教科書検定なんか廃止しちまえ

何故か文部科学省ではなく、外務省のページに書いてありました。
「日本の教科書検定制度」
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kentei.html
ま、ここにツラツラと書いてあるわけなんだけど、こりゃどの国の人が見たって理解できますまい。

教科書が完成すると、出版社は見本を文部科学省に提出します。そこでは、教科書用図書検定調査審議会が教科用図書検定基準に基づいてその内容を審査します。審議会の提言に沿って、文部科学省は、ふさわしくない文言について再度検討するように出版社に伝えます。その後、出版社の修正が出され、審議会が、十分修正がなされたと判断すれば、適正なものと答申され、これに基づき文部科学省が検定の合否を決定します。(なお、この過程は1989年にかなり簡略化されたため、出版物における出版社の表現の余地は拡大しました。修正が求められても、教科書自体が不合格となることは極めてまれとなっています。

何のためにやってるのか、ぜ〜んぜんわかりませんがな。
で、これを解釈すると、次のようなことですね。

  1. 「ふさわしくない文言」という表現による言葉狩り。すなわち表現の自由の侵害。
  2. 不合格にするわけじゃないのに検定するという名目による、文部科学省の予算死守。

はっきり言えば、これ以外ないわけですよ。ほとんど不合格にならない「検定」なんか、何の意味があるんだと。それならせめて、文部科学省の推奨度くらい付ければいい。扶桑社の歴史教科書は10点満点で2点だが、清水書院の歴史教科書は8点である、とかね(別に扶桑社や清水書院に何か因縁があるわけじゃないです。あくまで例として)。英検なら1級とか2級とかあるじゃないですか。歴史教科書1級とか2級とかでもいい。そんなこともせず「検定合格」とだけで出してる。何の検定やねんと。で、それが何の仕事やねんと。自分が書いたわけじゃない、他人の文章に校閲するだけなら、役人がやらんでもよかろうと思うわけです。
でね、思うにこれは、教科書業者と文部科学省との癒着構造なんですな。多分、検定に必要な手続きってのは、すごく鬱陶しいと思うんです。上記の外務省のサイトによると、

以上の全過程はかなりの時間を要します。ほとんどの教科書作成プロジェクトでは、執筆チームが結成されてから、教科書が教室で実際に使用されるようになるまでには最低でも丸3年かかります。

要するに、これも一種の「規制」なんですね。規制を設けることで、新規参入業者が入って来にくくする。教科書に至っては、3年ですよ、3年。教科書を作ることで、利益を出そうとしても、答えが出るのは3年後ですよ。そんなの新参者ができるわけがない。これは旧来の教科書業者と文部科学省による利権構造なんですな。ただ、土建と比べて、額面が大きくないから問題になっていないだけだとも言えます。
で、なまじ国定教科書かよって思わせるような制度だから、シナとか南朝鮮みたいに、自分のところの価値観でしかモノを見ない連中から、文句を言われるわけです。
だから、教科書検定制度なんか止めちまえばいいんです。
そもそも言論の自由を標榜する連中が、扶桑社の教科書はダメだという。扶桑社にはモノを言う自由はないのか。自分たちには言論の自由はあるが、他人にはない、というのは一体どういう了見なのか。それならば、言論の自由を一番縛っている、文部科学省にこそ文句を言うべきじゃないですか。何でイチイチ役人にお伺いを立てないと教科書は作っちゃいけないんですかって言うべきじゃないですか。検定制度を廃止してくれって言えばいいんです。文部科学省の役人と教科書作成会社は癒着してるんじゃないかって言えばいいんです。
でね、何故、言論の自由を標榜する連中が、検定制度を死守したいかって言う理由も、ここにあるわけです。イデオロギスト歴史学者の連中の利権構造になっている。ここで検定制度が廃止されると、商業ベースを主力にしている出版社も参入してくる。そうすると、今まで教科書利権から離れていた人たちがどっと教科書執筆に参加してくる。そのとき、世に溢れる教科書から選ばれ売れるものが、明確にわかるようになる。
そのときの現実が、彼らは怖いのでしょう。
イデオロギストは現実を直視することに大変臆病にできています。彼らは、明確な証拠・典拠なしに、自らは世の中に受け入れられていると信じている。いや、信じてないんですが、そう言う。しかし、教科書検定が廃止されたとき、自分たちの牙城が崩されることに非常な危機感を抱いているのでしょうね。だから、普段は言論の自由を掲げながら、こと教科書検定については、これを守ろうとするダブルスタンダードに走らざるを得ないんだと思います。
ま、この際ですから、教科書検定を廃止して、どんどん自由に教科書を執筆していただけると私は嬉しいですな。中には、本気で軍国主義賛美の教科書も出るかも知れませんが、そういう考え方の人がいる、ということを隠す方が、社会にとってはよっぽど不健全だと思います。あるがままの現実を見ること。それが大事だと私は思います。