後藤田正晴氏、逝去

とりあえず、朝日の記事から。
「最後まで貫いた「非戦」 亡くなった後藤田元副総理」
http://www.asahi.com/politics/update/0921/005.html

19日、死去した後藤田正晴氏(91)には、二つの顔があった。警察官僚トップ出身で「カミソリ」と恐れられる一方、晩年は、憲法改正自衛隊の海外派遣に慎重なハト派保守政治家の代表的存在だった。戦争体験を持たず、改憲を志向する若手政治家が与野党を超えて増える中、後藤田氏の死去は政治家の世代交代を改めて印象づけた。

ふ〜ん、そうですか。ご冥福をお祈りいたします(棒読み)。
というのも、以前、拙日記でも取り上げましたが、後藤田氏は次のように仰っていた。
「■[社会] 論理的であっても非現実的」
http://d.hatena.ne.jp/sanhao_82/20041125/p1

■現状への懸念は。
「戦争はいったん決めると、とことん行くまでやってしまう。太平洋戦争開戦時、僕は陸軍の下級将校だったが、無理な戦争を始めたなと思った。サイパンが落ちたときに手を上げるべきだったができず、沖縄まで行った。しかし有効な反撃ができない。毎日毎日前線が下がってくる。こんな戦を何でやるんだと本当に思ったな。それでもやめられないんだ。
日中戦争もそう。撤兵の判断ができなかった。イラクもそうなるよ。今度続いて行ったら引き揚げの理由がなくなる。(大義名分がなく)『無名の師』といわれたシベリア出兵の失敗を学ぶべきだ」

それに対する私の意見。

「撤兵の判断ができなかった」理由は何なんですかね。それを考えるのは政治家としての勤めだったんじゃないの? それとも未だに分からないのなら、他人がお書きになった本でもお読みになればよろしい。他の国は、国が滅びる前に戦争を(上手か下手か別として)止めてるものなんです。なぜ日本は滅びるまで戦争したのかを考えるのは大事なこと。(中略)後藤田氏だって「無理な戦争を始めた」と思いつつも「これは無茶ですね」とは言わなかったわけでしょ。

で、これについては、那伽扉さんの「キティハケーン」が面白い見解を示して下さっているので、ご紹介します。
犬猿の仲」
http://kittyhake-n.moe-nifty.com/diary/2005/09/post_6519.html

大きな過ちはおまいさんの政治判断だと百万遍くらい抜かしてやりたいですが、何か。そのアジア近隣諸国友好云々の発狂思想のおかげで、日本国民の血税がどれだけ無駄に消費されているのかご存知であったのだろうか。徳島の後藤田王国だけが日本の国土ではないのだが、目の玉が腐っていたのか脳味噌がとろけていたのかどちらかだろうね。
オレは昔から後藤田の思想信条は許しがたいそれだと認識していて、分かりやすい言葉でいうなら売国奴だと規定していた。社会党だとか日本狂惨党は分かりやすい売国奴なのだが、自民党の闇の奥に巣食う巣窟の中にいる売国奴がいて(今で言うと河野洋平ね)そーゆー性質の輩が表面化したのが、故後藤田正晴氏だったとオレは思う。分かりにくい売国奴は始末におけないよ。
オレの穿ったモノの見方だが、このジイさんは元々警察畑の人間。戦前の昔から警察と帝国陸海軍は犬猿の仲であることは周知の事実。よって、戦争を憎むとゆーよりは、ただ軍が嫌いだっただけなのではなかろうか。過剰に自衛隊を毛嫌いしたのもそう考えてみると合点がいくのだが……。

お見事です。
ちなみに、シナ共産党南朝鮮靖国カードを与えた「風見鶏」中曽根康弘氏が首相だったときの官房長官こそ、後藤田正晴氏。また、シナ共産党南朝鮮にとって「都合の悪い」歴史を語ると、閣僚を辞任する羽目になる、という流れを作ったのも、後藤田正晴氏。ときの文部大臣・藤尾正行氏を辞任に追いやった張本人でもあります。その流れは、小泉純一郎氏が首相になってようやく止めることができたわけです。すべては、後藤田氏から始まっていたんですね。