責任の所在は明確にすべき

責任の所在を明確にすることは、誰が悪いかを糾弾することである、と私は考えていません。
特に太平洋戦争論では、全国民に責任があったという人から、昭和天皇陛下に責任があると言う人まで幅広くいますが、正直なところ、責任の所在が曖昧なのは、よろしくありません。
まず、昭和天皇陛下には一切の責任がないことは、拙日記で何度か述べておりますので、割愛させて頂きます。ちなみに、私は「感情的責任論」には全く与しません。「責任」とは、すべてルールに書かれている内容に従うものであり、それ以上の「責任」は発生しない、という立場ですので。
(参考エントリー:「■ [社会] 遅ればせながら憲法について考える」http://d.hatena.ne.jp/sanhao_82/20050506#p1
民主国家では、権力者(こういう言い方は嫌いですな。ここでは三権の執行責任者と言うことにします)と国民とを切り離して考えることはできません。国民は、選挙を通じて、三権の執行責任者を選出します。ですから、行政上の失敗は国民の責任でもある、という。私も基本線はそう思いますが、ここでいう「責任」と三権の執行責任者が負う責任とは、性質が全然異なるものであることを理解しておく必要があります。
国民の「責任」という場合。これは、三権の執行責任者(国会議員、内閣、裁判官)が何らかの失敗をした場合、それを選挙によって選んだのだから、その失敗の結果は甘受しなければならない、というものです。
しかし、執行責任者の「責任」は、それとは違います。
確かに選挙によって選ばれた人たちではあります。しかし、例えば執行内容の個々の項目について、いちいち議会に「やっていいですか?」という伺いを出すわけではありません。簡単な例で言うと、軍隊には大枠の戦略については、予算審議において議論され、必要な予算が与えられます。しかし、軍事作戦の一つ一つまで議会に答申されるわけではありませんね。つまり、与えられた予算の枠内で作戦を実行するのは、軍内部の組織系統によって行われます。そこに、作戦を実行する際の責任者がいる。
これは軍隊じゃなくても、各官僚組織でも同じことです。軍隊が特別なんじゃなくて、軍隊も行政サービスの一機関の官僚組織ですから、他の官僚組織でも個々の事項に対して、毎回毎回議会に伺いを立てるわけではありませんね。
つまり、ここでは大枠で決まった範囲の中で、どういう項目を選択し、実行するか、という意味での「責任」が発生するわけです。そして、この「責任」については、国民には一切発生しないのです。
例えば、どこかのビルで人質を取った立て籠もり事件があったとする。私がテレビのコメンテータか何かで「人質に多少の被害が出てもやむを得ない。警察はよろしく強行突破すべきである」と言ったとします。それを、たまたま警察庁長官(あるいは事件現場の責任者)が見ていたとする。よし、sanhao_82の言うことは尤もである、として強行突破したとします。で、人質の方が亡くなってしまったと。
このとき、誰に責任があるんですか?という話です。私には行政執行上の責任はない。私は、一つの解決策として強行突破が望ましい、と言っただけです。それを採用し、実行に移すよう指示した警察庁長官に責任があるはずですね。
それと同じことは太平洋戦争でも当てはまるわけです。
確かに当時の日本国民は、アメリカと外交上対立することを支持しました。シナ利権確保のための軍事行動(侵略でも進出でも何でも良いです。お好きなように解釈下さればよい)が、アメリカとの外交上の対立点の中心であったことは確かですね。ちなみに、アメリカは正義の味方として(つまりシナを守るために)日本と対立したんじゃない。あくまで、シナ利権を日本に独占されないためです。最終的に、戦争回避に向けた動きもあったにせよ、それは成就せず、戦争になった。そして負けたと。
このアメリカとの外交上対立する政策の終着点としての戦争、そして敗戦。この責任は誰にあるか、というと、それは当時の内閣にあったということです。国民には、ない。国民は、敗戦という行政政策の失敗の責任を、内閣に問う立場ですね。
何で負けたのか。誰が何時、どのような理由でどのような判断を下したのか。
誰、は、そういう意味では、問うことは無意味ではないのです。執行責任者として、的確な人物はどういう人なのか、あるいは不的確な人物はどういう人なのか、を考える上では必要なことです。ただ、我々がそこから出すべき結論は、例えば「東条英機が悪い。俺たちは悪くない」ではない。「東条英機のような人を戦争執行責任者に選んだのは間違いだった。今後はそういう人を選ばないようにしよう」ということです。
(正直なところを申せば、私は東条英機という人は、内閣総理大臣になるほどの器の人物ではないと思っています。戦争指導者として、全く無能であったと。それはチャーチルとの対比をしてみればわかるように思います。そこはまた別の機会にできればします。)
日本国民は、東京裁判によって、自らによって自らが選んだ執行責任者の責任を問う機会を奪われて、そのままにしてしまいました。そもそも、そこが間違いだったんです。例えば、太平洋戦争中に日本と同盟国だったタイの例を挙げると、
「国際派日本人養成講座 地球史探訪:日泰友好小史(下)」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog064.html

連合軍は、戦争犯罪人を裁くと主張したが、タイは自国ですると主張し、ピブン元首相以下10名を逮捕して裁判にかけたが、その後、容疑者全員を釈放している。驚くべき事に、戦犯として逮捕されたピブン首相は、すぐに釈放され、戦後また首相に返り咲いている。そして反共親米政権を作った。

日本はこれができなかった、というか、しなかったんですね。私は「釈放した」という結果のことを言っているんじゃない。タイは「自国でする」と主張し、その通りにしたことを言っています。戦後日本の不毛な「戦争責任論」の発端は、ここにあると私は考えています。
ともかく私の考えでは、敗戦責任は当時の内閣にあります。これは、昨今言われている「戦争責任」とは全く別のモノです。日本国民に対する行政政策失敗の責任としての「敗戦責任」であって、あくまで行政権の執行責任者としての「責任」です。まあ、簡単な例で言えば、プロスポーツチームの監督やフロント責任者が成績不振を理由に解雇されるのと同じです。選手には「責任」はないし(これは軍隊の兵士に相当する)、サポーターやスポンサーにも責任はない(これが国民に相当すると考えればよいかと)。
日本国民全員に責任がある、というのは、美論であっても(美論でもないと思いますが)、実体は「誰も責任取りません」と言ってるのと同じことだと思います。だから、私はその考え方には与しません。
「責任論」は「責任を擦り付ける」ためにあるんじゃなくて、どういう人間に今後の判断を任せていけばいいのか(あるいは任せられる人間になるには、どういう考え方を持てばいいのか)、その材料にするために必要なことだ、と私は考えています。