終戦記念日雑感

戦争で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
終戦記念日の風物詩となった「靖国神社閣僚参拝報道」。閣僚が参拝することが風物詩なのではなくて、それを報道することが風物詩なんですよ。そろそろ俳句の季語になるんじゃないかって思うくらいです。で、おかしいのは、参拝した政治家に向かって記者が「今日はどういうお立場で」とか聞いてますやん。公人か私人かってヤツ。そんなこと聞いてどうするんだって思う。公職にあるものが神社に参拝することを禁じていないのは、憲法に書かれている「政教分離の原則」と「信教の自由」が保障するところです。
で、ネットで各紙の社説を読んだのだけれど、朝日の社説は、ちょっと賢い中学1年生が、平和教育の一環としてアニメ映画を見た後に書いた感想文みたいでした。とてもじゃないが、大人が書いた社説とは思えなかった。ツッコミどころについては、こちら。
http://aki1968.cocolog-nifty.com/news_from_japan/2004/08/post_17.html
で、反日国家・中国が案の定、文句を言ってきてましたね。中国のいう「一部」の反日分子と中国政府は同じ行動を取ります。非民主国家ここに極まれり。
人間誰しも、戦争はしたくない。しかし、戦争というのは、相手があって初めて成立するものです。相手がある、ということは、こちらから仕掛けなくとも、相手から仕掛けられる戦争もある、ということです。こちらから仕掛ける必要や理由は、今のところ、日本にはない。しかし、中国や北朝鮮から戦争を仕掛けられる可能性はゼロじゃないでしょう。特に北朝鮮は、日本国民を拉致したり、日本領を通過するようなミサイルを打ったりしている。実際、北朝鮮は「日本やアメリカに対する戦争は終わってない」と、自国民に教育しているのだから、北朝鮮の兵力は日本にも向けられていると考えていい。となると、相手と交渉で物事を解決することは、当然行うにしても、万一の備えをしておくことは、国の国民に対する安全保障として必要なこと。それを放棄して、平和、平和を合唱しても、戦争を仕掛けられた場合の保障にはならない。
私は、戦争を賛美するつもりは、全然ありません。太平洋戦争の惨劇は、猫が自分は虎であるかのように振舞ったがために起きたのだと思っています。今とは逆の、日本は米英と匹敵する世界の強国であるべきという、空想的理想主義が蔓延して、日本は奈落の底へ転がっていったのです。我々が考えるべきは、こうした空想的理想主義は、その方向はどうあっても、多数の自国民の命を奪いかねないということです。当時の空想的理想主義は、国民をすべて軍隊として送り出すような総力戦をやって、多数の国民の命を失った。今の、非武装中立の空想的理想主義は、他国から戦争を仕掛けれられた時に、座して殺されよ、ということですから、これまた多数の国民の命が失われるでしょう。だから、空想的理想主義は恐ろしい。
街頭で「赤紙」を配って「愛する人が戦争に行かされないようにしましょう」と訴えた反戦団体がいたそうですけど、それならば「愛する人が、他国の軍隊によって殺されるような状況になったら、どうすればいいのか」と問いたい。自分の家族を守ること、その延長線上に国防はある。我々が供出した税金で給与を出しているとは言え、同じ国民ということ以外では赤の他人を守ることを仕事とする、軍人(日本なら自衛隊員)は、その仕事の重さゆえ、尊いわけで、靖国神社に祀られている方々の尊さも、この理由からだと私は思っています。この尊さをしっかり教育していくことが、これからの日本に必要なことじゃないかと思います。