歴史から学ぶこと

どうも日本では「教訓を引き出すべき歴史」は、第2次大戦だけになっているように思えるのです。そして、それ以外の歴史はあくまで「クイズ」のネタとしての歴史でしかない。知識、教養の類に留まっているように思います。かく言う私も、高校時代までは歴史ははっきり言って嫌いでした。歴史を学んで何になる、と思っていました。高校時代には理科系に進んだこともあって、社会科は歴史を選択せず、地理を選択してました。大学に入ってから、その「地理」の知識の一環として司馬遼太郎さんの「街道をゆく」を読み始めたのですが、そこで初めて歴史の面白さ、そして歴史を学ぶことの重大さを知ったのです。
今、我々がここにいること、それは歴史の一滴だと思います。その歴史は、過去に膨大な人が作り上げた成功と失敗の事例集なのです。今までになかったことを産みだす人は、天才と呼ばれます。ジュリアス・シーザー織田信長はそういう天才の部類に入るのだと思います。しかし、私はそんな天才ではない。だから、物事を考えるときには、過去の歴史上の人々がどう考えてきたのか、どういうことを行ってきたのかを参考にしたいと思うのです。
私は現代において、最も価値のあることは、民主主義だと思っています。そして、民主主義の体制が他の独裁体制から脅かされることは、あってはならないと考えています。民主主義は、決定としては多数決ですが、少数意見を封殺してしまうものではありません。民主主義は必ず言論と思想の自由がセットになっている。だから、平和主義者の方の考えはケシカランということで、抹殺してしまおう、とは思わないのです。ただ、平和主義者の主張では、私は平和は訪れないと思っています。そして、平和主義者による意見が多数を占めることに危機感を持っています。だからこそ、こうして意見を開陳し、できれば自分と同じ考え方を持つ人が多数になればいい、と思っているだけのことです。民主主義が保証される限り、自分と異なる意見を持つ人に対して、暴力で対抗するつもりはありません(こういう論旨を持つことを「言葉の暴力」と言われるとかなり困惑しますが)。
私は台湾問題をよく引き合いに出します。台湾の問題は、民主主義を考えるにおいて最も最適な(こういう言い方は当事者には失礼かもしれませんが)問題だと思うのです。圧倒的に多い人口と軍事力を持つ独裁国家と、その1/200しか人口を持たない民主国家が、わずか海峡一つで対峙しているのです。台湾と中国との間で戦争が起こる可能性は、かなり高いと思います。少なくとも朝鮮半島で戦争が起きる可能性よりは高いと思うのです。朝鮮半島有事でも良いのですが、私としては台湾、韓国という民主主義国家を支援するのは当然のことだと思うのです。無論、台湾や韓国が「日本からの支援は不要だ」というのであれば、それは仕方ない。しかし、日本が憲法やらその他の法制で、他国を一切支援できない体制にする必要はないと思うのです。確かに韓国は、日本を未だに敵視しているようです。しかし、台湾はそうではないでしょう。そこで、日本が新たに憲法を改正した挙句、集団的自衛権は保持しないと宣言してしまうと、台湾はきっと日本に対して失望するでしょう。また、集団的自衛権を保持しない、という宣言は本質的に他国との安全保障条約を認めないということです。軍事的な同盟関係を結べないはずです。それでは、国防コストがべらぼうに高くなってしまうのです。そういう判断すらしないで、やれ非武装中立だとか、あるいは集団的自衛権は不保持だ、というのはやはりおかしいと私は思うのです。
ここで、司馬遼太郎さんが小学校6年生向けの国語教科書に書かれた「二十一世紀に生きる君たちへ」という文章の一節をご紹介しましょう。
鎌倉時代の武士たちは、「たのもしさ」ということを、たいせつにしてきた。人間は、いつの時代でもたのもしい人格を持たねばならない。人間というのは、男女とも、たのもしくない人格にみりょくを感じないのである。」
これから、日本は国際的にも「たのもしい人」を目指していくべきだろうと思うのです。さすが、日本だ、頼りになる、と思われるような国になるべきだと思うのです。今回のイラクへの自衛隊派遣も、日本がたのもしい国だと思われるための立派な活動だと思います。いざ、というときは力を貸せる、そういうたのもしい国に、日本はなっていくべきだと私は考えて止みません。