どうもありがとうございます。 foursueさん

何か交換日記みたいになってきましたが、どうもありがとうございます。個人的には、こういう議論には意味があると思っていますので。
対応の日記はこちら。http://d.hatena.ne.jp/foursue/20050517
で、出張帰りで眠いのですが、何とか回答、頑張ってみます。
1)国名の呼称について。
うむ。そういう言い方をされれば、確かに私は狭量と思います。「ワシは世界の中心じゃ」とか「ウリは大なる国だ」と称することに対して、反感を持っての行動ですから。その点では、foursueさんのおっしゃる通り、私は狭量ですね。これは認めます。
2)儒教主義によるか否か
私の見解は儒教意識によるものじゃないかと分析しました。それは、他のアジア諸国との対比を考えた場合に浮き彫りになる特徴じゃないかと。それに納得されないのであれば、foursueさんのご見解をお聞かせ下さい。日記に書かれたところの

儒教に結び付けるより、政治を見る人間らしくパワーゲームで見たほうがより現実的だと思ったまでの事です。でも、パワーゲームを儒教に結びつけるのもありなのかなあ?国際影響力を高めるためにほにゃららしたとか、資源を何とか手に入れるためにほにゃららしたとかそう言うことの方が説得力ありますね。

の「ほにゃらら」を書いて欲しいわけですが、お願いできますでしょうか。私は、両国の国民の儒教意識を政治家が利用して、自らの権力基盤にしている、と考えています。
3)英雄と英霊の違い
シナ人が理解できると思ってますよ、私は。今週号のSAPIOには、靖国神社を参拝し、その意義を理解した、というシナ人女性の記事が掲載されてます。だから、理解される可能性はあると思います。ただ、それはシナが民主政体にならない限り、あり得ないだろうなと。何故なら、シナ共産党政府は歴史的事実の解釈を共産党定義の一つしか認めないからね。今のシナで、靖国神社容認する人は、恐らく監獄行きだと思いますよ。シナには言論の自由がないわけです。ちなみに、朝鮮戦争でシナ軍と戦って亡くなったアメリカ軍兵士は、当然国立墓地に埋葬されてるわけですが、何故、シナ共産党政府はアメリカに抗議しないんでしょうかね。
それから、私はシナ共産党政府は、当初、A級戦犯合祀どころか靖国神社参拝自体、文句を言っていなかった、と指摘しました。そして、その裏にはどうやら、親中派進歩的文化人的勢力が絡んでるっぽいですよ、ともね。そこ、スルーされちゃ困るんです。パワーゲームで見た方が現実的、と仰るfoursueさん、昭和60年前後の日本およびシナ経済を調べてみてご覧なさい。案外、面白い事実が出てくるかも知れませんよ。ま、単純に言うと、敗戦国の日本が世界で当時、アメリカを凌ごうかという経済力を持っているのに、戦勝国のシナは社会主義計画経済の大失敗で苦しんでいた時期だったという事実。あとは、ご自身でお考え下さいな。
で、ここは私は違うんじゃないかと。

中国人→爺さんを殺した人間を日本は祀り上げてる。許せん。(正論)
日本人→日本を守るために死んでいった爺さん達を貶めることは出来ん。絶対に出来ん。(正論)

国際的に共通認識の正論は、先日の日記で引用した台連党首の発言ですね。だから、シナ共産党政府の主張は、正論じゃないんです。で、日本の靖国擁護派(例えば私)の主張も正論じゃない。あくまで、信仰なんですよ。要するに、死者を弔うというのは、宗教(信仰)に属するものであって、そこに介入するのは信教の自由の侵害だということです。だから、日本には靖国信仰を持たない人もいるわけですね。それは個々人の自由ということ。ま、シナには信教の自由がありませんので、こういう発言が出来るわけです。
で、もう一度、繰り返しますけど、今のシナ共産党政府支配のシナに対しては、説得不可能だと思いますよ。何せ、国全体を「爺さんを殺した人間を日本は祀り上げてる。許せん」で統一してて「でも、それぞれの国で戦争犠牲者の供養の仕方は違うよね」という意見は、全く通用しない国ですから。