こういうときに識者が「バカ」だとわかる

とりあえず、このニュース。
明徳義塾が甲子園出場を辞退、喫煙や暴力で」
http://www.yomiuri.co.jp/sports/hsb05/news/20050804it04.htm
私は根本的に全県代表のトーナメント方式で戦う大会は、インターハイだけにするべきと考えています。甲子園大会や高校サッカーなどは、地区代表10校程度に絞って、リーグ戦にするべきです。また、地区レベルでも各管轄団体がレベルを設定して、トーナメントではなく実力相応のリーグを作って試合をさせるべき。リーグ戦にすることで、試合数が増えることがまず挙げられるけれど、それ以上に「負けた後、失敗した後にどう立て直すか」ということを考え、実践させることが教育上最も重要だと思うのです。たかだか30年そこそこしか生きていない私ですが、人生なんぞ失敗の連続です。その失敗から何を学び、どうやってリカバリーするか、というのが大変重要だというのが、32年間で得たものです。
さて、この明徳義塾の問題ですが、私は「最も嫌い」なチームの一つです。それが「松井秀喜5連続敬遠事件」。これは甲子園大会における最大の恥辱だと私は考えているのですが、一発勝負トーナメント方式の弊害の極みです。で、私はこの事件を起こした監督は、とっくに辞めていたと思ったいたら、2002年の夏に優勝したときの監督と同じだったんですね。そして、今回の不祥事。
私に言わせれば、この事件は「この監督の下であれば、起きるべくして起こった」事件ですな。
勝利の追及は悪いことではない。でも、そのために立ち向かうべき大きな敵(例えば超高校級だった松井秀喜)との勝負を避けるなんてことをさせる監督は「失敗した後の立て直し」なんて考えていないんです。考えていないから、形振り構わず勝つことだけを追いかけてしまう。そうなると、レギュラーポジションを取れず(明徳は部員も多いでしょうし)、ベンチにすら入れない生徒たち、すなわちすでに「失敗している」生徒たちのことは、全く考えていないということだろうと思います。
さて、記事によると次のように書かれています。

今年4月から7月にかけて、部員11人(2年3人、1年8人)が野球部の寮内で喫煙していた。また、1年生部員が5月から7月にかけて、上級生から正座をさせられたり、腕や胸をたたかれたりするなどの暴力を受けたという。喫煙は主将とマネジャーが発見し、暴力行為は被害を受けた1年生部員の保護者が7月15日に同校に抗議して発覚した。しかし、同野球部の馬淵史郎監督らは事実関係を確認したものの、学校長や高野連への報告をしていなかった。

不祥事の後始末については、ここでは論うことはしません。ただ、これを見ると「寮内で喫煙」し、しかも3ヶ月間もであり、かつ発見したのは主将とマネジャーとあります。ですから、チーム全体が部員の喫煙を知っていたということです。私は中学時代、地域でも名うての「不良」校に通学していましたが、喫煙者というのは隣に立っただけでわかるもの。ということは、3ヶ月間も一緒に練習をしてきた指導者、他の部員は、事実上黙認していた、ということですね。あるいは「アイツらのやることはオレには関係ない」とお互い思っていたか。
どちらにしても、指導者側の監督不行き届きでもあり、また同僚部員にもチームを愛する気持ちがなかった、ということです。だから、私は今回の出場辞退(というよりも、本来高野連が出場停止すべき)は当然だと思います。
ところが、識者に限ってこんなバカなことを言います。読売の紙面・スポーツ欄には、二宮清純氏のコメントが出ています。

高校野球を教育の一環とするなら、不祥事にかかわっていない子どもたちが道連れになるのはどうか。頑張っても報われないということになり、心の傷が心配だ。名の通った学校には100人を超える選手が集まり、一人一人のケアも考えなければならない。今回の問題は、強かったらいいという考えに対しての戒めだろう。

「名の通った・・・」以降は私もまあ同感。ケアっていう言葉は嫌いですが、100人以上の部員を集めた以上、それを責任持って指導・監督するのは大人の義務ですから。しかし、前段がダメすぎる。まあ、上記の事実を詳しく知らされずにコメントを求められたのかも知れませんが、チーム(明徳は学校全体がチームと見ても良いでしょうし)に迷惑をかけないことというのは、自らが不祥事を起こさない、ということだけじゃない。不祥事の火種になることを未然に防いだり、あるいは起こったことでも最小限に食い止めるために、例えば喫煙している仲間に喫煙を止めさせたりすることも入ってるはずでしょ。それが教育ってもんじゃないんでしょうか。