朝日がまた毒電波社説

さらに、昨日の社説も取り上げぬ訳には行きますまい。
「教科書採択 こんなやり方でいいのか」
http://www.asahi.com/paper/editorial20050730.html
まずタイトルからしておかしい。他にどういうやり方があると言うのでしょうか。

まず、歴史教科書の選定にあたって、とくに着目する点として(1)北朝鮮による拉致問題の扱い(2)日本の神話や伝承(3)竹島尖閣諸島の扱い、を挙げて一覧表をつくったことだ。
 いずれも「つくる会」が力を入れている項目であり、8社の教科書の中では神話などの記述が最も多かった。
 歴史教科書は、日本の長い歴史というものを教科として学ぶための教材である。この3点が大事でないというつもりはない。しかし、何よりも重要な項目だろうか。

他の点については、どの教科書も大差がないってことでしょうがね。ただ、日本が歴史の問題と絡んで直面している拉致問題竹島尖閣問題、そして歴史そのものである神話や伝承、これらは最も重要な項目と考えられますが、何か?

検定を重ねるようで点数化には賛成できないが、合計点が最も高いのは4校とも扶桑社以外の教科書だった。

手段が賛成できないのなら、その結果についても否定しろよ。結果はちょっとだけ自分たちに都合が良かったからって、飛びつくなっての。

これでは、都教委は初めから扶桑社版の採択を決めていたのではないかと言われても仕方あるまい。

教委としては決めてたんじゃない? それって何か悪いことですか? 教委の各委員にも、それぞれの思想や信条があるわけですからさ。

なかでも見過ごせないのは、都教委が学校の意見を排除していることだ。

これ、面白いので後で。

教科書を使うのは教師と生徒である。教育は学校全体の取り組みであり、各校とも子どもたちに何を、どのように学習させるかを真剣に考えている。どんな教科書を使うかは保護者にとっても大きな関心事だ。

教科書を使うのは「教師と生徒」だってさ。アホか、生徒だよ。教師は使わせる立場なの。教育は学校全体の取り組みじゃない。教育委員会も含めた、自治体、ひいては国全体で真剣に考えるものなんだよ。学校だけでクローズしようとしてた、これまでのあり方を変えようってのが、最近の風潮なんですがね。

教育委員会が一方的に教科書を選び、現場に押しつけるようなやり方では、学校や教師の意欲が低下しかねない。

「学校」の意欲って何だ? 思想の違う教科書で指導することになる、日教組の教師の意欲が低下するだけだろ。だいたい、これまで日教組の教師が教育に意欲を持っていたとも思えないが。

東京都教委は卒業式でも教員の処分を振りかざして日の丸・君が代を強制してきた。教科書採択でも同じような押しつけを繰り返すつもりだろうか。

ルールの守れない(公式行事での国旗掲揚・国歌斉唱は東京都教委が決めたルール)大人をけん責処分して何が悪い。朝日だって、自社のルールを破った人間は処分するだろうに。あ、でもルールだった「テープ隠し撮り」を破ってもけん責しないだったっけ。お偉いさんがルール破りを推奨してたんだっけ。そういう新聞社に「ルールを守る」ということは理解できなくて当然ですね。

法律の上では教科書は各地の教育委員会が決めることになっている。それでも多くの教育委員会が学校や教師の声も参考にして決めてきた。それが子どもたちにとって有益だと判断したからだろう。
 教科書採択は、8月末の期限を控えてこれからというところが多い。教育現場の声にも耳を傾け、選んだ経緯は公表して丁寧に説明する。そうした採択であってほしいものだ。

都教委は、教師の声を参考にしないことが、子供たちにとって有益であると判断したわけだが、何か? 教師になりたいと思っている若者はたくさんいるよ。扶桑社の教科書を使うことがいやなら、公立校の教師を辞めろって。
以上、本日の社説の内容は、日教組の代弁をしていたようです。発行部数低下の折り、日教組だけは有力な支持母体として確保しておきたいということでしょうかね。