日シ友好と靖国神社は無関係

ってことは、すでに証明されているようです。今後は、このテキストを各所で引用されるとよろしいと思います。昨日(5/21)の産経新聞朝刊に掲載された「首相を選らぶのは誰か」の櫻井よしこさんの寄稿から、引用します。

歴史を鑑(かがみ)とせよ」と中国は繰り返す。そこで、靖国神社にいわゆる“A級戦犯”が合祀(ごうし)され、大きく報道された昭和五十四(一九七九)年をつぶさに見てみる。
時の首相大平正芳氏は、周知のように、同年春と秋の例大祭、八〇年春の例大祭靖国を参拝した。国内のメディアは合祀と首相の靖国参拝について執拗(しつよう)に報じた。そして、七九年十二月、首相は夫人を伴って訪中した。中国政府はどう対応したか。熱烈大歓迎をしたのだ。十二月七日の「共同新聞発表」には、大平・華国鋒両首脳の会談が「極めて友好的な雰囲気の下に行われた。両国首脳は、これらの会談が日中両国間の平和友好関係をさらに増進する上で大きな貢献をしたことに対し満足の意を表した」とある。
「満足」「友好」「高い評価」「深い感謝」などの文言が散りばめられた新聞発表は、大平訪中への中国の熱烈歓迎振りを手にとるように伝えている。再度、強調したいのは、この訪中と日中首脳会談は“A級戦犯”の靖国合祀が公になり、日本のメディア上や国会で大平首相が詰問され、それでも大平首相が七九年四月及び十月に参拝したあとの、同年十二月の訪中時のことだという点だ。

別段コメントを入れなくても、わかって頂けると思います。
ちなみに、この「首相を選ぶのは誰か」シリーズは、「ぼやきくっくり」さんが全文紹介されていますので、是非、ご一読下さい。
「米国を靖国問題に引きずり込もうとするサヨクの「下策」」
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid54.html#sequel