昨日の続き

昨夕、広島の両親に電話したところ、息子夫婦が野洲住まいということから、応援してくれてたとのこと。実は二人ともサッカーはあまり好きじゃなかったんですね。曰く「ただテレテレ走ってるだけで、脳みそが足らんのか」と。ところが、昨日の野洲高校の試合は、彼らにも素晴らしかったらしい。
父曰く「日本のサッカーの方向性を示すものだ。個人の技術なくして、組織の勝利はない」
母曰く「野洲がボールを持つと、何か面白いことをやってくれる。スポーツを見て、久しぶりに感動した」
最後のゴールは本当に素晴らしかったです。左のDFから、中盤の右まで正確で高速のサイドチェンジ。これを受けたMFが中央にドリブルで仕掛けたあと、3人がワンタッチでつなぐ。ブラジル代表を見ているような素晴らしさでした。
新聞各紙に、野洲高校サッカー部の山本監督のコメントが掲載されていますので、紹介します。拙日記で昨日「セクシー」と書いた理由でもあります。
「「セクシーサッカー」結実 速さと技術 山本監督、揺るがぬ信念」(産経新聞朝刊)

「日本の高校サッカーを変えたい」。常々、そう語ってきた山本佳司監督(42)率いる滋賀県野洲高校が九日、高校選手権の頂点に立った。判断の速さと技術を生かしたサッカーを自ら「セクシー」と称し、現在の主流のロングボール主体、体力を前面に押し出すスタイルの鹿児島実を退けた。「内容と結果を両立させることができた」。関西勢として三十二大会ぶり、滋賀県勢初の日本一。涙はなく、大きく胸を張った。
野洲のサッカーはうまいけど、軽い」。ドリブルやヒールキックを織り交ぜたパスを多用する野洲のサッカーには、常にそんな批判があった。しかし、耳を貸さなかった。揺ぎない信念があった。「僕の目標は日本代表選手を育てること。世界のサッカーを基準にしないと」
山本監督にサッカーの選手経験はない。日体大時代はレスリング部員。だが昭和六十一年、ドイツ・ケルン体育大への留学が大きな転機となる。
当時、ドイツでは奥寺康彦氏(J2横浜Cゼネラルマネジャー)や風間八宏氏(解説者)がプレー。同大学には田嶋幸三氏(日本サッカー協会技術委員長)もいた。仲良く付き合う中でサッカーの魅力に取りつかれ、「世界」を強く意識するように。
レスリングは高校生が世界一を考える。サッカーも高校生が世界一を考えたっていいはず」。ドイツで芽生えた世界観が、野洲の「セクシーサッカー」の原点となった。
帰国後は指導者の道を歩み、野洲の指揮をとって九年。ランニング中もドリブルさせるなど、練習ではほとんどボールを与え、技術を磨かせた。「注意は異端児扱いするけど、これが普通なんです」。今回の優勝で異端児は鹿児島実の名将、松沢隆司総監督に「われわれの今後の指導にプラスになる」と言わせた。
スタンドで見守った田嶋委員長は優勝を称えた後、「高校サッカーに新しい風を吹き込み、日本のユース年代の育成にも石を投げてくれた」と語った。マニュアル指導の限界もささやかれ始めた日本のサッカー界全体にも、影響を与えたことは間違いない。

「山本監督育てた「ちょっとワルでちょっとセクシーな選手」」(スポーツ報知朝刊)

感謝の気持ちだけでない。試合終了後、山本佳司監督(42)は選手に伝えた。「日本代表になってこのピッチに帰ってこい!」プロになっても通用する選手育成を目指してきた指揮官ならではの言葉だった。
本格的なサッカー経験はない。レスリング部だった日体大のとき、ドイツ・ケルン体育大に留学し作家^と出会った。ドイツ代表のプレーから地元高校生のプレーを目に焼き付けた。気づいたのは高校生はプロの「縮小版」。高い技術と速いパスで崩そうとするドイツの高校生のサッカーに感銘を受けた。だが帰国後、水口東高で日本の高校サッカーに携わったときは「なんじゃこりゃと思った」と言う。
「日本の高校生はプロと違うことをやっている。高校サッカーに一石を投じたい」身体能力の高い選手が集まったチームを、高い技術をパスワークを持ったチームで倒したい。この日、MF平原のバックスピンパスに、楠神のアウトサイドのスルーパスに、何度も歓声が起こった。
「ちょっと危なかしくて、ちょっとワルで、ちょっとセクシーな選手を育てたい。(ファンが)お金を払って見に行きたいと言ってくれたら最高の幸せ」ファンを魅了し続けた選手の手で山本監督は宙に舞った。

さて、滋賀県で何故サッカーがこんなに?と思う方もおられることでしょう。特に、サッカーにあまり詳しくない方は特に。で、まあいろいろあると思いますが、一つにはやはり井原正巳氏の存在は大きいのではないかと思います。井原正巳氏は、滋賀県の出身なんですね。日本代表の主将が、地元出身者。これ、やはり子供たちにとって、やる気を出させる非常に大きな要因なんじゃないかと思います。井原氏が代表の主将だったのは、今から8年前のフランスW杯。優勝した野洲高校の生徒たちがサッカーを始めた頃になります。彼らにとって、井原の背中は憧れだっただろうと思いますし、指導者の側から見ても、井原の存在は有難かっただろうと思います。
彼らの中から、第二第三の井原が出てきてくれないかなぁ、と思っています。