実は週末、鯨を食ったのです

私はもちろんこと、商業捕鯨大賛成です。小学生の頃は鯨の竜田揚げが給食に出て、友人と取り合いをしたものもです。それくらい普通に美味しいものだと思います。が、その後の環境原理主義によって、商業捕鯨は禁じられ、調査捕鯨の分量が回ってきた分だけ、市場に細々と出回っている。週末の土曜日、たまたま鯨をスーパーで見つけ、夕食の肴にした次第。やっぱり、鯨は旨い。牛の刺身なんか比じゃないと、私は思うんですが。
「国際捕鯨委に新たに2カ国/日本支持側で加盟」
http://www.sakigake.jp/servlet/SKNEWS.NewsPack.npnews?newsid=2006060501000327&genre=science/environment

国際捕鯨委員会(IWC)の総会が16日から開かれるのを前に、新たにマーシャル諸島カンボジアが加盟した。委員会関係者が5日、明らかにした。水産庁によると、両国は商業捕鯨の再開を目指す日本の姿勢を支持する立場だという。
IWC加盟国はこれで69カ国。日本政府の最も楽観的な票読みでは、商業捕鯨再開を求める日本を支持する国が36、反捕鯨国が32、態度不明1で、支持国の数が反捕鯨国を上回る可能性が一層高まった。
過半数の確保に成功した場合、日本政府は総会の投票に秘密投票を導入、鯨資源の保全策を検討する目的で2003年に設立された保護委員会の廃止などを求める方針。また、日本が実施している南極海などでの調査捕鯨を支持する決議の採択なども提案する。

もちろん、乱獲は防ぐべきことです。しかし、食べるな、というのもおかしい。もともと、ペリー来航の目的は、貿易相手国を探していたのではなく、捕鯨船団の薪水補給基地として、太平洋の対岸にある日本に目をつけたのです。しかも、彼らは鯨から油だけを絞って、残りは捨てていたのです。皮も骨も筋も、食べるだけでなく、工芸にまで使う日本と、どっちが環境に優しいんだ、と言ってやりたいところです。
最近はホエールウォッチングが盛んになってきていますが、そんなの別に環境に優しくもなんともない。鯨を食べることで、環境問題を考える方がよっぽど意味がある。人間が、今のところ、地球全体の食物連鎖の頂点にいること。そして、人間は、こうしたほかの生物の命を犠牲にすることで、自分の生命を保っていることをしっかり教えていくべきでしょう。鯨を食べたくない人に、鯨を食べろとは言いません。
私は同じ理由から、シナ大陸にある犬食文化を否定しません。犬食することに対しては、彼らには彼らなりの倫理的な理由があるはずです。日本では、犬を食べないだけのことであって、それをもってシナ大陸は野蛮だ、というのは間違っている。捕鯨に関しても同じことです。
そういう意味では、ノルウェーとかアイスランドという、ヨーロッパの「僻地」にある国は面白いですね。キリスト教の教義と捕鯨をどのように両立させているのか(捕鯨反対には、キリスト教原理主義的な理由付けがなされることがしばしばあるので)、興味のあるところです。私は、一神教原理主義から抜け出す、一つのヒントが捕鯨問題に隠されているかも知れないと考えています。