結局は若者と子供の問題

今、世界の国々で起こっている問題を列挙してみましょう。
日本だと少子化ニートアメリカならイラク戦争と不法移民。フランスは雇用対策と人種差別。ドイツは移民問題と雇用対策で、フランスとよく似ています。タイではバンコクで学生が暴動を起こして、これに野党が同調して選挙が無効になった。ネパールでは、国王と毛沢東派ゲリラが対立。シナ大陸では、反日政策と少子化共産党政府はもともと一人っ子政策南朝鮮は先ごろ、出生率1.08との報道あり)。
実は、こうした問題は、すべて「若者」「子供」の問題です。いや、若者や子供に問題があるというのではなく、社会が若者と子供の扱い方がわからなくなっている、ということなんじゃないかと思います。
若者とは、一体どういう存在でしょうか。だいたい14〜30歳くらいまで。体の一番動く盛りを迎えた人たちという括りでよいかと思います。それに対して大人はどうか。すでに、体の動く盛りを過ぎ、段々、体が動かなくなる人たちで、概ね30代以降の人々と括っておきます。こういう括りをすれば当然のことですが、若者、そして14歳以下の子供よりも、圧倒的に大人の方が社会構成比率が高い。だから、社会は大人の都合が優先されているということでもあります。若者の雇用対策を日本で論じると、すぐに大人側から出されるのは、仕事を選ぶな、というのが出てきます。無論、それはそれで正論ですが、その裏側に「肉体労働をしろ」という話も出てくる。それはちょっと違うと思います。
養老先生流に言えば、全ての仕事は、脳から体への出力信号によって行われる「肉体労働」なわけで、今、こうしてキーボードを叩いているのは、脳からの指令を受けた私の肉体がやっているわけで、これだって十分肉体労働です。まあ、それは私が言うとへ理屈だと思われるでしょうから、ぜひ、養老先生の著作をお読みになって欲しいところです。今、私がここに書いていることだって、養老先生の受け売りですから。
要するに、大人が構成している社会が、段々、大人の都合だけを考えた社会になってきているということなんですね。少し前までなら、社会にとって必要な仕事がたくさんあって、人間が足りなかった。だから、若者が必要だったわけです。そういう状況なら、大人の方も否が応でも、若者のことを考えざるを得ません。若者を社会に組み入れないと、社会が回らなかったのですから。
ところが、現在は上に挙げた国では、様相が違う。
例えば、日本では、団塊の世代が引退時期を迎えていますが、アンケートを取るとまだ働ける、働きたい、と思う人が圧倒的に多いと聞きます。偉いなあ、とは思うけど、その分、若者に仕事のお鉢が回ってこない。江戸時代だと、40歳を過ぎたら殿様でさえ隠居をしました。寿命も短かったということもあるけど、仕事は若い者がやる。年を取ったら隠居して、贅沢もせずに暮らすということをやってきたわけです。何故かというと、封建制でかつ平和な江戸時代では、すでに武士がもらう禄というのは決まっています。つまり、仕事の数は決まっている。そこで、何もすることがない若者をフラフラさせておいたら、体を持て余してしまう。下手したら、刃傷沙汰を起こしかねない。だから、まず子供から若者になる直前では、四書五経と武道の稽古だったんですね。で、若者がそろそろ大人に入る頃になったら、大人が隠居して席を空けてやる。大人なんて体力的にも知れていますからね、謀反を起こしたところで、若者に一発で組み伏せられてしまいます。だから、もともとそんなことも考えない。それで上手く社会が回っていたんですね。武士の社会だけじゃなく、農工商において、ほぼ同じです。何故なら、江戸時代は秀吉時代に完成した日本全国規模の流通経済を受け継いで、拡張をしなかったからです。無論、各藩の殖産や大商人の登場などはありましたが、所詮は日本の国内規模の話です。徳川幕府が崩壊したのは、経済的に見れば、国内だけの流通市場に突然、横穴が開いて、国際経済に吸い取られていったからです。結局、江戸時代はすべての階層で、仕事の量はほとんど決まったものだったということなんですね。
で、仕事の量がほとんど増えない、というのは、現代の先進国社会がそれに当てはまる。特に日本は豊かになったから、働かなくても食える人が出てきた。それがニートや引きこもりです。要するに、若者の需要がない。需要がなければ余るしかありません。本来なら、それに見合った需要を作ってやるのが、大人や社会の役割ですが、それをしない。いや、本当なら給料を支払ってやるべき仕事を、ボランティアにしてしまっている。街や自然の清掃活動なんかは、まさにその典型的な例です。本来は、社会コストとして含まれるべきものを、役所の歳出削減のためにただ働きさせているわけです。隠居もしない、若者ができそうなことはボランティアにさせる。これでは、若者の働き場所が増えません。その結果がニート。社会的に若者需要が少ないのだから、若者候補生の子供だって減る。それが少子化なんです。日本は働かなくても食えますから、暴動にならない。学生運動の時期は、働かないと食えなかった。それだけの違いです。
じゃ、アメリカはどうか。アメリカは完全に経済至上主義で社会が動いている。同じ仕事なら、安い給料で働く人が良い働き手となります。だから、不法移民が出てくるわけです。アメリカ人を使うよりも、外国人の方が安い。これも、アメリカ人の若者の職を奪うことになります。この経済至上主義が最も露骨に出ているのが、アメリカの文化でもあるプロスポーツです。アメリカでしか行われていないアメフトのNFLを除くと、NBAMLBも外国人選手が驚くほど多い。プロスポーツは典型的な若者の職場ですが、そこに外国人がたくさん入っている。アメリカの一面を示す一つの縮図であるように思います。要するに、イラク戦争も若者の雇用対策の一環の側面もあるわけです。ドイツやフランスでは、イラク戦争に反対した分、雇用問題と移民問題はより深刻なのだと思います。また、アメリカ、ドイツ、フランス、そして日本。いずれの国も、政治家の高年齢化が進んでいます。大人が引退しない典型的な例なんですね。よく考えると、このあたりの問題があまりクローズアップされない国にイギリスがあります。イギリスは、政治家が実に若い。ブレア首相がやっと50歳。野党保守党の党首は39歳だったりします。彼らは、政治というジタバタ駆け回る仕事は年寄りのやることではない、ということがわかっているのかも知れませんね。
タイの学生暴動は、全共闘時代の日本と同じです。タイは、バンコクだけが極端に都市で、あとは田舎なので、この運動が首都だけに限定されています。田舎に行けば、仕事はあるんですが、学生というのは都市での仕事の訓練を受けているわけですから、都市に仕事がなかったら、それは社会が仕掛けた一種の詐欺だと思うわけでしょう。それが、バンコクでの出来事だと私は解釈します。
一方、シナ大陸の国々では、若者を今までどう扱ってきたか。儒教というイデオロギーによって若者を徹底的に縛ってきたわけです。しかし、今のシナ共産党政府は儒教を一応は否定しています(毛沢東孔子を批判しているから)。そうなると、若者の不満を抑えるための社会装置がなくなってしまう。だから、シナ共産党政府はいくらかの周期でガス抜きをしてやる必要がある。文化大革命は正にそれです。そして、しばらくはソ連を仮想敵国にしていた。ソ連がなくなったから、今は日本です。あくまでも、それは都市住民としての若者への対策です。事実、反日デモは都会でしか起きていません。新疆ウイグル自治区チベット自治区なんかで反日デモがあったとは聞いたことがない。田舎の住人には、そんなことをしなくても、日々の生活のためにやらなくちゃならないことが山のようにあるのです。そんなデモとかやってる場合じゃない。暇じゃないんです。要するに、靖国だの反日だので騒いでいる連中というのは、シナ大陸の暇な都会人だけだと思っていていいわけです。北朝鮮で、明日食うや食わずやの生活をしている人に、靖国はケシカランとか言っても、通じるわけがありません。その意味では、暇人の典型が共産党労働党の中枢の連中ってことでしょうね。
で、それは日本でも同じです。日本は今や急速に都市化して、田舎がどこにあるのか、わかったものじゃありません。私は田舎の住人ですから、まだわかるつもりです。今は、田植えの時期ですが、田植えで忙しいお百姓さんを捕まえて、靖国参拝はケシカランですよね、と言っても、うるせぇあっち行け、と言われるに決まっています。これを書いている私も含めて、都市の人間というのは、根本的に暇なんです。暇だから、デモをする。靖国はケシカランとか議論をする。暇だけど働かない。でも飯は食える。それだけのことなんですね。
そう考えてみると、私も子供を持ってどっちかといえば、大人の世代に入ってしまいました。これから先、世界的に考えなくちゃならないことは、子供や若者をどう社会の中に組み入れていくのか、ということなんですね。それが結局は持続可能な成長をする社会だということだろうと思います。当面、宇宙人がやってきそうな気配がないので、世界経済のキャパシティも今のサイズの10倍になったりすることはない。ということは、江戸時代までの日本社会のあり方は、一つのヒントになるんじゃないでしょうか。