ほう、社説にまで書きますか

http://www.asahi.com/paper/editorial20040827.html
まあ、朝日の言いたいことはよく伝わってきますね。何というか「ムキ〜!」っていう感じがね。で、教科書の内容に朝日は不満である、ということは別段問題でもない。ただね、朝日は社説で他の雑誌を引用するのであれば、教科書からもきちんと引用すべきだと思う。例えば、「満州事変から太平洋戦争へ至る歴史をあまりにも日本に都合良く見ようとする偏狭さが目立つ。」と書いているけど、どう書いているのかが、読者には分からない。適切にその部分、少なくとも朝日がおかしいと思うところを引用すべきでしょ。引用もせずに、要するに読者に見せもせずに「偏狭さが目立つ」と書くのはおかしいよね。私は「つくる会」のHPからの抜粋を読んだだけなんですが、別段、極端に偏った表現だとも思いませんでしたが。
「教育委員たちはなぜ、こうした意見に耳を傾けなかったのだろうか。」
反対意見だけではなく、賛成意見も多数あったんだろう、ということは想像できることですが。内容は普通の在り来たりの教科書ですよ、つくる会の教科書も。
「教員を処分で脅し、生徒の内心の自由も認めない。国が決めたのだから、なにがなんでも従わせようとする。」
毎度、最終的にここに論点を持って行きたいのだろうけれど、内心の自由は何も「好き勝手していい」ということじゃない。内心の自由とは、君が代を歌いながらも「こんな国歌、歌いたくないな〜」と思ったって構わないということ。都教委のこうした方針に反対なのであれば、都議会選挙で自分たちの仲間を過半数当選させれば良いわけだし、都知事石原慎太郎氏じゃない人を選べば良いってこと。で、今の現実はどうなのかというと、都知事が石原氏であり、都議会は都知事派が多数派になっているわけで、都民の多数の意思(これが民主主義で言う「民意」)は、都教委の方針を是と認めているということ。だから、
「都教委は今後6年間でさらに9校の中高一貫校をつくる。東京の教育がますます心配になってきた。」
などいらぬお節介だと言うわけ。まあ、今回の社説も「朝日の主張に逆らえば、日本の道は間違いがない」という法則に従っていると思われますが。