一向一揆と刀狩 in イラク

またまたイラクのサドルっていう、宗教指導者が民兵を率いて米軍とその手先であるイラク政府に徹底抗戦しろ、と言ってるみたいですな。民兵などというと、いかにも合法的な印象があるけれど、言ってみれば公然と武装しているヤクザみたいなもんですがな。米軍は何もサドルって一派の信仰を認めないといってるわけじゃない。信仰は構わないが、治安維持は米軍中心の多国籍軍が受け持つから、それを理由に武力を持つのは止めろ、と言っているわけですよね。宗教が武力を持って権力に対抗するのを認めると、イラクのように多数の宗派が混在する国は分裂しちゃう。分裂すると、石油の利権をめぐってまた戦争になってしまうから、一つにまとめて石油の利益を分配するということにしよう、というのがイラクの政権です。無論、各国の石油利権は絡んでいるわけですけど。
つまり、ざっくり言うと、今、イラクでのサドル派と政権側の戦いは、一向一揆と同じなんですな。
教科書では、信長は一向宗を「弾圧」した、と書いているけれど、これは間違い。当時、一向宗は強大な武装勢力で、一向宗が実効上支配していた土地がたくさんあった。一向宗が支配している土地では、徴税しようと思っても武力で一向宗が抵抗していたわけです。これが一向一揆の実体です。信長は、こうした自領内の一向宗信者に対して、武力を持つな、税は信長政権に出せ、その代わり信仰は認める、と言ったわけです。何故、一向宗が武力を持ったかというと、一向宗は当時は新興勢力で、他の寺社勢力からは敵視されていました。当時の寺社勢力は、市や座(カルテル)の認可権を不法に持っていて、経済的に強大で、その経済力を背景に、経済力を守るために武装していた。例えば、カルテルを破ろうとする新興業者を、寺社が持つ武力(今で言うヤクザですな)によって叩き潰していたのです。この辺の事情は、司馬遼太郎さんの「国盗り物語」に詳しく描かれています。それに対して、一向宗新興宗教で、かつ旧来の寺社勢力とはかなり異質な教えを持っていたので、しばしば一向宗は旧来の寺社勢力から嫌がらせを受けていたのです。そのため、一向宗も武力を持って、旧来勢力に対抗していたわけです(山科本願寺焼き討ち事件など)。信長は、旧来の寺社勢力に対しては、「楽市・楽座」を行うことで寺社の許認可権を剥奪しました。これに最も激しく抵抗したのが比叡山だった。だから、信長は比叡山を、半ば他の勢力への見せしめの意味も込めて焼き討ちにしたのです。こちらは、経済政策の延長線上です。今で言う暴力団へのガサ入れみたいなモノ。一方、一向宗は、その思想上、権力者を認めないという原理主義に行き着きます。阿弥陀さまの前ではみな一緒、ということは、時の権力者なんて必要ないということになります。だから権力者に税を納める必要はない、お寺に収めればいい、ということになります。実際、有名な加賀の一向一揆では、一向宗による統治が行われてたりします。しかし、これでは一向宗以外の人間は、その地域に住むことは難しくなる。そこで信長は、一向宗に対して、信仰は構わない、ただし武装はするな、治安維持はオレの軍隊が受け持つ、一向宗が他宗派から襲われるようなことがないようにオレの軍隊が守ってやる、と言ったわけです。これは、他の宗教勢力に対しても行っています。これが有名な「天下布武」です。治安の維持は、オレがやる。信長の直轄軍以外は武装しなくてよい、ということです。しかし、本願寺幹部としては、これまで門徒から得てきた経済力が失われることになります。これが本願寺と信長の戦いの背景にあったわけで、信長が無宗教だったからだとか、仏教が嫌いだったから(好きではなかったでしょうけど、彼の京都での居館は本能寺でしたから、仏教を否定していたわけではない)とか、自分が神になろうとしたとか、そういう見方は間違っているわけです。本願寺は、自分たちの経済力維持のために、教義の原理主義化を行って抵抗した。最終的には、信長と本願寺は講和します。このときも信長は、講和状の冒頭に「総赦免のこと」と書いています。すべて許す。さらに信仰も続けてよい、と書いている。これは、本願寺武装解除したから。つまり、一向宗を弾圧したのではなく、武装解除を要求した戦いだったわけです。一向宗にだけ武装を認めてしまうと、他の宗派にも武装する理由を与えてしまう。信長はキリスト教の布教も禁止しませんでしたが、これも信長は、その時点ではキリスト教徒が武装していなかったからで、信長は自らが宗教に不熱心だったこともあったのでしょうが、それが結果的に信教の自由を認めることになったわけで、結果、信長領では信仰も自由だし、経済も自由にできるので、人がたくさん集まってくる。それが信長領における経済的な発展に繋がったというわけです。
今、イラクで米軍・イラク政権・国連が行っていることも、全く同じです。宗教勢力が武装するなということ。信教の自由が認められれば、人の往来が多くなり、その分、経済活動も発展します。イラクの復興には、こうした「人の自由な往来」が不可欠。そのためには「刀狩」が必要だということなんですな。
ちなみに「刀狩」は「農民から武器を取り上げた」と教科書に説明書きがあって、いかにも「武装は武士の特権となった」みたいな感じになっているけど、これは大きな誤解です。それまで、農民は自分で武装しなくちゃならないほど、戦国時代は治安が悪かった。それが、秀吉の天下統一によって全国の治安維持が達成された、ということです。教科書だけじゃ歴史って本当にわからんね。