ユダは裏切り者ではない?

「ユダの裏切りはイエスの指示?」
http://www.sankei.co.jp/news/060407/bun070.htm

米国の非営利科学・教育団体の「ナショナル・ジオグラフィック協会」は6日、3世紀ごろに書かれた幻の「ユダの福音書」の写本を解読したと発表した。
キリストを敵に売った使徒として知られるイエス・キリストの弟子ユダが、実はイエスの指示を受けていたと記されており、今後論争を呼びそうだ。
今回、解読された写本は1970年代にエジプトで発見され、パピルスコプト語(2世紀から7世紀ごろのエジプト語)で記されていた。
放射性炭素による年代測定などで、3世紀ごろのものと鑑定された。
解読によると、イエスはユダに「私を包むこの肉体を犠牲にすることで、あなたはすべての者たちを超えるだろう」と語った。これは自らが十字架にかけられるようユダに裏切りをするよう求めたものという。
複数の福音書によると、イエスは最後の晩餐(ばんさん)の場面で、「あなたがたのうちの一人が私を裏切ろうとしている」とユダの裏切りを予言した。

これはなかなか面白い記事だと思いました。このユダの「裏切り」がなければ、イエスが十字架に架けられることもなく、また、その後の復活もなかったことになる(無論、キリスト教徒の方々はそのようにはお考えでないことは承知の上です)わけです。
今日、スカパー!の「ナショナル・ジオグラフィック・チャンネル」でこの内容が放送されるようです。見てみようっと。
そういえば、昔、松尾貴史が一人芝居で、イエス・キリストをやっていたのを思い出しました。
この芝居では、イエス・キリスト大阪弁をしゃべるんです。で、各地で起こされる「奇跡」は、実はこの「キリスト劇団」による「芝居」だというお話。松尾貴史扮するキリストは「使徒」なる劇団員にこう言い放つ。(正確じゃないんですが)
「あの奇跡の場面、お前、わざとらしいわ。みんな引いとったわ。もうちょっと上手くやらなあかんで」
キリスト教徒の方には申し訳ないのですが、案外、当時の真実だったりして、と思ってもいました。で、今回見つかった史料というのも、それを裏付けるような(そういう意味では、イエスは身体を張って「演技」をしたわけで、これはこれで渾身の宗教家ではあるのですが)ものではないかと思ったり。
その辺の話は、北野武監督の「教祖誕生」なんかも似たようなところがあると思います。
で、この話をネタにしたのが本日の産経抄なんですが、
http://www.sankei.co.jp/news/060409/morning/column.htm

キリストはすべての人の罪を背負い十字架にかけられることで人類を救った。復活はその証しである。キリスト教信者の多くは当然そう信じている。しかし、不信仰者からみると、ちょっと腑(ふ)に落ちないこともあった。
▼現在、聖書に収められている四つの福音書によれば、キリストは弟子の一人であるユダによって金銭と引き換えに祭司長らに渡された。そこから十字架の受難が始まっている。とすると、たまたまユダの「裏切り」があったから人類の救済ができたのか、という気になってくるのだ。
▼むろん、教会の教えではすべては神の計画通りである。裏切りもその一環に過ぎないということだろう。しかしそれではユダはあまりに損な役割である。気の毒にさえ思えてくるが、そのユダの名誉を回復してくれそうな研究結果が米国で発表された。
▼エジプトで発見されたもうひとつの福音書を学者らが解読した。そこにはキリストとユダの秘密裏の会話が残されている。キリストが自分を十字架にかけるよう、ユダに工作を指示しているというのだ。キリスト教がすぐに受け入れるとは思えないが、妙に生々しい新説である。
アインシュタインは「神はサイコロ遊びはしない」と、宇宙の生成においては偶然性がないことを主張した。しかし人類の歴史となると、特定の意思が貫かれた必然性、計画性に支配されることもあれば「たまたま」の偶然に左右されることもある。だからこそおもしろいのだ。

ここで終わっていれば、結構良いコラムだな、と思ったんですが。

民主党の場合、少し前まで、小沢一郎氏がこの時期に代表になろうとは誰も予想しなかった。偽メールという偶発事件のたまものだったからだ。しかし、この「たまたま」が日本の政治をどう変えるのか、これも興味深いところである。

ここまで書いたら、明らかに「こじつけ」。産経抄、面白いことは面白いけど、たまにこういう鼻につくこじつけが気になります。