日本人と「平和」−死穢を恐れる信仰−

話し合いが日本以外では通用しない考え方であることを前回述べました。なぜ、日本では話し合いがそれほどまでに尊重されるのでしょうか。
民主主義は最終的には、多数決という形で「争い」ます。それに対して話し合い至上主義では、争いません。少なくとも表面上は「争い」の痕跡を残さないように繕います。何事も争わないこと。これが日本人が理想とする「信仰」であるわけです。話せば分かる、というのは犬養毅首相だったかと思いますが、彼もそういう意味では話し合い至上主義者だったのかも知れません。そもそも、自邸に武装して来るような人間に「話せば分かる」と言うのは、恐らく日本人だけだと思います。そういう意味では犬養毅首相も危機管理能力がないと言えば、ないですな。
争い事の究極の形は戦争です。戦争をすれば当然ですが、死者が出ます。味方も死ぬだろうし、敵も死にます。この「死」は日本人が最も忌み嫌うものでしょう。日本人は自分の死には割と淡白な人が多いのですが、他者、特に近場の人(血縁的にもあるいは地理的にも)の死を異常なまでに恐れる体質を持っています。そんなことはない、と思っているかもしれませんが、お葬式を考えてみて下さい。亡くなられた方は、戒名が付けられているでしょう。それが仏教の仕来りだから、という人は実は間違っています。例えば、お亡くなりになられた昭和天皇ですが、ご在位中には誰も「昭和天皇」とは言わなかったはずです。お亡くなりになったから「昭和天皇」なのです。言わば、一般人における戒名に相当するのです。これは歴代天皇すべてそうです。歴史の時間で習う天皇の名前は、すべて死後に贈られた名前なのです。戒名は本来は生前から決まっているというのが建前です。実際に生前に戒名を決める宗派もあるし、積極的に個人が戒名を決めておく人もいます。しかし、いくら生前から戒名が決まっているからといって、生きているときに戒名で呼ばれたり、あるいは戒名をいろんな人に公表することもしません。それはあくまで死後の名前だからです。
お分かりでしょうか。日本社会では、死者は「仲間外れ」なのです。死者は早々に現世から切り離したいということなのです。戒名を与えることで死者に対して「お前は死んだのだ」ということを悟らせる、という宗教的な儀式なのです。世界の他の国でこんな奇怪な風習を持つ国はありません。しかも、日本のお墓は石です。これも私の考えでは、石なら重たくて出て来られないだろう、という封印の意味があるのではないかと思います。
では、何故死者を仲間外れにするか。それは「死」が忌避されるべきものだからです。お葬式で清めの塩をもらったりします。要するに「死」は「清めなければならない」ものなのです。この「清めなければならないもの」を日本語では「穢れ」と言います。物質的な「汚れ」ではなく、精神的なつまり宗教的な「ヨゴレ」、それが「穢れ」です。
「死」という「穢れ」は放置しておくと伝染する。自分に伝染しないためには「死」から遠ざかる必要がある。そして、そもそも「死」の原因になることを抑え込んでやろう、という思想になるわけです。自然死でもこれだけ怖れる日本人にとって、自然死ではない死はさらに忌むべきものです。そして、その自然死ではない死をもたらすもので最も大きいものと言えば。そう、犯罪と戦争なのです。(ちなみに伝染病は自然死と考えています)
普通なら、犯罪を無くそう、戦争を無くそう、という方向に議論が向かいます。しかし、犯罪を無くすためには、当然警察力を向上させ、治安維持能力を高める必要があるわけですし、犯罪者を徹底的に追捕して、刑に処す必要があるわけです。また、戦争を無くすためには、やはり戦争を起こす敵対する武装集団に対抗する武力を持って、それを抑え込む必要があるわけです。しかし、こうした警察・軍隊という仕事は、その職務上、死に触れざるを得ません。殺人犯は死に直接触れた者ですから、当然穢れている。それを追捕する警察官は、その死穢が伝染する可能性が高い職業です。また軍隊は、敵対勢力を打ち殺すことがあるのですから、当然、死穢を直接浴びる職業であるわけです。では、死穢を怖れる人たちはどうするか。まず、自分がそうした職業に付かないことは当然です。さらにいえば、自分たちがそうした死穢に触れた人と接触したくない、すなわち死穢に触れる職業は必要がない、と考えるわけです。そして、主張するのは「警察力強化反対、軍備撤廃(憲法遵守)」ということになるわけです。
警察力があるから犯罪が起きる、軍備を持つから戦争が起きる、と主張する人は、実は日本史上に「警察・軍備撤廃」が実行されたことがあるのをご存知ないのかも知れません。日本史で「平安時代」と習う時代は、名の通り「平安」だったのでしょうか。これは都に限ってはそうだったかも知れません。しかし、一歩都の外を出れば、強盗・夜盗・山賊が跳梁跋扈する超無法国家だったのです。なぜなら、平安時代には警察機構である刑部省と軍事機構である兵部省という治安維持の両輪の役所が、事実上閉鎖状態にあったからです。警察もいない、軍隊もいない、という何とも素敵な平和国家。しかし、実情はどうだったかというと、自分たちが開墾した土地に作物がなると、野盗の類が襲ってくる。そして根こそぎ収穫を持って行かれる。お役所に訴え出ても、そのお役所には警察力も軍事力もないのです。その結果、大地主(開墾地主だったり寺社だったりする)は自らの経済力で、自衛するようになります。自分の土地(縄張り)を守るために武装集団を雇ったのです。そして、この武装集団がやがて「武士」と言われる階層を形成していくことになります(寺社の傭兵は僧兵・神人と呼ばれる。秀吉の刀狩まで存在)。また、都の治安維持のために「検非違使」という令外官律令制度にない官職)を設け、治安維持活動に当たらせた。結果的には、警察力と軍事力を放棄しても、平和な社会は訪れず、検非違使を置いたり、あるいは武士の存在を黙認することで治安を維持したということになります。
日本史上で失敗した「警察・軍の廃止」ですが、これが歴史教育の中できちんと教えられていない。だから、未だに「警察・軍の廃止」を叫ぶ「平和主義者」が現れるのです。死穢を怖れたところで、何の解決にもならないことを知らないわけです。
恐らく、これを読んだ平和主義者諸兄は「オレは死穢なんぞ恐れていない」というと思います。では、武装放棄しなければならない理由は何なのでしょうか。それを教えて頂きたいのです。例えば、全世界が同時に武装放棄すればいい、というのは答えになっていません。平安時代の日本は、外国からの侵略がほとんどない時代でした。言わば、完全に閉鎖された「小世界」だったのです。その中で、政府が武装放棄した。平安期には豪族の私兵など存在していませんから、その「小世界」の中では武装放棄が実現しているのです。しかし、それでも治安は乱れ、結局、治安維持能力を持つ武士に政権が取って代わられたんですから。