面白いなあ、朝日

「反米」という名誉ある呼称を首相から頂戴したのに、昨日の社説で大反論。そしたら、本日の社説では手のひらを返したような、首相擁護のような社説を掲載してました。
http://www.asahi.com/paper/editorial20040707.html
この一本目。最後の最後に「小泉首相北朝鮮政策には様々な批判がある。だが、北朝鮮の強い関心を引きつけ、日朝間の外交にそれなりの土台をつくったことは評価できる。」と朝日にあるまじき文章が。「反米」という名誉ある呼称はいらない、という意思表示なんでしょうか。
しかし、朝日はやはり「親北朝鮮・反日」なのですな。だってタイトル見てよ。
北朝鮮??金総書記の小泉頼み」
北の暴君には肩書き付き、自国の首相は呼び捨て。これが朝日の基本姿勢でありますぞよ。
さて、二本目は恒例のトンデモ社説。よくも毎日、ここまでぶっ飛べるなあと思うのですれど。
「教育改革??愛国心でいじめが減る?」
あのな、自分の都合の良いように文言を掻い摘んでるだけじゃね〜か。自分の筆で「自民党内には、愛国心や公徳心、伝統文化の尊重を教育基本法に盛り込むべきだとの声がかねて強い」と書いてるやんけ。イジメをなくすという点では、まずは公徳心の方だろうが。「愛国心」教育がいかに無意味かを示すために、他の文言は一切無視だよ。これぞ朝日の得意技・捏造。石原都知事の「三国人発言」と全く同じ構図。
で、平沼氏の発言もきちんと「教育基本法では個人の尊厳が強調されている。日教組の教育とあいまって、個人の尊厳が行き過ぎて教室破壊が起こり、生徒同士が殺し合いをする荒廃した状況になってきている」のように引用してるのに、それを受けて「まるで教育基本法のせいで事件が起こり、これを変えれば防げると言わんばかりだ。」とまとめている。違うやろ。よく読め。「日教組の教育とあいまって」を抜かすな。ここが重要なんだよ。愛国心やら公徳心、伝統文化の尊重が法に書いてないことを良いことに、日本と日本人を貶め、日本が古来から大切にしてきた文化・公徳心を悪とし、自由気まま・勝手気ままに振る舞うことを良しと教えてきたのが日教組の連中じゃないか。その日教組に付け入るスキを与えないように、教育基本法を改正する、というのは正論中の正論。日教組連中が、自分の思想・信条を教えたいなら、自分たちで私学を立ち上げればよい。かつて、福沢諭吉がそうしたように、自分の思想・信条が正しいと思うなら、私学を起こして、自分たちの思想・信条を広めれば良いだけのこと。自分たちの思想・信条に自信があるなら、やってみろよ。公務員という立場を捨ててやってみろってんだ。
で、朝日が意図的に平沼発言から「日教組」を抜いているのは、日教組朝日新聞の読者層を形成しているからでもある。それは、民主党の公約である文科省改革への批判に集約されている。
「現場が混乱しないか」
現場=日教組の教師、混乱=仕事が増える、と翻訳する必要がある。すなわち「毎日、クラブ活動の顧問もせずに定時きっかりで帰宅し、夏休みも一日も出勤しない日教組の教師の仕事が増えたりしないか。増えたりして、反戦・反米・平和・反核運動のデモに参加することができなくなったりしないか」ということ。
日教組の教師は、現場で日教組に所属しない教師から、どれほど疎まれているか、朝日は恐らく無理だろうから、他のマスコミさん、しっかり取材してくれませんかね。
それから、愛国心。これを軍国主義につながる、と言って反対する連中は、民主主義によほど疑いを持っているとしか思えない。そんなに「自分」が信じられないか。軍国主義に戻らないようにするのは、自分たちの役目じゃないか。愛国心というのは、ただ単に、自分の国はすばらしいと思う、あるいは自分の国をすばらしくしたい、と思う気持ちである。単純だが、この気持ちがないと、国際社会に出てかえって恥をかく。外国で他の国の人と話をしていて「僕の国はとてもすばらしい。ここも素晴らしいが、日本も同じくらい素晴らしい。ぜひ、一度、日本に来て欲しい」という人と、「ここは本当に素晴らしい。それに比べると日本は実に下らない。日本なんて何も良いところがない」という人とでは、どちらが魅力ある人だと感じられるか、ということだ。その素晴らしさの基本となるのが、かつてこの国で暮らしてきた人たちの営み、つまり歴史であり、その歴史が生んだ日本に固有の文化(文明は世界どこに行っても通用するもの。文化は各所に独特で世界中で通用するとは限らないもの)を大事にすることである。グローバル化する地球社会に通用する人間とは、自己の属性に対するアイデンティティをしっかり持ち、それゆえに他者をも尊重する人間のことである。決して「地球市民」を名乗ることではない。
多分、「私は地球市民です」と言っても、恐らくアタマのおかしいヤツとしか思われないでしょ。