おお、産経 vs 朝日が熱い!

「■【主張】教科書問題 驚かされた朝日新聞社説」
http://www.sankei.co.jp/news/050407/morning/editoria.htm

検定合格した八社の教科書には、朝日新聞の論調に近い教科書もあれば、そうでない教科書もある。いろんな教科書があっていいし、また、そうあるべきだ。それらを教育委員らが読み比べ、子供たちに最も良いと思われる教科書を選ぶのが採択である。
 そのためには、外国の圧力や国内の特定政治勢力の妨害に左右されない静かな環境が必要である。すでに、中国と韓国が朝日新聞に同調し、扶桑社非難を始めている。両国の内政干渉こそ、排除されるべきである。

私もこの主張に賛成です。というよりも、これが自由民主主義社会の原則ですね。この見解は自由民主主義者に共通であろうと思います。何も扶桑社/産経新聞は「自らの主張と異なる教科書を排除せよ」とは一言も言っていませんよね。
しかし、朝日は本日付の社説で
「産経社説 こちらこそ驚いた」
http://www.asahi.com/paper/editorial20050408.html

つくる会」の教科書は、子どもたちが日本に誇りを持てるようにしたいと願う余りだろうが、歴史の光の面を強調しすぎて、影の面をおざなりにしている。その落差が他社の教科書に比べて際立ち、バランスを欠いているのだ。

と、書いています。で、これはあくまで朝日の見解であって、これを理由に「扶桑社の歴史教科書は教室で使うにはふさわしくない」、つまり排除すべきである、と論じているわけですね。つまり、朝日の見解に合わない教科書は認められない、というわけです。
何という夜郎自大でしょうか。
いつから朝日は日本の言論統制する機関になったんでしょうか。
確かに、シナ北京政府や南朝鮮の言論を上手く操れている(操られてるのかも)のかも知れませんが、日本はそんな非民主国家や似非民主国家じゃありませんよ。
私がおかしいと思うのは、

「検定はできるだけ控えめにすべきだ」「教科書は多様な方がよい」と主張してきた。その考えはいまも変わらない。

と朝日が言いながら、扶桑社の教科書は(朝日の主張に合わないから)排除しろ、と言っているわけです。これは検定強化、あるいは検閲を主張しているわけで、私はこの朝日の論理には整合性が感じられない。それに対しては、

だれでも自分の国を大切に思う気持ちに変わりはない。しかし、同時に他国の人たちに十分目配りをしなくてはならない。そうでなければ、正しい歴史を次の世代に伝えることにはならない。私たちが批判したのはそのことである。

と自説を述べるに留まっています。いや、いいんですよ、この主張はこの主張で。こう考える人がいて当然だと思うし、その朝日の主張に、私も多少なりとも賛同はできる。しかし、この考え方をもって、ある一つの教科書を「ふさわしくない」と言うのは、やっぱり朝日が従来から主張している「できるだけ控えめな検定」「多様な教科書」とは矛盾しているように思います。
まあ、ここまではお互いの主義主張の話だから、議論としてはまだ許せる範囲です。しかし、朝日は得意の論点すり替えで産経を非難します。

産経新聞が「つくる会」の教科書を後押ししたい気持ちはよく分かる。発行元の扶桑社は、産経新聞と同じフジサンケイグループに属しているのだ。
 それどころか、産経新聞は98年1月の社説で「新聞社が教科書づくりにかかわるのは初めての挑戦であるが、『つくる会』ともども、読者および国民の支援を仰ぎ、また批判も受けたい」と書いていた。「つくる会」が教科書づくりを始めたころのことだ。
 自らがかかわっている教科書を自社の紙面で宣伝してきたと言われても仕方あるまい。

産経の印象を悪くしようと必死ですね。しかし、新聞社が教科書作成に関わることがルール上否定されているわけでもないし、まして系列企業を宣伝することの何が悪いのでしょうかね。
そして、最後が一番ひどい。

もう一つ驚いたのは、扶桑社の営業担当者が検定中の申請本を各地の教員らに渡していたことだ。同社は3度にわたり文部科学省から回収などを指導された。この事実が国会で明らかになった。
 産経新聞はこれまで、「つくる会」の申請本の内容が外部に流れて報道されたり、批判されたりするたびに、「検定作業にあたる教科書調査官に先入観を抱かせる」「書かないのがマスコミの良識」などと批判していた。
 ほかならぬ扶桑社が流出させていたことについて、産経新聞はどう考えるのだろうか。

まず、この問題はこの問題として実に重大だと思います。朝日の指摘自体は、議論をするに十分値します。特に産経や読売、そして反朝日の私は、扶桑社の検定中申請本を流出させていたのは、朝日シンパではないかと疑ってました(少なくとも私はそう)。しかし、実際に流出させていたのは扶桑社の人間だったということが明らかになっている。だから、この問題について産経新聞は回答をして欲しいと思うし、当然すべきでしょう。
ただ、朝日としては、教科書の内容に関する議論とは別の議論を組み立てるべきと思う次第です。朝日は「ご注進」している、と疑われていた、その疑惑を払拭できる一つの証拠になったのだから「産経・読売は事実誤認を謝罪しろ」と社説を書けばいいんです。
まあ、それをやっちゃうと、結局自爆になっちゃうから出来ないのかも知れませんけどね。