お騒がせしております → ちと修正・追記しました。

えっと、samokuさんのご意見、当方しごく納得できるところです。ありがとうございました。国旗・国歌法について事実誤認しておりました。なるほど、法律で義務化されているわけじゃないのですね。都教委としての職務命令なんですね。これは私が間違っておりました。申し訳ありません。当然、高橋さんには職務命令は適用されないわけです。これも納得できました。発言された場所については、私は非常に違和感を感じますが、発言する権利はある。納得しました。
高橋さんがPTA会長を辞任する経緯については、私は記事を読む限り、高橋さんへの反対が上回ったため、と認識しております。同じ記事を読んで、他の役員に校長・教頭・地区評議員から圧力がかかったのだ、と認識される方もおられるようです。これも否定しません。そう感じながら読め、という記事の作りにはなっております。実際に、PTA役員の方々にそうした方から、本来、高橋さんを支持していた人が強引に不支持に回るように圧力がかけられたのであれば、そのように書くべきだと思います。しかし、そのようには書かず、いかにも圧力がかけられたかのような印象を与える記事内容になっている。もし、実際はPTA役員の方々が高橋さんの発言に初めから不支持であって、最終結論もそうなった、ということであっても、朝日新聞としては「文面には圧力がかかったなんて一言も書いてないだろう」と開き直ることができる記事内容になっています。事実はどちらなのか。
私としては、内心の自由とは「心の中であっかんべー」できる権利だと思ってます。ルールに従いながらも、「アホか、やってられるか」と思う自由だと考えています。この「アホか」と思う仲間が広がれば、ルールを変えることができる。特に都道府県の教育委員会の方針が間違っている、ということであれば、地方議会において方針が間違っているので転換せよ、と決議すればいいのです。教育委員会の方針を間違いだと思う人が多ければ、方針は転換されるでしょうし、間違っていないと思う人が多ければ、方針は維持されるでしょう。
政府をはじめとする公的機関は決して「お上」じゃない。自分たちでおかしいな、と思うことがあれば、おかしいと思う仲間を集めて、ルールを変えていく。それが民主主義。少数意見でも正しいことはたくさんあります。それをみんなに訴えて、より多数の人に受け入れてもらう。そうすると多数の意見となり、ルールを変えられる力を持ちます。面倒かも知れませんが、それしかない。市民・国民というのはなかなか楽な商売じゃありませんね。