クイズです

さて、今からシナ共産党政府の国家主席の発言に対する識者二人の意見です。この二人の国籍はどこでしょうか?
「えげつない手法はね返せ」

日中友好七団体の訪中と、胡錦濤国家主席の講話で改めて感じるのは、中国はえげつないということ。中国は相手の態度を使い分け、自分たちの言うことを聞く人にはいい思いをさせて、そうでない人には思い知らせてやろうとする。自らを大国、地域のリーダーだと任じている国が、よくもこんなに露骨なことをやるものだと思う。
ただ、招く方が招く方なら、行く方も行く方だ。七団体が中国でやってきた日中友好のパフォーマンスが、どれだけ日本人にアピールしただろうか。中国がえげつないことをやればやるほど、日本人は目覚めてきている。日中関係にとって今回の七団体の中国詣では、プラスよりマイナスが大きい気がする。
とくに、団長の橋本龍太郎元首相がかしこまって胡主席の話しを聞いている姿を見て、多くの日本人はかつて国会でも取り上げられた橋本氏と中国の工作員とみられる女性とのスキャンダルを思いだしたろう。
胡主席が「次の首相も靖国神社に参拝したら首脳会談に応じない」という趣旨の発言をしたことも問題だ。胡主席の講話によって、ポスト小泉候補にとって「参拝しない」という選択肢は、自民党総裁選でのカードにならなくなった。靖国から距離を置く姿勢は、中国の影を感じさせ、マイナスになってしまうからだ。
胡主席の講話は計算はずれだった。中国は一九九六年、台湾の李登輝元総統が再選を目指した選挙の際に、いちいち介入しようとした。しかし、介入すればするほど李氏の人気は上がった。
台湾に対する介入は逆効果になったのに、性懲りもなく日本の総裁選に干渉するのはなぜか。中国のような独裁国家は、分かってもやめられないことがあるのだ。国民に強い外交姿勢を見せることでしか、権力を保持できないからだ。
サッカーアジア杯での反日行為、日本の国連安全保障理事会常任理事国入りに反対する反日デモ・・・と何度でも映像を見せられれば、お人よしの日本人だって真実に気付く。
日本は中国と首脳会談を行わなくても、何の痛痒もない。中国のえげつない手法をどう受け止め、はね返すかで「国家の品格」が問われる。外国に何か言われて、それによってすぐ姿勢を変えるようでは、自主独立の国とは言えない。

では、次の意見。
「原点戻り平和友好の道を」

今の日中関係は昭和四十七年に国交正常化したときの原点から大きく外れてしまっている。残念だし悲しむべきことだ。
胡錦濤国家主席の「靖国参拝がこれ以上行われないなら、首脳会談をいつでも開く用意がある」という発言に対し、批判する声があるようだ。しかし、そうした批判は言葉の端々に言い掛かりをつけているような感じがする。むしろ、胡主席がそう言わざるを得ない原因がどこにあるかということを、加害者である日本は反省すべきだ。
小泉純一郎首相が「靖国参拝は心の問題」というなら戦争責任も心の問題だ。「話せばわかる」と言って何年がたつか。言葉だけで自分は日中友好論者だと言われても本当とは思えないだろう。
日本遺族会長の古賀誠一郎元自民党幹事長が「靖国にお参りするときは、心の中でA級戦犯は分けている」と述べているそうだが、そんないい加減な発言をするから靖国参拝をやっている間は、そういう政治化とはまともにつき合えないということになってしまう。
あの戦争をどうみているのか、戦争責任は誰が負うのか。それを率直に話せないなら、首相を代わってもらうまで待つしかないと(中国側が)判断しても仕方ないのではないか。(首相交代と待つという)その部分だけを取り上げれば、ずいぶん失礼な話ではあるが、なぜそんなことを言うのかよく考えてみないといけない。
中国が一番求めているのは、日本が再び侵略するような軍事大国になってほしくないということだ。だからそれに反するようなことは何がおきようと中国は文句を言うだろうと思う。
私が大使として北京に在勤中も一番の問題は靖国問題だった。ちょうど今と同様、中国と韓国が大騒ぎした。だが当時の胡耀邦総書記は知日派で、日中正常化の原点に立った人だった。いろいろ問題はあるが話し合いで解決しようと、自ら「中日友好発展についての四項目の意見」を出された。その意見に基づき日本側も努力し、当時の中曽根康弘首相も参拝を控えようということになったわけだ。
日本と中国は、制度もイデオロギーも違う。しかし、その相違があっても平和友好を築くべきだし、築くことが可能であると共同声明に合意しているのだから、その原点に戻って努力すべきだ。

えっと、二つ目の記事を引用している間、気分が悪くなってきました。靖国問題を作った張本人が、それをまるで誇るような弁には、はなはだ腹が立ちます。
ちなみに、この二つの意見は、本日付産経新聞朝刊政治面に掲載されたものです。
1本目は、台湾総統府国策顧問の金美齢さんの意見。私は、金さんの意見に全く同意いたします。そして、2本目は元中国大使で、現在日本日中関係学会名誉会長である中江要介氏。とてもではないが、日本人の意見とは思えませんですね。
中江氏は、戦争責任を「今の日本人」が背負うべき、という意見を述べておられますが、それは明らかにおかしいでしょう。私は戦後どころか、昭和も48年の生まれです。戦争をした覚えはない。また、私の父親だって昭和19年生まれです。祖父が兵隊に取られ、2年間シベリアに抑留されていたのだから、戦争責任はない。それどころか、戦争の被害者という方がしっくりきます。この意見を述べた中江氏は大正11年生まれ。つまり、終戦時には立派に成人していたんでしょ。それなら、まだ中江氏には戦争責任はあるかも知れませんな。でも、何をどう間違っても、私には戦争責任はない。それだけははっきり言っておきます。
そもそも、中江氏の世代、つまり戦争を具体的に知っている世代が、戦争での行政責任を誰も追及してこなかった張本人でしょうが。何をどうしたから、日本は戦争に負けたのか。どこで何をどう間違ったのか。私は曲がりなりにも大学まで出ましたが、一度もそんなことを教えられたことはありませんな。恐らく中江氏の母校である京大法学部でも、そんなことを講義で教えないでしょうな。その法学部を出たエリートが、戦争責任は心の問題、とかいうんだから、日本のエリートってあてになりませんわ。そりゃ、中江氏の後輩が巣食う外務省が害務省と言われるわけです。
戦争責任は本来はっきりと行政権の行使における責任問題であったはずです。だから、アメリカだってイラク戦争で、作戦は失敗だから国防長官をクビにしろ、という議論が出るわけです。彼らは、戦争が行政権の専任事項であることを知っていて、責任は行政権、すなわち大統領府にあることを知っているんですよ。だから、責任問題を問える。
でも、中江氏が行政権の中枢にいたとき、そういう議論をしましたか? 出なかったでしょ。出さなかったでしょ。で、結局、どういう後始末をしたんですか? 国会で東京裁判で戦犯とされた人を赦免する手続きを取ったんでしょ? 戦争の行政責任は問わない、名誉は回復する、という判断を取ったんでしょ。それでいて、今頃、戦争責任だとか言うんじゃないよ。自分たちがしなかったことを、後の世代に押し付けているだけじゃないですか。それに、戦時内閣の行政責任を問わない、と国会で決議して、それを行政化したのは、中江氏他の当時の官僚でしょうが。その行政責任は中江氏たちにあるんでしょうが。いい加減しろと言いたい。
私は、恐らく、小泉首相以上の日中友好論者です。なぜなら、私はシナ共産党政府に抑圧されているシナ大陸の人々との友好を本気で望んでいるからです。中江氏のような日中友好論者は、日本とシナ共産党政府の間の友好でしかないし、中江氏には日本、シナ大陸双方の「下々」が見えていない。だから、こういうのは「似非エリート」なんですな。本当のエリートとは、自分の行動、判断が下々の生活に影響を及ぼすこと、下手をしたら生死を分けてしまう可能性があることを理解し、その責任に耐え得る人間のことを指します。下々のことを一切考えず、しかも自らのやってきたことを棚に上げて、現世代を批判する人間を、普通エリートとは呼びません。日本では、古くからこの類の人間のことは「卑怯者」と蔑んできましたけどね。でも、中江氏に「卑怯者」と言っても、「?」という顔をされるだけのことのような気がします。こんなのが「エリート官僚」だとか言ってるんだから、困ったものですね。