朝日も大江健三郎も拉致指導者ってか

いつも巡回させて頂いているこちらより。
「【仮名で自らblogを開設することすらできない臆病系commentatorが集う卑怯系blog】mumurブログ」(長いw)より。
報道ステーション 「帰国事業は拉致」」
http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/22404152.html

先ほどの報道ステーションで「帰国事業は拉致。日本人拉致の何十倍も問題である」と発言があった模様。
自分は見てないので詳しくはわかりません。
見た方いらっしゃいましたら、情報をお願いします。

もちろん、私も見てなかったんですけどね。コメント欄を見ると事実のようです。
テレ朝、親会社を爆撃する気かw?
井沢元彦氏の著作「逆説のニッポン歴史観」に、朝日新聞がこの「拉致」に積極的に加担していたことが明らかにされています。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/409389373X/qid=1116485531/sr=8-3/ref=sr_8_xs_ap_i3_xgl14/249-6426863-6177947
そういえば、大江健三郎もこんなこと言って「拉致」に積極的だったよなあ。
「国際派日本人養成講座 Media Watch: Intellectual Honesty(知的誠実さ)」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h9/jog008.htm

まず Dishonesty の例は、ノーベル文学賞に輝いた大江健三郎氏である。

結婚式をあげて深夜に戻つてきた、そしてテレビ装置をなにげなく気にとめた、スウィッチをいれる、画像があらわれる。そして三十分後、ぼくは新婦をほうっておいて、感動のあまりに涙を流していた。それは東山千栄子氏の主演する北鮮送還のものがたりだった、ある日ふいに老いた美しい朝鮮の婦人が白い朝鮮服にみをかためてしまう、そして息子の家族に自分だけ朝鮮にかえることを申し出る……。
このときぼくは、ああ、なんと酷い話だ、と思ったり、自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、というようなとりとめないことを考えるうちに感情の平衡をうしなったのであった

現在の北朝鮮の飢餓地獄しか知らない若い人々には、「自分には帰るべき朝鮮がない」と嘆く大江氏の感慨は、想像を絶しているだろう。しかし共産主義を理想とする人々の間では、北朝鮮がさかんに「地上の楽園」として宣伝されていた時期があったのである。

で、思い立ってWikipediaで「大江健三郎」を表示したら、結構面白いことになってますよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E5%A4%A7%E6%B1%9F%E5%81%A5%E4%B8%89%E9%83%8E#.E3.80.8C.E5.9B.BD.E6.B0.91.E6.A0.84.E8.AA.89.E8.B3.9E.E3.80.8D.E3.81.AF.E9.96.93.E9.81.95.E3.81.84

先にこちらにお答えしておきます。

さて、foursueさんの日記の中で、一つ気になるところがありました。
「■ 俺が見渡す限りにおいての靖国問題
http://d.hatena.ne.jp/foursue/20050519#p2

靖国問題って国内問題じゃないと思います。国際問題です。

そもそも国際問題になることじゃないと思います。ましてや国内問題でもない。で、根本的にどういうことかというと、こういうことなんです。
まず、日本を始め、民主国家というのは、それぞれに信教の自由が認められています。ですから、その宗教心の表現は各個人の自由。無論、公共の福祉に反しない範囲のことですが。
さて、靖国神社の存在は、果たして公共の福祉に反しているのか。靖国神社があることで、迷惑している人はいるのだろうかと。少なくとも、私には迷惑だとは感じられない。靖国神社が反社会的な行動を扇動しているという話も聞いたことはありませんし、街宣右翼連中が靖国神社と密に関係しているという話も聞いたことがない。靖国神社が、折伏のような強引な布教活動をしているとも聞いたことがない。私にとっては、頼まれもしないのに勝手に郵便受けに機関紙や宣伝紙を放り込む、法華宗系宗教団体(公明党創価学会のことではありません。法華宗系宗教団体はたくさんあります)の方がよっぽど迷惑です。
で、ここに熱心にキリスト教を信仰する方がおられるとします。その方が、政治家を志し、国政選挙に出た。もちろん、クリスチャンであることを公表してのことです。そして、見事当選して国会議員になった。さらには、国会で内閣総理大臣に指名されました。そして、この首相は、毎週日曜日には、首相官邸近在の教会までミサを受けるために出かけると。
この首相がミサに行く行動について、もしかすると中東やイスラエルの人は怒るかも知れない。イスラムユダヤ教は、イエスを神として認めないわけですよ。邪教を信仰するようなヤツが日本国首相であることは許せない。下手したら中東諸国は、石油を日本に売らんぞ、と言ってくるかも知れません。なら、首相にミサに行くのをやめさせなくちゃならん。国民の生活がかかってるんだから、ミサに行くのを止めろと。
こんなおかしな話、あり得ませんよね? あり得なさ過ぎです。今どき、こんなことを本気で言うのは、アルカイダとかの原理主義者くらいじゃないかと思います。国際問題になりようがありませんよね。
しかし、上の文章でキリスト教を「靖国信仰」に、教会を「靖国神社」に、そして「毎週日曜日のミサ」を「毎年8月15日に参拝」に置き換えると、これは国際問題になる。
シナと日本はお互い戦争をし合った仲。
イスラムキリスト教は、千年以上抗争を続けて来た仲。
ユダヤキリスト教は、キリストを十字架に磔にしたのがユダヤ人という仲。
他にも書き出せばキリがないくらい、イスラム・キリスト・ユダヤの三宗教の関係は複雑で、よっぽど国際問題化しそうなものです。また、キリスト教内やイスラム教内でも、また関係はもっと複雑ですね。でも、少なくとも政治レベルでは、お互いの宗教を認めている。
これはね、靖国信仰に対する差別意識から来ているんです。で、靖国信仰に対する差別の根本的な要因は、日本人の穢れ意識にあるんです。日本人は、軍事というものに非常に忌避感というか嫌悪感を持っている。軍事というのは卑賤の職業だと思っているところがあるんです。血に汚れた、という表現を使うのも、血が汚らわしいものだと思っているからです。軍事に関わった人間を神として祀るなんて汚らわしい、という意識が根底にあるからこそ、上のように「キリスト教は良いけど、靖国神社はダメ」ということになってしまう。
で、こういう「靖国はダメ」論者は、自らの差別意識を巧妙に隠している。そこが非常に汚い。その抜け道が「靖国の国際問題化(と言っても、日支・日鮮間だけだけど)」なんです。いや、朝日シンパの進歩的文化人たちは、シナや南朝鮮と結託して、そういう日本人独特の「軍事従事者差別意識」を利用しているとも言えます。
ですが、こうした進歩的文化人連中が国際問題化しても、これに同調しているのは、シナと南朝鮮だけなんです。つまり、他の国は「他人の信仰に口出ししない。これが国際社会の常識」ということがわかっているからなんです。なぜ、シナや南朝鮮が、日本の進歩的文化人に同調するかというと「国際社会の常識を守ることよりも、敗戦国である日本が自分たちよりも国際的に高い地位にあることを憎む気持ちの方が強い」としか私には思えない。
結局、首相に靖国参拝をさせないためには、民主主義国家である日本では、国政選挙を通じて、靖国信仰を持つ人間を首相に指名させないことしかないし、それがあるべき姿なんです。靖国参拝を徹底的に糾弾すればよろしい。あとは国民が判断する。それが民主国家のあり方です。だから、私は当然のこととして、首相に靖国参拝を義務付けるなんてことも、断固反対です。個々人がそれぞれに判断しろ、ということ。