平和主義者が平和を壊す

ウィンストン・チャーチルは、次のような言葉を回顧録に残しているそうです。
「この大戦(第二次大戦のこと)は必要のない戦争だった」
さっすがチャーチル。名宰相と言われただけのことはある。と、日本の平和主義者の方々は思うでしょう。実際にこの言葉を使って平和運動をされているかも知れませんね。しかし、チャーチルはイギリスの対独伊戦の遂行者です。戦争の遂行者たる彼が「戦争絶対悪」とは考えていないはずです。当然、チャーチルは別のところでこんな発言をしています。
「もっと我々(英仏)が早く戦争の決断をしていれば、これだけの死者を出さずにすんだ」
つまり、チャーチルは平和主義者の意図とは全く逆の真意を最初の言葉に込めていたのです。では、なぜ、チャーチルがこんな言葉を残したのかを考えるべく、当時のヨーロッパの状況を見てみましょう。
第1次大戦ではドイツが他の欧州諸国に完敗し、ベルサイユ条約によってドイツの軍事力は徹底的に削減(完全武装解除されたわけじゃない)されました。そして、各諸規定によってドイツが再び軍事大国になる可能性は、どう考えても無理だったのです。なぜなら、ベルサイユ条約に違反すれば、英仏には戦争を仕掛ける権限があったからです。しかも、ベルサイユ条約によれば、仏独国境地帯にドイツは軍事力を展開できないことになっていたので、仏独国境地帯に軍事力展開を行おうとした瞬間に、ベルサイユ条約違反によって、やはりドイツは抑え込まれる、という構図になっていたわけです。
にも関わらず、ベルサイユ条約締結のわずか21年後。フランスはナチス・ドイツに占領され、イギリスも大規模空爆によってロンドンが焦土になってしまった。これは何故でしょうか? いくらヒトラーがある意味で「天才」であったとしても、ヨーロッパ全土を席巻するだけの軍備拡張をするためには、それなりの時間が必要です。ですから、英仏にはヒトラーが軍拡を目指した瞬間に、ベルサイユ条約違反によって軍事的圧力を仕掛けることはできたはずです。そして、もしそうしていれば、ヒトラーは早いうちに倒され、ユダヤ人の虐殺も行われなかったわけです。少なくともヨーロッパ戦線においては、ヒトラーが第2次大戦の原因になっていることは確かです。ただ、何故、ベルサイユ条約が反故にされたのか(ヒトラーが反故にすることができたのか)を考える必要があるはずです。
その理由は当時の欧州には「平和主義者」が席巻していたことにあります。今、日本にも護憲派と言われる平和主義者がおりますが、それとほぼ同じような連中です。第1次大戦の後遺症で「戦争は何が何でも悪である。戦争絶対反対」という勢力が、第1次大戦以降のヨーロッパでは主流になっていたのです。なんか、今の日本の平和主義者から見たら理想郷のような時代でしょう。しかし、彼らがヒトラーをのさばらせたのです。当時の英仏では、反平和主義者と見なされると次回の選挙で落選するという状況でした。ですから、ヒトラーが着々と軍拡を進めている状況で、政権担当者が「ドイツをベルサイユ条約違反で懲罰する」と言っても、議会で否決される状況にあったわけです。ヒトラーは欧州のこうした「平和主義」の空気を巧みに利用して、軍拡を着々と進めたのです。ヒトラーは当初は、反共産主義を掲げ、ヨーロッパにおけるソビエトに対する砦とならん、と言っていたのです。これも英仏の平和主義者(日本の平和主義者と異なるのは、彼らは必ずしも左系ではない)たちの心に響いたわけです。ベルサイユ条約締結時と状況が変わった、ドイツの軍拡は結果的に自分たちをソ連から守ってくれるのだ、というわけです。平和主義者というのは、いつの時代にも非常に利己的で視野が狭いことの証左であろうかと思います。
その結果、どうなったか。
チャーチルがいたイギリスは、彼を首相に抜擢(彼は戦争がなければ首相になる人物ではなかったとよく言われています)。対独伊戦争への決意を固めますが、チャーチルを産まず、ドイツと陸続きだったフランスはあっという間にパリを落とされ、ほぼ全土を占領されるという屈辱を味わう羽目になります。そして、第2次大戦の欧州戦線では「一度失ったものを取り返す」という戦争になり、当然ただ「防御する」戦争よりも多くの犠牲者を出す羽目になった、というわけです。これがチャーチルの冒頭の言葉「この大戦は必要のない戦争だった」と言う意味です。
それから、約60年後。イラクサダム・フセインという独裁者が民衆を抑圧している上に、国連という自身も加盟している組織からの各種要請を突っぱねた。アメリカとイギリスは、放っておくとテロリストとつながって大きな災いになる、と判断して打倒フセインの戦争を起こした。それに対して、ドイツやフランスでは反対しましたが、これはどうみても「平和主義」による反対ではない。独仏の利権がアメリカによって奪われるのに反対しただけのことです。アメリカやイギリスは、フセインが第二のヒトラーになることを恐れ、その可能性は高いと見て(実際、前科があるわけだし。クウェート侵攻)、戦争への判断をしたわけです。私はこの米英の判断は間違っていないと思うし、独仏には失望しています。特にフランスは、なんと鈍感な、と思うのです。自由・博愛・平等を標榜するフランス国民が、他国で抑圧されている民衆を何とも思わない、というのはすごく矛盾している。もし、世界全体がかつてのヨーロッパのように「戦争忌避」の「平和主義」を主張していたら、本当にフセインは中東のヒトラーになってしまってたかも知れません。そういう意味でも、世界にアメリカとイギリスがいてよかった。
今回はヨーロッパにおける平和主義者による平和崩壊の状況を見てみました。次回は、日本における同じ時期を見てみましょう。実は、当時の日本は軍縮に向かっていたのですが、世論が「軍縮」の意味を履き違えたことから、軍が独走する、というお話です。