思想とは何なんだ?

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ある意味では、昨日の日記の続きのようなものである。
昨日のお題にしたのは、ある教師が「思想・良心の自由」を奪われた、と主張したことについてである。では、こういう事件や問題で使われる「思想」とは何か、ということが少し気になっている。
思想という言葉を「大辞林 第二版」で引いてみると、次のようにある。

(1)人がもつ、生きる世界や生き方についての、まとまりのある見解。多く、社会的・政治的な性格をもつものをいう。
(2)〔哲〕〔thought〕単なる直観の内容に論理的な反省を施して得られた、まとまった体系的な思考内容。
(3)考えること。考えつくこと。
「道上に於て、―することあれば、これを記録せり/西国立志編(正直)」

実は、3つも意味がある。一体、日本国憲法第19条で述べられている「思想および良心の自由は、これを侵してはならない」という文での「思想」は、上の3つの意味のどれに相当するのだろうか。
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そんな、また下らないことを考えて。しかし、拙日記は下らないことを、さもマジメに考えているように見せる日記である。だから、考えないわけにはいかない。そもそも、私が気になったのだから仕方がない。ともかく、このどれに相当するかで、実は意味が変わってくる。
恐らく、ほとんどの人は、第19条の「思想」は、(3)だと考えているであろうと思う。モノを考えることは自由である。これに合わせて、憲法では表現の自由も保障されている。つまり、考えたことを表現することは、別に自由である。ということである。ただ、その自由によって表現したことは、何らかの社会的な責任を負わされる、ということである。
私が愚考するに、あの教師とその仲間の定義する、憲法に書かれた「思想」とは、(1)のことであろうと思う。(2)のわけはない。何故なら、彼らの持つ「思想」が「論理的な反省を施して得られた、まとまった体系的な思考内容」ではないことは、昨日、私が説明したとおりである。その説明でわからなければ、自分で考えて下さい。
(1)の「社会的・政治的」というところがポイントであろうと思う。(3)よりも一段上のことを考えているように、本人たちが錯覚しているのである。普通の人たちが持つ、社会・政治的な性格をあまり持たない「思想」を、彼ら自身が排除していることに、彼らは気が付いていないのである。
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普通の人々は、日の丸や君が代に社会的・政治的な性格を見出していない。つまり、社会的・政治的な性格ではなく、あくまで日本の「象徴」であると見なしている。やっかいなのは、憲法天皇陛下が日本の「象徴」となっているから、日の丸=君が代天皇陛下と、彼ら(あの教師と仲間)の頭の中ではなるのである。ところが、当の日本人の多くは、日の丸=日本の国旗、君が代=日本の国歌、天皇陛下国家元首、と思っている。日の丸≠君が代天皇陛下となっている。つまり、これも「思想」である。今、勝手に私は「日本人の多く」と言った。だから訂正しよう。私の「思想」では、「日の丸≠君が代天皇陛下」である。それぞれ実体が別である。しかも、そのいずれに対しても、社会的・政治的な性格を見出していない。そういう「思想」を持っている。だから、公立学校の式典においては、掲揚・斉唱すべきであると思う。そういう「思想」である。もちろん、こういう思想を持つことによる社会的な責任は負う。ただ、今のところ、この思想によって、大きな社会的な負担・責任は負わされていない。恐らく、同じような思想を持つ人が多く、社会的責任を分担する分母が大きいのであろう。だから、個人の負担は少ない。その反面、あの教師と仲間は、実は数が少ない。だから、こういう思想を持つことによる社会的な責任の個人負担分は、分母が少ない故に大きくなる。それは弾圧でも何でもない。弾圧というのは、そういう思想を持つことで、日本国民が本来享受すべき行政的なサービスを受けられない場合を言う。例えば、右翼的なテロリズムに遭えば、本来、そういうテロリズムを未然に防ぐべき行政の怠慢ではあるとして、糾弾することは可能であるし、私も支持する。また、こういう思想を持ったことで、日本国籍を排除され、国外追放などにあったり、あるいは刑事罰を受けることを指す。ただし、こういう思想を持ったことで、周囲の人から「日本国籍を返上すればいいのに」と言われるのは仕方がない。何故なら、周囲の人はそういう思想を持っているからである。
しかし、そういう周囲の人の思想には「危険思想」(私もかつてある人に言われましたなぁ)とレッテルを貼り、そういう思想の存在を否定することは、割り合い平気である。これも、日本国憲法に書かれた「思想」は、「社会的・政治的な性格」を持ったものであり、彼らから見て「土俗的な性格」のものは思想ではない、という「偏見」「蔑視」から来ているということである。
この観点から見れば、実は一昨日の最高裁判決は、憲法第19条に書かれた「思想」とは(3)のことですよ、という意味になる。私は、そう判断する。そういう意味で、私は一昨日の最高裁判決は、重大な意味がある、と判断する。決して、左巻きのアカ教師の敗北に意味があるのではない。
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