銃撃事件2つの違い

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ここ数日、所用で出社時間が早く、新聞すら読んでいない。テレビも基本的に見ないので、ニュースはWEBのみでしか見ない。
ともあれ、日米で同時に銃撃事件が起きた。この二つの事件、全く背景も異なるわけで、その辺は切り分けて考えなければならないし、この問題、別に政治的な背景を論じるのは、少々的外れな気がする。
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まず、日本・長崎の事件である。実は、長崎には行ったことがない。私の長崎のイメージは、司馬遼太郎の作品「竜馬がゆく」のイメージでしかない。そういう長崎で、銃撃事件である。しかも、現職の市長が、選挙中に銃撃された。
これは、はっきり言えば、民主主義への挑戦である。自分の思うままにならなければ、実力で相手を排除する、という方法は明らかに民主主義の原則に対する挑戦である。私は民主主義者である。だから、こういう行動に対し、私は徹底的に抗議するし、断固戦う。
法治国家というのは、その暗転面として、必ずルールに従わない者たちが溜まる場所が出てくる。これは、以前、熱力学第二法則に従えばそうなる、と書いた記憶がある。ルールと言うのは、社会あるいは共同体に対する一種のエネルギーの注入である。日本社会は同質性が強い、と言われるが、もともとの意味は、非常に弱いルールであっても、秩序化された社会が形成されるということであったと思う。昔の日本は、熱力学第二法則による社会ではなく、ルールの強制力の方が、社会の発散力よりも弱い、すなわち散逸系だったのである。それによって、緩やかな秩序が維持されてきた。ところが、戦後の日本は、徹底的にルール化した。ルールによる強制力が徹底的に強まった。ルールの権化が憲法であり、その憲法を改正することを甚だ嫌う勢力があり、その勢力が長年戦後教育を担当してきたことを考えれば、今の日本社会が徹底的にルール化した社会になることは、当然の帰結のように私には思われる。そして、ルールが社会の発散力を抑えつける格好となる。こうして抑えられた発散力が閉じ込められる空間は、ルールの圧力が強くなるに従って狭くなる。したがって、その狭い空間内は、エントロピー、すなわち乱雑さの程度が大きくなる。ルール化社会は、すなわち熱力学第二法則の世界であり、今回、この狙撃事件を起こしたのは、ルール化社会からあぶれた狭い「乱雑な」世界の住人であったということである。
解決すべき方向性は、さらにルールを強制化していく、という方法もあるとは思う。しかし、私はルールをもう一度整理して「散逸系社会」を目指す方が、より自然ではないかと思う。
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一方で、アメリカで起きた銃撃事件。南朝鮮人による犯行で、かつ、それを報じた南朝鮮のメディアの対応云々については、他のブログが扱っているので、置く。それも彼らの民族性が出ているのだが、恐らく、新聞・テレビは伝えぬと思う。伝えたとすれば、それは産経新聞黒田勝弘記者であろうと思う。
それはおくとして、アメリカはある意味で、とてつもなく遅れた国なのである。少なくとも日本よりも400年以上遅れているのである。要するに、アメリカの歴代大統領の中に、一人として織田信長よりも優秀な大統領がいない、ということでもある。無論、織田信長クラスの政治家となると、世界史レベルでもジュリアス・シーザーくらいしか思いつかない。戦争に強いリーダーならゴマンといるが、国の制度を改革し、その国の後世にまで影響を及ぼしたとなると、私の知識レベルでは、信長とシーザーと頼朝くらいではないかと思う。
信長が行った政策の中で、最も大きいものは何か。私は、刀狩であろうと思う。待て待て、刀狩は秀吉だろうが。そういう人もあろう。しかし、刀狩の原点は、実は信長が行った比叡山焼き討ちと一向宗との闘いにある。戦国時代、と称される時代は、実は日本人はほぼ全て武装していたのである。戦国時代というのは、日本に正統な中央政府が存在しない時代のことである。中央政府がいない状態とはどういうことか。簡単に言えば、治安維持がなされていない、ということである。治安維持がされていないと、当たり前のことだが、自衛するしかない。この辺りは、左巻きあっち系の人にはよく考えて欲しいが、現在、国際社会における正統なる中央政府が存在しているか、ということである。国連に、そういう国際社会に対する治安維持機能があるか、ということである。もっと簡単に言えば、国連に常備軍はあるか、またその常備軍は世界で最も強い軍隊か、ということである。それを考えれば、国際社会は治安維持がなされていない世界であり、その中で各国が自衛権を持つことは当然だということである。そこも、とりあえず置く。
市・座の利権を持ち、その利権の源に宗教的な権威を振りかざしていた延暦寺に対し、何度も信長は、利権の解消を通告した。しかし、それを聞き入れなかった信長は、叡山を焼き討ちにしたのである。事実、信長は宗教弾圧のために叡山を焼き討ちにはしていない。何故なら、叡山の復興は、信長存命の頃に始まっているからである。また、一向宗は当時の支配階層を認めない、一種の危険思想的な宗派だったのである。彼らは武装し、本願寺当主を首領とし、信長を中心とする中央政府の意向に従おうとしなかった。だから、信長は本願寺と長年にわたって抗争を続けたのである。一向宗との和解が成立した際、信長は一向宗武装解除は要求したが、信仰の自由は認めているのである。
こうして日本は、中央政府が治安維持を受け持ち、以下庶民は非武装ということになった。これが完成するのは、江戸幕府開闢以後とは言え、日本に「庶民は非武装」というコンセンサスができてから、400年経っているのである。
一方で、アメリカは建国たかだか300年未満である。そもそも、原住民を銃で殺し、脅し、形成したという負の歴史も持つ(もちろん、その負の反面、建国以来、自由民主主義でやってきたという輝かしい正の歴史も持つ)。未だに、アメリカという国は、刀狩が終わっていないということなのである。アメリカに、未だ信長現れず。それが、こういう事件を生む背景になっているのだと思う。経済的には先進国だが、治安維持という点では、まだまだアメリカは後進国なのである。
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