イラク戦争から3年だそうです

イラク各地で35人殺害 開戦3年、治安回復せず」
http://www.sankei.co.jp/news/060320/kok040.htm

イラク戦争の開戦から20日で3年となったが、AP通信によると、イラクでは19日も各地で計35人の殺害が確認され、治安が一向に改善されていないことをあらためて印象づけた。
イラク警察によると、米軍が大規模な掃討作戦を行っているバグダッド北方のドゥルイヤでは米軍と武装勢力との戦闘に巻き込まれ、子供を含む8人が死亡。
バグダッドでは下水処理場2カ所で手足を縛られ、射殺された14人の遺体が見つかった。宗派対立が原因で殺害されたとみられる。中部ラマディや南部バスラなどでも警官などを狙った銃撃や仕掛け爆弾で犠牲者が相次いだ。(共同)

この共同通信配信の記事によれば、イラク統治は上手くいっていない印象のようです。
確かに、イラクは毎日のようにテロが起きているわけですが、根本的な原因は以前にも書いたように、イラクで「刀狩」が終わっていないという現実にあります。日本の報道では、民兵だとか武装勢力だとか、いかにも正当性を保持しているかのような印象の言葉を使われていますが、これを日本に単純に置き換えたら、ヤクザとか暴力団、あるいは中核派などに相当するわけです。
イラクの治安が維持できていないのは、他でもない中央政府に強い軍事・警察力がないからです。民主化とかそういう問題とは少し違います。本来ならば、アメリカやイギリスとしては、もっと多くの軍事力を投入したいはずです。軍事では、兵力の分散とともに逐次投入というのが最も忌避されると聞きます。今のイラク情勢では、世論というものが足かせになって、米英軍が一度に大量の軍事力を投入できない状況にあるのだろうと、愚考します。
そもそも、日本だって400年と少しを遡れば、兵農分離ができていませんでした。日本では兵農分離というと、武士だけが生殺与奪の特権を得るために行った「悪事」と捉えられていますが、本質は治安維持政策なのですね。元は、織田信長が始めたことでして、信長の真意は、年間を通じて働ける軍隊を作ることにありました。その結果、戦争に行きたくない人は武器を持たなくて良いようになったわけです。おかげで、信長の勢力下では鍵をせずに眠れる、と評されるようになります。信長の政策をほぼそのまま継承した秀吉によって、兵農分離は全国規模で実施されました。無論、その背景には、秀吉の圧倒的な軍事力があったことを忘れてはいけません。以後、日本では基本的にはテロリズムとは縁の遠い社会を築くことになります。
マスコミの報道では、イラクの治安・テロの問題を簡単に宗教、つまりキリスト教イスラム教の対立という軸で捉えていますが、根本を言えば、市民が未だに武装していることの方が、大きな問題であろうと思います。宗教的な対立軸は、あくまで「言い訳」に過ぎません。武力がなければ、こういう抵抗活動はできません。
恐らく、マスコミ(日本だけでなく世界全体がそうでしょう)はアメリカとイギリス(それに合わせる形で日本も)が早期に撤退することを望んでいると思います。そのときには、米英は失敗をした、と大いに騒ぐことだろうと思います。しかし、その後に来るイラクの現実はどのようなものになるか。その辺りの想像力を、果たしてマスコミ、ジャーナリストという商売の方々は持ち合わせているのかどうか、少し気になるところです。