彼らが靖国参拝に反対する理由

シナ共産党政府は、靖国神社に日本人が参拝することに反対しています。いや、主要三閣僚だけだろう、という方。主要三閣僚だって日本人ですよ、日本国民ですよ。ひょっとしたら、杉村議員みたいに突発的に当選して、こともあろうに外相に選ばれるかも知れないんですよ、貴方だって。だから、シナ共産党政府が言ってることは、日本国民に靖国神社に参拝するな、と言っているのと同じ。
靖国神社に対する信仰がないという方は、それはそれで結構です。件のオジサマ(id:katchan氏)よろしく身内に靖国に祀られている人がいないから、という理由も結構だと思います。それは、我々としては認めますよ。その代わり、靖国信仰を持つ人を批判したり、公職にある間はその信仰を停止せよ、という発言は信教の自由を奪うもの以外の何物でもない。私が「主要閣僚参拝反対」を叫んでいる人に言いたいのは、この一点です。
私の個人的なことを申し上げると、私の祖父は満州戦線に従軍しました。もし、ここで祖父が死んでいたら、私は祖父の顔を見ることはなかったし、それどころか、終戦直後にまだ1歳になっていなかった私の父ですら、祖父の顔を見ることはなかった。もし、祖父が戦争で亡くなっていたら、当然、祖父は靖国神社に祀られていたはずです。しかし、同じように従軍され、亡くなられた方がおられる。その境遇は紙一重だと思う。だから、私は地元の護国神社にお参りしてきました。そして、今年の夏にはご本山とも言うべき、靖国神社に参拝してきました。A級戦犯の合祀といっても、彼らは日本国を代表して、戦争を指導したわけです。それが、国際法に照らし合わせてもあり得ない、戦勝国による「裁判」という名の「処刑」によって命を奪われた。私の感情から言えば、勝てるように、あるいは負けないように戦争を指導できなかった能力を問いたい気持ちはあるけれど、処刑されたことに対しては哀悼の念を禁じえません。だから、A級戦犯とされた方々が合祀されていることは、むしろ当然と思います。
閑話休題
先々週の週刊新潮高山正之氏の連載コラム「変見自在」に書いてあった内容をご紹介します。引用でないことを平にご容赦下さい。内容は、ほぼ「変見自在」にあったものそのままです。また、高山氏コラムの内容と異なる部分は、すべて文責は私にあります。
日露戦争後、シナ大陸と日本の関係は、実は良好だったのです。孫文は盛んに日本を訪れ、彼の革命の基地としました。また、日本も政府が公には支援しませんでしたが、多くの知識人が孫文を助けました。孫文に刺激されたシナの若き青年たちも、ロシアという白人の帝国を打ち破った日本こそ、近代化の手本になるもの、と考えました。だから、当時、日本には多くのシナ人留学生が来日してきます。今のシナ共産党政府支配下のシナ大陸でも、魯迅といえば国民的作家ですが、魯迅東北大学の医学部に留学していたことは有名ですね。他にも挙げればキリがないほどの留学生が日本で学びました。後に抗日に転じる蒋介石も、日本に留学し、軍事知識を得ます。当時は、日本でもシナがブームでした。日支の関係は非常によかった時期と言えるでしょう。日本は、留学できない青年にも勉強する機会を与えようと、シナ大陸にも学校を建てました。
将来、侵略しようと思っている国に、学校を建て、現地の青年の教育に乗り出す国が一体どこにあるでしょうか。イギリスはインドに学校を建てたでしょうか。オランダは、インドネシアで教育を行ったでしょうか。植民地化し、搾取しようと思えば、教育費用など無駄金です。日本が、本来シナ大陸を侵略する意図がなかったことは、この点からも明らかになってくるのですね。
当時、まだ日英同盟は生きていました。つまり、日本はシナにおけるイギリスの利権さえ奪わなければそれでよかった。実際、イギリスは遠い東洋における権益を、日本が守ってくれることになる日英同盟は、理想的な同盟と考えていたと思います。しかし、この日英同盟を快く思わない国があった。
それがアメリカとソ連です。
まずアメリカから。アメリカは、日露戦争の仲介をしたことで、国際政治の表舞台に上がります。それまで二流国扱いだったアメリカが、初めてヨーロッパ列強と伍する時期に来たのです。しかし、それまでのアメリカはいわば「孤立主義」です。海外に利権をほとんど持っていなかったのです。当時、利権を生む最大の場所は、アジア。特にシナ大陸でした。しかし、シナ大陸利権のほとんどはイギリスが保持し、ロシアが持っていた権益のほとんどは、日露戦争の帰結に従い日本のモノになりました。これが、アメリカには面白くない。日本が得るべき利権を、何とかして奪いたい。これがアメリカの本心でした。しかし、日本には当時、世界最強の政治力を持つイギリスがバックについていた。正面から当たれば、確実にイギリスが日本を支援するに違いない。そこで、アメリカが考えたのが、日英同盟を破棄させることでした。ロシアの南下は終わったのだから、軍事力を目的にした同盟は不要である、という表向きは平和な理由を出しつつも、本心は日本の利権、そして急速に伸びつつあるシナ人の対日感情の良化阻止。この頃からのアメリカは、完全に日本を仮想敵国として外交政策を行っていきます。国内では、露骨に日系人差別法まで作ったくらいです。
そしてソ連ソ連は、まだ政権基盤の安定しないシナ大陸をコミンテルンの勢力下に置こうとしていました。ロシア帝国は倒れたものの、国家としての「ロシア」性はそのままでした。共産主義勢力はモスクワを本部にして、世界中に工作金と武器を送り込み(その工作金の捻出法はロシア人民の搾取とユダヤ人からの財産没収)、資本主義と王政の打倒を目指した組織だったのです。
(この勢力は、日本にも入ってきます。今では悪名高い治安維持法ですが、これが実は武装した共産党勢力に対応するための法律だったことを、私も最近になってから知りました。実は、国民を弾圧する法律ではなかったのです。)
しかし、米ソ両方とも、孫文の存命中、孫文その人に対する工作は、ほとんど行いませんでしたし、またしたとしても成功しませんでした。孫文は、従来の儒教的シナ人からは著しく離れた「非教養人」でした。つまり、自分が「皇帝」になろうという野望が欠片もなかった。だから、孫文には工作が効かなかったんですね。
そこでアメリカもソ連も、独自にいわば「皇帝」になりたがりそうな性格の人間を探しました。それが蒋介石であり毛沢東だったのです。両国は、それぞれに金、武器を大量に送り込み、シナにおける日本利権の排除を促しました。成就の暁には、シナ大陸の皇帝になれる、というわけです。日本で学んだ青年、日本資本でできた学校で習った青年は、日本を裏切ったのです。日本はシナと共存し、西洋からはイギリスという強国を頼みにしつつ、東アジアの共栄圏を作ろうとしていた時期があった。しかし、そのシナ、日本両国の望みは潰えました。
その結果、どうなったか。
日本はシナでやりたくもない戦争に引きずり込まれることになりました。そして、やがてアメリカとも戦争をする羽目になりました。そして、かつてシナからの留学生と机を並べて勉強した日本の青年たちは、戦場に駆り出され、多くが亡くなりました。
亡くなった彼らは、靖国神社に祀られています。
シナ共産党政府が靖国神社を疎ましく思うのは、靖国神社に祀られた日本軍将兵は、自らの裏切りによって生じたものであり、彼らにとって裏切りの象徴であるように思えるからです。
シナ共産党政府が露骨に靖国参拝に反対する理由は、ここにあるのです。
(では、南北朝鮮はどうかって? 明確な理由は、一つしかありません。宗主国がそういうのだから、自分たちもそうする、という事大主義しかない。他に合理的な理由は存在しません。)