祖先神が女性ということ

id:Bimyoさんにコメント頂いていた皇位継承ネタ関連。男系継承は、女性蔑視じゃないですよっていうお話。
何故、女系天皇が今まで認められなかったのか(あるいは、これから認められないのか)、ということを考える上で、天皇家と宗教、すなわち神話や記紀との関係を無視することは、本来できないはずです。ところが、今、行われている議論のほとんどは、やれ男女平等だ、とか、やれY型染色体の遺伝子がどうだ、とかで、賛否両論ともちとおかしいのですね。何で、天皇家と宗教の関係を無視するのでしょう。ここが答えに決まっているんですから。
天皇家の祖先神は、天照大神とされます。これは太陽を神格化したものですね。で、日本では太陽が最高の地位にあるわけで、かつその太陽は女性である、と。
これは、世界的に見ても非常に珍しいのです。
まず、太陽が神々の最高の地位にあることすら、珍しいのです(もっと言えば、太陽神信仰もそれほど多くない)。世界中に神話は残っているのですが、ほとんどの場合、最高神は「天空」を司る神、すなわち天空神。天空神の下に、太陽神や月神などがいる、というパターンなのですね。太陽神を最高神として信仰するのは、アンデスなどの南米文明などに見られるだけ。また、太陽神が女性、というのも珍しい。というか、恐らく日本だけかと思います。
さて、宗教的側面から皇位継承を考えると、女系天皇はあり得ない、と以前のエントリに書きました。男系で男子を優先して皇位を継承することは性差別である、という方々が多いのですが、これには次のように申し上げたい。
この日本の神話ほど、女性を大事にしたものはないと。
その象徴が、天照大神が女性である、という点であると。
天皇家は、戦前まではごく普通に日本の「象徴」すなわち「国体」であると思われてきました。戦後の方がよっぽど「象徴」と見ていないと私は思います。つまり、日本という「nation(くに)」そのものが天皇家だったわけです。天皇家は、女性から始まった。つまり、日本は女性から始まった国である、ということが高らかに宣言されているわけなんですね。
これのどこが女性蔑視なんだろうか。
むしろ、女性を称え、女性に感謝しているようにしか、私には思えません。男性が女性を称え、感謝する意識を体系化したものが、日本の神話だと思っています。
神話の世界は、結構面白いし、女性が登場する機会も多い。例えば、東西南北の東だけ「アヅマ」という言い方がありますね。これは、日本武尊が自分たちの航海の安全のために海に身を投げた妻を思い、足柄山に登って、東(妻が身を投げた海の方角)を見て「吾が妻や」と嘆いたことが語源になっています。これは非常に美しい話。
もうちょっと下世話な話だと、確か継体天皇の話だと記憶していますが、あるとき継体天皇のもとに一人の女性がやってくる。侍従が話を聞くと「私は天皇の子を妊娠している。天皇は私の面倒を見なければならない」と言う。侍従が天皇に告げると「ああ、確かにあの女を抱いた。一夜限りの関係だ。だから妊娠するはずがない」と言う。侍従が天皇に「陛下、何回お抱きになりましたか?」と聞くと、天皇は「7回」。侍従は「陛下、そりゃいくらなんでも妊娠します。彼女たちの面倒をみましょう」というオチがつきます。
どちらの女性も、キリスト教では「アダムの骨」から生まれた「半人前」の存在とされる女性の姿とは、全く違いますね。愛する夫のために自らの命を捨てる妻。そして、相手が日本の支配者であっても子供の認知を迫る、何となく現代的な女性。明らかに、日本の神話に出てくる女性は、一人の人格として一本立ちしているように思えるのですね。
本来、古代の信仰では、女性は命を産み出す存在として、崇められた存在でした。世界各国で発見される土器などの遺物にも、女性をモチーフにしたものが出土します。これも、古代の原宗教では女性が崇拝の対象であったことを意味していると、私は思います。
ところが、世界の多くの国では、この原宗教は新興宗教キリスト教イスラム教など)によって抹殺されてきました。上にも書いたように、イブはアダムの肋骨から作られたらしい(養老孟司先生曰く、これは聖書を書いた人が間違えたのだと。何故なら、生物のあり方として、女性が常態であり、男性が変態であることは明らかで、神様は間違えるわけがないから、間違えたのは聖書を書いたヤツだと)。こうして、男性が女性より優越する思想が編まれていくわけなんです。
しかし、日本はこの原宗教が未だに残っているんですね。そして、天皇は、その原宗教を体系化した「神道」の主宰者である、というのが一番重要なのです。そして、その原宗教とは、「男たちよ、生命を創造する存在である女性を崇めよ」というものなんですね。女性蔑視と正反対の位置に存在するものなんです。
このように宗教的な価値から見れば、皇位継承問題はすっきりします。賛否両論者とも、何故かこの問題に関する宗教的側面を無視しています。その点が、私には笑止千万なわけです。宗教を語らないことが「近代的」だと思っている連中が、日本では「文化人」なのかとね。