政治と商売は別

っていう小泉首相の発言に嬉しそうに飛び付いている方々がおられます。曰く、
靖国参拝が政治問題だってことを認めやがった」
「心の問題じゃなかったのかよ」
はいはい、ワロスワロスってヤツですかね。
あのね、靖国参拝を政治問題にしてるのは、誰なんですか?ってところを抜きにして、こりゃないよね。だから、昨日のエントリでも書いたんだけど、靖国参拝反対派は「不真面目」なんだって。政治の問題じゃない話を政治問題にねじ込んでおいて、当事者が政治問題だといったら、やっぱり政治問題じゃね〜かって、なんですか、それ。
あのね、靖国参拝をアンタたちにしてくれ、なんて一言も言ってませんから。
それこそ、経済人の端くれならですよ、シナ共産党政府が「日本の首相が靖国神社に参拝するのはケシカラン」と言ってきたら、「そんなことは私の商売とは関係がありません。私は靖国に参拝しませんが、靖国に参拝する人もいる。それだけのこと」と言い返せ。シナ共産党政府の意に従ってるその姿勢が、経済が完全に政治に従属してるわけで、そんなのにどこに自由主義経済の誇りがあるんですか、と問いたい。小一時間(ry。
何回も同じことを言ってるので、疲れてきた(ハッ、それが目的か!)んだけれど、何回も言います。
もし、小泉首相の選挙区民が靖国神社というものを、日本国に危害を加え、国益を損ねる存在である、と判断し、何よりもそれが大きな政治課題であると認識しているなら、恐らく選挙で落選します。それは、日本国憲法の定めるところの、信教の自由に基づき小泉純一郎氏が宗教的行為を行った結果、落選という政治的結果を生んだだけのことでしょう。養老さんの例えじゃないけど、小泉さんがオウム真理教の信者だったとしたら、間違いなく落選するでしょう。また、マルクス主義の信者だったとしても、落選するでしょう。要するに、共産主義社会主義を信奉するのが自由だとすれば、靖国を信仰するかどうかも自由なんです。共産主義社会主義なんて、一種の宗教ですからね。ただ、その宗教を信仰したことが政治的な結果を生みだしても、それは自分の責任ですよ、ということです。これが、最終的に信教の自由を保障するという意味ですよ。だから私は言ってるでしょ、アンタ方に靖国参拝しろ、と強制はしない。ただ、一度行って見たらどうですか、とは言う。それでも行かないのなら、別にいいですよとね。
そもそも、私の家のルーツは、島根県のド田舎ですが、その字の氏神は八幡さんです。八幡さんは、誰が何と言おうと戦の神様でしょ。恐らく戦争中には、在所の人はみな必勝祈願に行ったでしょうな。戦争に負けてくれ、と祈る人はおりますまいて。だって、負けって死ぬことと限りなく等しいわけですからね。生きて帰ってきて欲しかったら、まずは勝ってくれと。じゃあ、その必勝祈願を熱烈に受け入れた八幡さんを信仰するのは、靖国神社を信仰するよりマシなんですかね。シナ共産党政府に聞いてみて下さいよ。アンタたちとの戦争のときに、日本の必勝を請け負った神社を今でも信仰してるんですけど、よろしゅうございますかって。アカンって言うに決まってますわな。こんなことをやってたら、いずれ日本ではお稲荷さんくらいしか、シナ共産党政府から認められないでしょうな。いや、シナ共産党政府の国策企業が、日本の会社と争うことになったら、稲荷さんもダメっていうかも知れませんな。
ここまで言えばわかるでしょ。要するに、シナ共産党政府ってのは信教の自由を認めないんだって。で、それに同調した経済同友会の提言も、結局隣の人に「お前の信教の自由は、シナ共産党政府の公認がない限り、認めない」と言っているのと同じなんですって。それがわからないほど、金の亡者に成り下がっているのか、それとも、それだけシナ共産党政府に弱みを握られているのか。どっちにしても、品格もへったくれもない連中だということです。