伝統の破壊者になりたくない

現代人は、無意識のうちに伝統を破壊してしまってる側面がある。だからこそ、意識的に伝統を壊すことはしたくないと思います。
さて、本日付産経新聞オピニオン欄に掲載されている「正論」をご紹介します。部分引用ですので、できれば100円で産経をお求め下さい。
お茶の水女子大学教授 藤原正彦憲法と世論で伝統を論ずる無理−典範改正に見る軽佻すぎる思考」

昨年、伊勢神宮を初めて参拝した。午後の外宮を歩いていたら、白装束に黒木靴の神官が三人、恭しく食膳を持って通りかかった。尋ねると、「神様の食事で、嵐の日も戦争中も一回の休みもなく、朝夕二回、千四百年余り続けてきました」と言った。六世紀に外宮ができて以来という。こんな国に生まれてよかったと久々に思った。

気を鎮め、答申に目を通してみることにした。長たらしい答申を隅々まで熟読する、というのははじめてのことだった。そして、その空疎かつ凡庸な論理展開に愕然とした。
二千年の皇統を論ずる上での原点が、なんと日本国憲法と世論だったのである。実際、答申では要所要所でこれら原点に戻り、結論へと論を進めている。この二つを原点とするなら、実はその時点で結論は一義的に定まってしまう。男女平等により長子優先である。議論は不要でさえある。

そもそも皇族は憲法の外にいる人である。だからこそ皇族には憲法で保証された選挙権も、居住や移動の自由もなく、納税の義務もないのである。男女同権だけを適用するのは無茶な話である。

憲法などというものは、歴史をひもとくまでもなく、単なる時代の思潮にすぎない。流行といってもよい。世論などは一日で変わるものである。憲法や世論を持ち出したり、理屈を持ち出しては、ほとんどの伝統は存続できなくなる。伝統とは、定義からして「時代や理屈を超越したもの」だからである。これを胆に銘じない限り、人類の宝石とも言うべき伝統は守れない。

二十五代の武烈天皇は、適切な男系男子が周囲に見当たらず、何代も前に分かれ傍系となった男系男子を次の天皇とした。十親等も離れた者を世継ぎとするなどという綱渡りをしながら、必死の思いで男系を守ってきたのである。涙ぐましい努力により万世一系が保たれたからこそ現在、天皇は世界唯一の皇帝として世界から一目おかれ、王様や大統領とは別格の存在となっているのである。

大正十一年に日本を訪れたアインシュタインはこう言った。「近代日本の発展ほど世界を驚かせたものはない。万世一系天皇を戴いていることが今日の日本をあらしめた。・・・我々は神に感謝する。日本という尊い国を造っておいてくれたことを」。世辞も含まれていようが万世一系とはかくの如き世界の奇跡なのである。

これを変える権利は、首相の私的諮問機関にすぎぬ有識者会議にはもちろん、国会にも首相にもない。天皇ご自身にさえない。国民にもないことをここではっきりさせておく。飛鳥奈良の時代から明治大正昭和に至る全国民の想いを、現在の国民が蹂躙することは許されないからである。平成の世が、二千年続いた万世一系を断絶するとしたら、我々は傲岸不遜の汚名を永遠に留めることになろう。

何といっても最後の引用部分にすべてがあると思います。私たちは、過去に、この日本列島に住んだ全ての方々の思いを忘れてはならないと思う。これは、皇室典範議論だけではなく、全てのことについても、そうあるべきですしね。