軍縮と軍備放棄は全く別物

日本は第1次大戦では欧州戦線に参加しませんでした。そのくせ「反共」の掛け声だけには乗っかって「シベリア出兵」を行いました。結果的に、これは非常にまずい結末になります。当時の日本は、日英同盟が継続されていた。日露戦争では、日英同盟なくして勝利(というか引き分け)はなかった。貧乏国日本が艦隊を揃え、満州で陸軍を展開できるだけの戦費はほとんどが外債によるもの。日本が外債を集めることが出来たのも、イギリスが背後にいる、という担保によるものでした。そして、第1次大戦では苦戦していたイギリスは、日本軍の欧州派遣を打診してきます。しかし、日本は「その必要を感じない」として断った。そのくせ、シベリアには出兵した。以後、イギリスは「日本は利己的な打算のみを行う国である」として同盟を破棄。以降、第2次大戦が終了するまで、イギリスが日本に味方してくれることはありませんでした。ひとつ余談を入れますと、第1次大戦に参加しなかった日本は、その後の装備で欧米から著しく遅れを取ることになります。大戦に参加しなかったので、日露戦争期と全く用兵・装備の概念が変わってしまったことに気付かぬまま、第2次大戦に向かっていくことになってしまったのです。それはさておき。
第1次大戦が終わると、世界は軍縮に向かいます。当然、日露戦争に勝利した日本も列強の一員として軍縮の対象とされた。世界の雰囲気は、平和主義に傾いていきます。それはもちろん日本も例外ではありません。
当時のことは、歴史では「大正デモクラシー」という言い方をします。ただ、大正時代は15年と短かったせいか、もうひとつ印象に残らない時代でもあります。要するに、平和な時代だった、ということです。そして、日本人は軍隊に対して、どういう考え方をしたのか。簡単に言ってしまうと「穀潰し」です。軍人なんて無用の長物じゃないか、戦争がなけりゃコイツらは無駄飯食ってやがる、という按配です。ましてや世の中は軍縮真っ只中。当時の軍人は、庁舎を出る前に平服に着替えたそうです。軍服を着て町を歩いていると、石を投げられたり、殴られたりしたのだそうです。
軍縮」とは軍備を縮小することです。第1次大戦が終わって平和な状態になった。戦時軍備はもういらない。だけれども、隣人がたくさん武器を持っているのに、自分だけ武器を減らすのは心もとない。だから、国際会議で全世界が過剰軍備を減らしていこう。これが当時の世界的な軍縮の流れでした。第1次大戦に本格参戦しなかった日本では、軍縮の意味が理解されていなかったのでしょう。日本人は軍縮の意味を「軍隊無用」と解釈してしまったのです。私はここから戦前日本が崩壊していったのだと考えています。
20年前の日露戦争では、英雄扱いされた軍隊。それにあこがれて入隊した人たちが直面したのは、軍人に対する容赦のない蔑視・差別。命をかけて国民を守ることを仕事にし、一朝有事の際を想定して厳しい訓練、研究を行っている人間に対し、それを「穀潰し」と罵る国民。軍隊と国民の間の信頼関係など欠片もない状態になっていくわけです。
国民から信頼されない、謂れのない中傷を受ける軍隊はどういう行動に出るでしょうか。そう、クーデターです。日本は5.15、2.26の二つのクーデターを経て、軍が国民を「占領統治」する体制を築いたのです。国民のことを信用していないわけですから、自分たちの主張を掲げて国民に理解してもらおうなんていうことはしません。その後、日本は体制としては形式上は民主政体を取りながら、その実は軍が完全に意向を決定できる仕組みが出来上がるわけです。言論弾圧をするにしても、日本は言論弾圧に肝要な社会(言論弾圧している、されていることに気が付きにくい社会)であることも軍部にとっては幸いしたのです。この点は、また別項で触れようと思います。
この時点(二つのクーデターを容認した時点)で、日本はすでに平和を失ったと言って良いでしょう。日本人は日本軍に「占領統治」された「奴隷の平和」だったのですから。この奴隷の平和はなぜ起きたのか。クーデターはなぜ起きたのか。今までの歴史教科書では、政府の軍縮方針に対する反抗である、とされています。しかし、それならば軍縮を行ったどこの国でもクーデターが起きていておかしくないはずです。軍縮は当時、世界各国の共通の政策だったのですから。
日本から平和が失われた理由は「軍人蔑視、軍隊差別」の考え方にあります。国民が軍隊を無用と考える、軍隊が国民を信用しない。この状況で、どうやってシビリアンコントロールが利くのでしょう。今でも日本人にはシビリアンコントロールのことを、軍人(自衛官)に対する抑圧と考えている人が多いと思いますが、それは戦前に行って、大失敗しているのです。日本の平和主義者は、戦争絶対悪に加えて「軍人蔑視、軍隊差別」の考え方を露骨に持っているのです。それは、イラク復興支援にも出ている。イラクでは治安向上の一環として、復興支援を行うことが必要な状況であることは誰もが認識している。しかし、自衛隊が復興支援活動を行うのは罷り通らぬ。よろしく民間人が行うべきである、という議論です。しかし、イラクは民間人が行くのは危険だ、というと民間人が行って危険なところなら自衛隊が行っても危険だ、といかにも自衛隊員を守ろうという論理を立てる。治安向上のためには、武力による鎮圧作戦も必要でしょう。それと同時に、日常生活を取り戻す活動をすることも大事です。人心の安定こそ、治安維持の要諦だからです。治安が確立できれば、もちろん自衛隊を派遣するまでもないわけですから、自衛隊が復興支援をするのは「治安維持活動」の一環としてのこと。その「治安維持活動」には自衛隊は参加するな、ということであれば、自衛隊が海外で活動することは一切罷り通らぬ、ということであるわけです。このような主張をする人たちの根底には「自衛隊は日本の恥部であるから、外には決して出さない。日本は軍隊のない国なのだから、それを他者に見せるわけには行かない」という感情があるわけです。こういうことを考える人が多数を占めるとすると、自衛隊員はやる気を失うでしょうし、それどころか「超法規的」な行動に出ないとも限らない。実際に「軍人は日本の恥だ。無用の長物だ」と言って軍人をコケにしていたら、軍隊がクーデターを起こしたわけです。それもわずか80年前程度のことです。そこからなぜ、教訓として読み取れないのか。いや、読み取っている。よろしく軍隊(自衛隊)は廃止しろ、と主張しているじゃないか、と言うでしょう。しかし、わずか9年前にその主張が机上の空論であることを示す事件ががありました。オウム真理教によるテロ事件です。自衛隊が存在したおかげで、サリンを無毒化することができたのです。自衛隊の化学科がなければ、東京の地下鉄は何週間も使用不可能になっていたかも知れないのです。自衛隊は、そうしうた国内外問わず、危機に対して様々な対応を研究し、訓練している組織なのです。
また、日本の平和主義者は「愛する人が戦争に駆り出されるのはもう嫌だ」という言い方をします(そう言っている人の身内に戦争体験者っているのかな? ちなみに私の祖父は陸軍にいて、シベリアに抑留されていました)。しかし、他国から侵略されて、自分の愛する家族が外国の軍隊に皆殺しにされることについては、どのように対策を取ればいいのでしょう。また、自国のみについてはその自衛権を認める、としても、友好関係にある国、すなわち愛する友人が皆殺しにされることは、それを黙認(傍観)せよ、というのでしょうか。
日本の平和主義者は、というよりも日本人は軍隊を管理することに全く長けていません。軍隊は管理できないので廃止する、とか、日本国外からは出しません、としてしまう。本人たちはそれで文民統制だと思ってるのかも知れませんが、それは単純に対応能力が欠落しているだけです。またそれを主張する政治家は、軍に関する政治的責任は負いたくない、と考えているのです。なぜ、そう考えるのか。これは日本人特有の思考、あるいは宗教的概念にあります。次回はなぜ、日本で平和主義が蔓延るのかを考えてみたいと思います。