読売が狂っています

タイトル見たときは、聖教新聞の社説かと思いました。
「[靖国参拝問題]「国立追悼施設の建立を急げ」」
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20050603ig90.htm

“犯罪人”として認識しているのであれば、「A級戦犯」が合祀(ごうし)されている靖国神社に、参拝すべきではない。

首相の「戦犯」認識を批判することは大いに結構。しかし、参拝すべきではない、という主張は、他人の信教の自由に掣肘を加えていることになるが、それに気が付いているか? 気が付いていたら書かんわな。私も首相の「戦犯」認識は大いに間違っていると思う。森岡政務次官によく教えてもらいなさい、と申し上げる。しかし、靖国に参拝すべきではない、とかすべきだ、とは言うつもりは一切ない。首相自らの信仰に従って下さい、と申し上げる(ということ自体も本質的にはおかしい)。

小泉首相は、岡田代表の質問に答える中で「首相の職務として参拝しているものではない。私の信条から発する参拝」と述べ、私人として参拝しているとの立場を表明した。
私的参拝であるなら、参拝の方法も考えるべきではないか。昇殿し、「内閣総理大臣」と記帳するのは、私的参拝としては問題がある。

そもそも公的、私的という概念がおかしい。小泉首相の「首相の職務として参拝しているものではない。私の信条から発する参拝」は、何かおかしな点があるか? まず、日本国首相の職務に靖国神社参拝があるのか? 内閣総理大臣と書いたら×で、書かなかったら○ってか。それでも、内閣総理大臣小泉純一郎靖国神社に参拝した事実は変わらんよ。説明しようと思えば、「私の信条から発する参拝」としか言いようがないだろう。答えの組み合わせを考えてみる。
「首相の職務として参拝している。私の信条から発する参拝でもある」
首相に「靖国参拝」が義務化されることは、非靖国信仰者に対する信教の自由の侵害になるので、×。後半は○。
「首相の職務として参拝している。私の信条から発する参拝ではない」
前半は上記の通り。後半は、日本国首相になるためには信教の自由を奪われることを意味することになるので、×。
「首相の職務として参拝しているものではない。私の信条から発する参拝でもない」
こんなことを言うヤツは、頭がおかしい。論理構造が成り立っていないので、×。
「首相の職務として参拝しているものではない。私の信条から発する参拝である」
首相に「靖国参拝」が義務化されていないので、○。後半は、日本国首相も、一国民として信教の自由を保障されることを意味しているので、○。
つまり、小泉首相の答弁以外、自由民主主義国家ではあり得ないんですがね。

ただ、国内にはさまざまな宗教・宗派があり、現実に、宗教上の理由からの靖国参拝反対論も多い。

別に結構じゃございませんか。靖国神社が反社会活動を行っているわけではありますまい。それなら、各宗教・宗派で、宗論を戦わせればよろしいだけのこと。その自由も、日本国にはあるはずですが。

靖国神社が、神道の教義上「分祀」は不可能と言うのであれば、「問題解決」には、やはり、無宗教の国立追悼施設を建立するしかない。

ってさ、あるんですけど。「千鳥ヶ淵戦没者墓苑http://homepage2.nifty.com/boen/ なんですけど、このHPの紹介には次のようにあります。

千鳥ケ淵戦没者墓苑は、昭和34年(1959年)国によって建設され、戦没者のご遺骨を埋葬してある墓苑です。

だから、建設しなくたっていいじゃんか。あるんだってば。んで「千鳥ケ淵戦没者墓苑の沿革」という項目を読むと、

民間団体の慰霊行事は、それぞれの形式で行われ、仏教形式によるもの、キリスト教形式によるもの、神式で行われるもの等それぞれの信じる形式で行われております。

ほら、各宗教が自由に慰霊して結構です、という施設がきちんとあるじゃないですか。何でこういう議論で、千鳥ケ淵戦没者墓苑は無視されてるんですかね。意図的か? 昨年は8.15に小泉首相靖国神社だけじゃなく、千鳥ケ淵戦没者墓苑にも行ってるんですけどね。千鳥ケ淵で手を合わせ、さらに靖国で手を合わせる。それの何が問題なのでしょうか?
再び、読売の社説に戻ります。

米国のアーリントン墓地には、外国の元首などがしばしば献花を行う中心施設として無名戦士の墓碑がある。

ほう。ということは、千鳥ケ淵戦没者墓苑はアーリントン墓地の無名戦士の墓碑と、ほとんど同列のものじゃないか。もっと千鳥ケ淵戦没者墓苑のことをアピールすればいいだけじゃないか。小泉首相は、靖国神社だけを参拝しているわけじゃないだろ? 千鳥ケ淵戦没者墓苑にも毎年行ってるだろ?
すでにある千鳥ケ淵戦没者墓苑を、全く無視した読売の社説は、何か意図的な臭いを感じる。そう、広告主である創価学会の臭いを、私は感じる。読売新聞に限らないのかも知れないけど、読売はほとんど毎日と言っていいほど、創価学会系出版社の広告が掲載されている。創価学会の会員数は、公にされていませんが、日本人の15人に1人が、創価学会員であるというデータもあります。ということは、読売新聞社内にも創価学会員が入り込んでいるという可能性は十分考えられます。
その公明党は、どういう動きを見せているかというと、
「国立追悼施設、公明が調査費要求へ…対中改善図る」
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20050603i401.htm

公明党は2日、靖国神社に代わる国立戦没者追悼施設の建設について、2006年度予算案に調査費を計上するよう、政府に求める方針を固めた。
小泉首相靖国神社参拝に中国などが強く反発していることから、追悼施設の建設を関係改善の足がかりとしたい考えだ。近く同党幹部が政府に直接伝える見通しだ。

見事に本日の読売の社説にリンクしています。こと、靖国問題に関しては、読売も狂ってしまっているようです。
もし、読売の主張どおり、国立戦没者追悼施設ができたとしても、私はそこに足を運ぶ気は一切ございません。シナ共産党政府と南朝鮮創価学会の意でできた、新しい「中韓創神社」なぞ、私は絶対に行きません。そういう施設が、戦没者を追悼するものとは、私は思いませんので。