どこも、人、人、人。あんな行列に並んだり、クルマで渋滞に巻き込まれるような趣味もありませんので、そんなところには行かない主義。
父とは年1回のゴルフをしたのですが、これも近所の琵琶湖大橋GCというところの早朝のハーフラウンドに出かけたので、朝5時発の8時帰宅。その後もしっかり遊んで充実の一日でした。しかし、琵琶湖大橋GC北コースは、平坦だし、コースも結構広くて、特にプレッシャーを感じるわけでもないのですが、不思議なもので、なぜかパーが取れない。結局、ハーフ46でした。まあ、距離は3,300Yくらいあるから、そこそこある方だとは思うんですがね。最近、どこのコースもベントのグリーンだらけになって、コーライのグリーンが減っている中、琵琶湖大橋GCはコーライなので、それが難しいと言えば難しいのもありますけどね。こうして悩ましいのが、またゴルフ。止められないねぇw
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暫定税率が復活の話。官房長官氏が「すぐには上がらない」みたいなことを言ってましたが、値下げになったときのことを考えたら、すぐに上がって当然ですよ。これがわからないという感覚が、とにかくダメなんですよ。まあ、マスコミも家計の話を中心にしがちですが、ガソリンってのは、要するに運送費に跳ね返る。
要するに、これは一種の「関所」なんですよ。高速道路の料金と同じ。だから、私は以前から、高速道路の料金は、基本的に緑ナンバーは無料にすべきと主張してる。今日日、何で関所なんだよと。だけど、そもそも高速道路は国内流通の基礎インフラのはずだから、それを妨げないように、白ナンバーは料金2倍。で、ガソリン税はどうなんだというと、そんなの当たり前ですが、暫定を何年やるつもりなんだと。道路は作ったら、保守維持が必要でしょ。作った分、またカネがかかるんでしょ。カネがかかる仕組を作りたいのは、役人じゃないですか。税金の流れ道を維持しておけば、それだけ役人の仕事があるってことでしょ。役人の仕事の分、税金がかかるんですよ。だから、役人にこれ以上、カネを渡さないための仕組に変えなくちゃならない。その点では、自民党は完全に役人に加担してるわけだし、東国原筆頭に、全国の知事諸兄は、すべて役人に魂を売ったか、あるいは首根っこをつかまれてるかどっちかですな。
それにしても、あの郵政民営化を問うた衆院では、あれだけの造反者を出した自民党が、今回は一人の造反者も出さないなんてのは、すごいよね。要するに、これが「官僚内閣制」の実態なんでしょうな。
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最後にゴルフの話をもう一つ。いい加減、周囲の大人がしっかりしないと、どうしようもないことになるんじゃないかと心配しています。
石川遼の話。
予選落ちした技術面は後で書きますが、それより先に、同伴者を失格させた件。
もちろん、失格となったジャンボが、ろくにスコアの確認をしなかったことも問題ですが、そもそも、それを間違う、というのがね。ジャンボもプロ失格ですが、石川もプロ失格。そもそも、ゴルフって競技は、審判がいないんだから、自分たちで自分たちのスコアを申告するという行為に、細心の注意を払う義務がある。それを疎かにするというのは、一体どういうことなんですかね。ここは、石川遼よりも、お父さんに問いたい。オタクの息子さんは、ゴルフの精神を全く理解できてないじゃないですかと。確かに、去年だけで日本ツアーで9件も発生してる事例ですがね、それはあくまで日本ツアーの恥を示しているだけですよ。
で、もう一つは、未遂には終わりましたが、またバックスイングで木の枝を折りそうになった件とも繋がりますが、彼の言う「攻めのゴルフ」とやら。
だいたい、ゴルフに「攻め」も「守り」もあるものか。2日目の何番ホールだったか、セカンドショットでドライバーを使ってましたな。ニュース見て思いましたよ、また借り物競争かと。タイガー、ビジェガス、そして今度は横峯さくら。ホント、見てて苦笑の連続ですわ。んで、僕のゴルフはピンをデッドに狙ってバーディを取るんです、か。そういう言葉は、もっと技術を身につけてから言いなさい。
まあ、素人目に見ても、まるでプロレベルの実力ではありませんよ。特にショートゲームが致命的に下手ですよ。距離感がまるでないんだもの。だから、Par5では二つで乗せなくちゃバーディの目がないわけ。で、パターも致命的に下手だから、ピンをデッドに狙って、近くに寄らないとバーディが取れないんですよ。で、こういうゴルフを、決して、攻めのゴルフとは言わない。下手のゴルフって言います。
ま、すでに年間15億の男ですか。彼にきちんとモノ言える人が周囲にいますかね。それがすごく気になります。彼の将来を真剣に考えている人がどれだけいるのかなって思います。
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あるがまま、こそゴルフの楽しみ

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ゴルフをする楽しみって何なんでしょうね。拙日記は、名前の通り、元々は一介のゴルフ狂が練習日誌の代わりに書き始めたものでした。それがいつの間にか、周りに影響されて時事問題を論じたりして、一体何が何だかわからないような日記になっている始末です。ですので、たまにはゴルフのことを真剣に書いてみようと思います。
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ゴルフをしない人から見ると、ゴルフはとても奇怪なスポーツに見えると思います。耳かきの化け物のような器具を使って、石ころを遠くにぶっ飛ばす。そして、最後には穴ぼこに転がして入れる。何が面白いんだ、と言われると、正直、困るんです。何が面白いかわからないから面白い。コンニャク問答みたいな答えしか、今のところ、私には出せません。
若い頃、まあ、今でも今年でやっと35歳ですから、まだまだ若いつもりでいるんですが、まあ、ついこの間って言っておきましょうかね、それまではいわゆる「スコアの亡者」だったことは確かです。それを、アスリートゴルファーなどと、かっこよく言い換えてはいましたが、要するにスコアが出りゃいい、という立場でした。
もちろん、スコアってのは大事です。これは、ある意味では人様に迷惑をかけないための基準になります。私が小さい頃までは、4人1組でエントリしようと思っても、ハンデの合計が100以下じゃないとラウンドできなかったようです。一人あたりハンデ25だから、まあ100程度で回れたら、コースに出れる一人前。だから、今でもまともなコースのクラブハウスにかかってるメンバーボードのハンディキャップは36までしかない。つまり、108以上叩く人は、コースに出ちゃいけないんだってことです。
しかし、それ以下でラウンドできたら、今度はスコアだけじゃなく、振る舞いが大事になってくるわけです。今まで、確かに気を遣っては来たつもりですが、四捨五入したら40歳にもなる身。もっと正しく振舞えるようになりたいな、と最近は思ってきたわけです。
そのキッカケは、拙日記でも何度か紹介していますが、2000年に亡くなられたゴルフの名コラムニスト、夏坂健氏の著作を読んだことでした。これで、私のゴルフ観はガラッと変わった。なるほどな、スコア以上に大事なものがあるんだな、ということです。
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ちょっと話がそれますが、私は学生だった頃にすでにゴルフ狂の道を歩き始めていたわけですが、その頃、ゴルフ関連の某掲示板(2ちゃんねるじゃないです)にいろいろ知ったかぶりで書き込みをしていました。たまたま、そこで意気投合した人がいて、その方がまあ、新しい理論だか法則だったかを考えて、ご商売を始められた。当初はね、すごいな、と思っていたんですよ。実際、その情熱はすごいなと思うし、まあ、ゴルフにもいろんな考え方はあるんだと思う。
ところが、結局、その方からサンプルとしていただいた著作(本じゃないんだけど)からも遠ざかってしまった。彼のモノだけじゃない。これだ!と思って、数多のレッスン書も買ったんですが、やっぱり読まなくなる。曲がりになりにも大学に9年もいて、教授という方々に教えを乞うて来た、いわば「教わりのプロ」ですよ、私は。だけど、ゴルフでは、どうもこの「教わる」というのが、身に付かないんですね。
で、思った。ゴルフって上手く行かないから面白いんだと。だから、自分で考えた方が面白いじゃないかと。別に、競技アマでもない、ましてやプロでもない身分です。ダッファーだと、まあ飲み会やコンペの席では、ゴルフが上手いと多少良いことはありますが、すでに妻帯者となった手前、ゴルフをダシに女の子を口説くわけにもいかないし、ましてゴルフが上手けりゃ仕事で評価されるわけでもありません。それなら、一種のライフワークだと思って、とにかくゴルフの謎を自分で解いてみよう。特に、夏坂健氏の著作を読んでそう思ったわけです。
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それが先日、しばらく連絡を取っていなかった、「その方」から急にメールが届いたわけです。要するに、ゴルフの法則がわかったから、ぜひ、伝授したい。また、協力してくれと。
でも、私はゴルフは人に習うもんじゃない、と思ってしまってるわけで、結構ですよ、アナタに協力できるようなことはありませんから、お断りしますよ、と。まあ、あまりに熱心すぎて、ちょっと辟易したんで、「悪徳商法みたいですね」と言ったのは、余計な一言だったと反省してます。そしたら、その方も実はブログをお持ちでして、そこにこんなコメントを書いておられた。
「理解しようとする‘真っ白な気持ち’をもっていないと上達の障害になる。」

古い格言、名言に心を奪われそれを糧に練習に励んでいるらしい。理学博士なのに物理学の論理から説明してもいっさい耳をかさなくなった。
このような名言は、本当のスイング(=ボディーターン)を習得した人間だから発言できる物事であって、手打ちのスイングしか知らないゴルファーが聞いても言葉の表面だけを理解するだけになってしまう。
格言をコーチにすることの無意味さを理解してほしい。

(URLは提示しません。本文検索でぐぐれば出てくるかも知れません)
改行は、引用者が適当に変更いたしました。ちなみに、私は工学博士で、理学博士ではないので、もしかしたら、違う人物かも知れませんが、まあ、多分、私のことだろうと思うのです。
正直言えば、メールで頂いた「物理学の論理」ってのが、全然違っていた(少なくとも私が、学校で習った話とは違うように思えた)のもあるんですが。
私は、この方への返答のメールで、夏坂健氏の著作を読むと、面白いことがたくさん書いてある。ゴルフの真髄ってのは、スコアやスイングにあるんじゃないんだな、っていう意味のことが伝えたくて、過去のいわゆるゴルフの賢人の言葉をご紹介したんです。ところが、この方は私が過去の偉人たちの言葉を拠り所にスコアを上げようとしている、とご解釈されている。
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でもね、私はそういうことでもないんです。結局、ゴルフの一番の楽しみってのは、自分で考えて、自分で球を打って、またその結果を考えることなんですよ。幸い、ゴルフというスポーツは、別に他人と競う必要がない。競いたい人はプロでもアマでも競技に出場すればいいけど、競いたくない人は競わなくていい。ただただ、自分と向き合うために球を打つ。そういうゴルフがあっても、私はいいと思うし、私はそれが面白いと思うんですね。
養老孟司先生は、文武両道、という言葉をよく使っておられる。勉強もスポーツも、という世間一般の意味じゃない。文は、脳への入力、武は脳からの指令による出力としての動作。動作の結果が、また文となって脳に入力され、脳がぐるぐる回して、次の武への指令を出す。これが大事なんだろ、っていうのが養老先生の言ってることだと、私は解釈している。となると、ゴルフでまず、風向きだのライだの、ラインだのの情報を入れるところが、文ですよ。で、脳でいろいろ考えて、決断して、スイングして球を打つ。これが武になる。んで、武の結果、新しい状況に球が置かれ、新しい文、入力が発生する。ここに、他人の脳が介在しないんですよ。他人の脳が介在しない、文武の世界って、赤ん坊の世界と同じなんでしょ。だから、ゴルフって面白いんじゃないですかね。ある意味じゃ、赤ん坊のように、自分で起こしたことが自分の周りのすべてのことになる。だからこそ、大人がそこに「帰ってくる」んでしょ、きっと。
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それゆえに、ゴルフではマナーとして、「自分が来たときよりもきれいにしてコースを立ち去れ」という言葉があるんだと思うのですよ。これは、ピーター・ヘイというR&Aのキャプテンを務めた人の言葉。自然は、脳の仕業じゃない。でも、コースに残された爪あと、ディボット跡とかボールマークとか、未ならしのバンカーなんかは、人間の脳の仕業の結果でしょ。それを残さないことは、ゴルフの本質が、赤ん坊の「文武両道」という、人間の行動原理の根本にあるからなんだと思うのです。
そう考えると、軽々に他人に対して、レッスンってできない。実際、1900年代初頭の名選手にはレッスン書なんかなかったわけですし、今でもアイルランドではレッスン書は売れないそうです。アメリカでも、ハーヴィー・ペニック翁の「リトル・レッド・ブック」が100万部売れて、これがレッスン書では最高なんだそうですよ。欧米では、レッスン書はあまり売れなくて、どっちかというと、ゴルフのエスプリ、歴史に関する書物が売れるんだって。ところが、日本ではレッスン書じゃないと売れない。ある意味じゃ、勤勉な国民性を現しているんだろうけど、裏返すとスコア至上主義なんでしょうね。スイング論なんて、スコア至上主義の極みだもの。
レッスンなんて、グリップだけ教えて、あとはタイガーのスイングを何回でも見てくれ、というくらい。スライスに悩んでる人には、フックグリップを薦めたり、クローズスタンスを薦めたりして、とりあえずスライスを防ぐ方法は教えるけど、ものにするかどうかは、本人の努力次第だと、私は思ってます。
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で、実に長くなったんだけど、冒頭の言葉なんです。
ゴルフには、「Play the ball, as it lies」「あるがままにプレーせよ」というのが、原則とされます。で、英文を忠実に訳しちゃうと「置かれたライのまま、ボールをプレーしろ」になるんだけど、一般的な和訳である「あるがままにプレーせよ」というのが、私は好き。
この「あるがまま」ってのは、ボールのライだけじゃなくて、自分自身のことを含めてなんですよ。自分自身は、変化していくものです。ゴルフを10年ぶりに再会した25歳の頃と、それから10年経った35歳の自分。25歳のときは、体重はまだ60kg台だったのが、今じゃ腹囲がメタボゾーンすれすれです。当時は、真っ黒だった髪の毛に、かなり白いものが混じるようになりました。もちろん、筋力にも感受性にも変化はある。その変化すら許容しつつ、あるがままにプレーしていく。若い頃のように、あのときの理想のように、理論や法則が示す理想のように。そういうのは、あるがままじゃないわけです。若い頃とは違う、理想ではない自分を手なずけて、理論や法則だけではカバーできない部分を、自分なりに何とかやりくりしていく。これが、あるがままにプレーする、ということだと、最近になって思うようになりました。
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今の私にとっての「あるがまま」とは、「自分の脳の指令を上手くこなせない体を持った自分」です。この自分が、またたまらなく苛立たしくもあり、またたまらなく愛おしいというか、面白い。だから、ゴルフって止められないんですよ。まあ、別のスポーツだって同じだと思いますけど、ことゴルフって偏執的なところがありますよね。それを私なりに説明しようと思うと、まあ、こういうことなのかなって思います。
で、スコアの亡者ではない、とか言いながら、練習中やプレー日の前夜では、70台はおろか60台でラウンドすることを夢見たりするんですよね。そういう自分がまた面白いんだな、これが。
矛盾に満ちたゲームだからこそ、面白い。本質がわかった、と何回も思えるスポーツなんか、他にありませんからね。その楽しみを奪われるなんて、私は真っ平。だから、今日もシコシコ球を打ち、今日も夜な夜な考えるのです。
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一応、褒めておくか

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男子ツアー開幕戦、最終日に宮本勝昌が逆転で優勝ですか。まあ、簡単に石川に勝たれなくて良かったと思います。特に、宮本は石川が優勝したとき、最後2mを外して2位に甘んじた張本人だからね。
昨日、書店でゴルフ雑誌を流し読みしてみましたが、石川を絶賛する記事ばかりで、叱責する記事は一つもありませんでした。ま、そんなもんだな、日本のゴルフマスコミってところも。来週くらい、パーゴルフで沼沢聖一氏が多少、骨のあるところを書いてくれるかどうかってところかと。GDなら鈴木康之氏と高松志門氏くらいかな。
ホント、骨のある大人が、きちんとツアーの連中にゴルフの精神を叩き込まないと、日本のゴルフは終わってしまいますよ。
ゴルフの世界には、こんな言葉がある。
スコットランド人がゴルフを始め、イギリス人がゴルフを世界に広げた。そして、アメリカ人がゴルフを劣化させ、日本人が最悪のモノにした」
これは、プロの世界でも同じだと、痛感する今日この頃です。
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だから、本村さんに敬意を表します

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私なら、本村さんのように振舞えただろうか、と思います。生きていく気力を維持できるのかどうか、私には全く自信がない。
昨夜、ニュースで本村さんの会見を見たのですが、今後どのように?という質問に対する、彼の以下の言葉が、とても印象的でした。
「私は会社員ですから、労働をし、納税して、日本国民として恥じないように生きてゆきたい」
人間の誇り、尊厳というものを実感しました。
しかし、マスコミというのは、何故にあんなに無残な質問をするのでしょうかね。死刑に対するハードルが下がったんじゃないか?と聞いていた記者もいたそうですし、さらには奥様とお子さんにかけた言葉を教えて下さい、なんて普通聞けないでしょ。そこにさらに腹立たしさが残りました。
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ついでに言うと、今朝の朝日の社説がひどい。
「母子殺害死刑―あなたが裁判員だったら」
http://www.asahi.com/paper/editorial20080423.html#syasetu1
最後の一文は、別に裁判員制度導入云々を抜きにして、常に考えるべき内容です。

自分なら、この事件をどう裁いただろうか。それを冷静に考えてみたい。

ここには異論はない。だけど、ここはどうなんだろうか。

見逃せないのは、被告や弁護団を一方的に非難するテレビ番組が相次いだことだ。最高裁の審理の途中で弁護団が代わり、殺意や強姦目的だったことを否定したのがきっかけだった。こんな裁判の仕組みを軽視した番組づくりは、今回限りにしてもらいたい。

私は、これでいいと思う。そもそも、言論の自由を標榜している国家である時点で、放送という表現の展開手段に対し「中立」を求めることが間違っているんです。ここでも、いかにも朝日新聞は中立を保っているかのような振る舞いをしていることが、欺瞞だと私は断じます。
さらに、この文章では「殺意や強姦目的だったことを否定した」ことへの非難だとしてますが、そうじゃない。その「否定」のために持ち出したエセの「物語」の内容が、あまりに被害者、そして今後被害者になる可能性のある多くの国民の反感を買ったということですよ。こんな事実を捻じ曲げた社説づくりは、今回限りにしてもらいたい。
朝日新聞は、どちらかというと加害者側の人権擁護に立った論理を展開していることが多いと思います。これは、言い換えると、自分も何かの拍子に加害者になる可能性がある、ということを考えているということです。これは確率ゼロの話じゃないから、こういう立場からモノを考えることは間違っていない。しかし、国民の大多数は、自分も何かの拍子に被害者になる可能性がある、という立場からモノを考えている、ということです。少なくとも、私は後者です。
朝日新聞や人権擁護派の方々には、ここはしっかり認識しておいてもらいたいと思います。 ****
とはいえ、死刑の賛否については、この問題とは別に議論していい。私は、死刑賛成派です。やはり、死刑があることによる抑止効果は大きいと考えます。もちろん、死刑を存続させることで、逆に死刑に値しないような犯罪が増えるということもあるかも知れません。そのあたりは、短期間で答えが出るわけではない。世界の例、歴史の中から得られたデータもあるでしょう。それをしっかり吟味すべきです。単純な感情論だけではない。
一つ考えなければならないのは、死刑があるということは、死刑を執行する役目の人がいる、ということです。自分がその役目に当たる、ということを考えると、私も心が揺らぐ部分がある。
この問題は、社会が存在する限り、離れない問題の一つです。正解はないと思います。だから、その時々で考えていくしかありません。そういう意味では、裁判員制度の導入は、みんなが考えるよいきっかけだと私は考えています。
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