私見:シナ共産党政府およびそれを支持する方々の拠り所

シナには未だに儒教的な考え方が蔓延っているということは、この日記で何度も書いてきました。それが最も顕著に現れているのが、権力の継承方式だと思います。
儒教的な考え方では、最も理想的な政治権力の移譲は世襲ではありません。禅譲と呼ばれる方法が最も理想的と考えられています。その禅譲、シナ大陸帝国の歴史の中で、実は2回しか行われていません。これが有名な「尭舜の世」ですね。簡単に言えば、非常に優秀だった帝王の尭は、部下の中で優秀だった舜を選んで、後継者にした。その舜も、また部下の中で優秀だった禹を選んで後継者にした。しかし、禹は自分の息子を後継者にし、以後、シナ帝国は世襲によって権力委譲が行われることになった。
この尭も舜も禹も実在は不明です。ゆえに伝説と考えた方がよいでしょう。しかし、これは日本の建国神話に匹敵する、シナ大陸における神話と言っていい。つまり、シナ人、特に読書階級にとって最も理想的な権力委譲の方法は、尭舜しか行わなかった禅譲である、ということです。
日本でも「尭舜の世」と聞くと「理想的な時代のこと」と考える人が多いかと思います。勝海舟アメリカの政治体制を説明された、儒者横井小楠は「それは尭舜の世だ」と言ったという逸話は有名ですね。
この尭舜の禅譲は、一本理屈が通っています。優秀な指導者が、次の指導者を指名する。優秀な指導者とは、間違った選択をしない人のことであるから、その指導者の選択による後継者が優秀でないわけがない。これが繰り返されれば、常に優秀な指導者によって、国が運営・指導されていくというわけです。
これに何の疑問も持たない人は、貴方は親中派の危険性(?)ありです。
横井小楠、実は間違ってるんですね。アメリカの政治体制は禅譲じゃない。民主主義なんですね。まあ、小楠が間違っているというのは言い過ぎかも知れません。小楠は「世襲ではない」ということと「民にとっての善政を行う」という二点を儒学の古典から引き出せば、それは尭舜の世である、と言っただけなんですね。アメリカの政治体制の最も重大な部分である「民主主義」が抜け落ちているんです。
これで気が付くことがありますね。そう、今のシナ共産党政権は、完全に禅譲なんです。指導者が次の指導者を指名していく。つまり、共産党幹部の連中は、自分たちは伝説時代にしかなかった禅譲を、現在に具体化しているのだ、と考えているわけです。彼らは民主主義なんぞ理想ではない。彼らの理想はあくまで「尭舜の世」です。
だから、国民党がシナでは受け入れられず、共産党が受け入れられたというのもわからんでもない。蒋介石は明らかに蒋王朝を作ろうと思っていたはずです。でなければ、蒋経国なんていう露骨な名前を息子に付けるとは思えません(もしかしたら経国氏が自称したのかも知れませんが)。しかし、毛沢東世襲体制を引こうと考えていた様子はありません。あくまで自分の「お気に入り」に権力を移譲させようとしていた。つまり、国民党は清朝を次ぐ新しい世襲の帝国を作ろうと思っていた。それに対し、共産党はシナ古来思想の理想形態である「尭舜の世」を作ることを標榜したわけです。民主主義という選択肢がなかったことを考えれば、シナの人々がどちらを支持したか、何となくわかるような気がしませんでしょうか。
ただ、この「優秀」な指導者ですが、誰が「優秀」であると判定するのでしょうか?
そう、民主主義は「優秀」判定を国民が選挙の形で行うわけですが、独裁体制での禅譲では誰が優秀と判断するのか。それは前の指導者が優秀であったからだ、と言うしかありません。そうなると、建国時の指導者まで遡っていく必要がある。そして、その建国時の指導者は徹底的に神格化しなければならないわけです。そうでないと、自らの権力基盤が危うくなるからですね。また、政権移譲時期に自らを批判したものは、当然、自らの正当性だけではなく、前任者の「優秀さ」を損ねる点になりますから、当たり前のことですが、こういう存在は抹殺します。つまり、共産主義国家に付き物の「粛清」ですね。また、こうした権力闘争の内面は、人民に教えるわけにはいきません。だから徹底的に情報管制を行い、政権にとって都合の悪いことは徹底して隠すということになる。禅譲というのは、やっぱり伝説でしかないわけで、これを本気でやってしまうと、凄惨なことになってしまうわけです。これ、全てシナで現実に起こったことですけどね。
で、日本でも親中派と呼ばれる方々は、押しなべて古典にも精通されているような、いわば温厚篤実な知識人が多いような気がするんです。で、彼らは案外、本気で「尭舜の世こそ理想の政治形態である。民主主義よりも尭舜の世である」と思っているんじゃないかと、私は思っています。そうじゃなければ、あそこまでシナ共産党政府に肩入れできるとは思いませんしね。
はて、そう考えてみると、カール・マルクスは案外、シナの古典に精通していたのかな、と思ったりしてますが、真相はどうなんだか。誰がご存知の方、教えて頂けますでしょうか。