小学校から英語教育?

産経の昨日の社説です。
「【主張】小学校の英語必修 まず国語の基盤形成から」
http://www.sankei.co.jp/news/060329/morning/editoria.htm
それから、朝日も今日、社説に出しています。
小学校英語 学校の判断に任せよ」
http://www.asahi.com/paper/editorial20060330.html
別にどちらの意見がどうだこうだ、というつもりはありません。ただ、はっきり言って英語教育なんかいらない。
国語の基盤形成、というもの、簡単には賛成できません。私が受け、あるいは今の子供たちも受けているであろう、国語教育などは意味がないと思う。
私も文章が下手で悩んでいるのですが、文章力を付けようと思っても、そう簡単には上手く行きません。で、私がよくやるのは「パクリ」。もちろん、内容まではパクリませんが。誰かのこれはいい!と思った文章(論文)を、できるだけ同じ構成の文章にする。内容は、単語を入れ替えることで変えていくんですね。
で、私個人としては、これが一番よい方法だと思います。
例えば、みんなで夏目漱石の文章を真似するわけです。

親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。小使に負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴があるかと云ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。

これは典型的な「自己紹介文」なんですね。だから、これを真似してみる。
「親譲りの運動音痴で子供の時から損ばかりしている。小学校にいる時分学校の階段から飛び降りて足首を骨折したことがある。なぜそんな無茶をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。階段の一番上にいたら、同級生の一人が冗談で、お前は弱虫だからそこから飛び降りることはできまい。と囃したからである。救急車に乗せられて病院に行ったとき、父が大きな目をして階段から飛び降りたら骨折するに決まっているだろう、と言ったから、これからは絶対にしません、と答えた。」
で、こういうトレーニングを積み重ねていく。こうした、いわゆる「文章を書く」という授業が必要です。読むだけでは絶対に身に付きません。
また、今の学校教育では、文章を書くと、必ず「自分の気持ち」を書け、と言います。そんなものは不要です。それよりは、目に見えたものを文章で書くことの方が大事です。それが文章力を鍛えます。具体的な方法としては、子供に二人一組を組ませる。片方にそれぞれ別の写真(絵)を見せる。そして、それぞれに写真の説明を文章で書かせる。今度は、文章を交換し、それぞれがその文章に基づいて絵を描く。最後に出来上がった絵と元の写真を照らし合わせる。こういうトレーニングを、毎日1時間ずつやれば、相当文章力は上がると思いますが、どうでしょうか。私は、自分の子供にこういう教育をしてみようと考えているところです。
で、日本語でこういうことができるようになっておけば、英語に直すのは簡単です。自分が出来なくても、英語が出来る人にお願いすればいいのです。
話す内容もなく、また話せるだけの文章力(これは言語が違っても共通の能力)がなければ、日本語も英語も何もありません。大事なのは、何をどう話すのか、ということであって、何語が出来るという話ではないわけですけどね。