宴は終わった。さあどうする

早朝のブラジル戦、見ました。
うん、結構いい試合だったと思いますよ。今の日本代表なら上々のパフォーマンスでした。少なくとも前半は、ゴールに向かうプレーができていたと思います。ただ、前半終了間際の失点は、どう見ても集中力不足。ここで試合は事実上、終了でした。後半は美しいブラジルのサッカーが見られて、良かった。
でも、ブラジルに大敗する可能性のあることは、大会前から予期できたこと。それよりは、1戦、2戦をどう戦うか。この2トップを最初から使っていたら、結果が違っていたのかも知れません。それでも、直前の親善試合では、高原・柳沢がドイツ相手に2点取り、玉田・大黒はマルタ相手に1点しか取れなかったことを考えると、ジーコの判断も止むを得ないのかも知れませんが。
大会で言えば、豪州戦で2点目を取られたところで、本質的には「ジ・エンド」。豪州・クロアチアとは絶対に負けてはいけなかった。私は当初の予想では、2分1敗で3チーム並び。ブラジル戦の失点量で決勝Tに進めるか、というところだと思っていました。これでも、3チームの中でブラジルに最も点を失いそうなのは日本(事実、そうなってしまった)でした。となると、豪州戦は何が何でも負けてはいけない試合だったんですが、どこか「勝てる」と楽観していたところはなかったかなと。まあ、終わってからは何でも言えますから、止めておきます。
さあ、そして宴は終わりました。これからどうしますかね、日本サッカーは。
まず、ジーコの続投はありませんから、他にどういう監督を選ぶか、と言うよりも、どういうサッカーを志向するか、だと思います。その意味では、私は「個人の判断力」を重視するジーコの方針は堅持すべきだと思います。トルシエが適切な例かどうかはわかりませんが、チーム戦術・型が先にあって、それに従って選手が動く、というサッカーは確かに結果が出やすい。でも、今の日本サッカーは実はそれをやるには「まだ早い」と思います。
例えば、今年の欧州チャンピオンズ杯を制覇したFCバルセロナ。私は大好きなチームですが、このチームは言うほど自由奔放なサッカーをしているわけではありません。自由奔放に見えるのは、個人の技量が高いためです。チームに徹底した戦術があり、それに従って選手が動く。そして、その戦術は「世界最高峰の技術」を持つ選手たちによらなければ実現できないレベルです。つまり、今の日本サッカーには今の日本サッカーのレベルにあった戦術しか適用できない。これなら、豪州が入ったとは言え、何とかアジア代表にはなれましょうけど、本大会では通用しません。
今まで、サッカーに限らず日本のスポーツは「個々の技量、体力をチームワークで補う」ということを戦術の要諦にしてきました。ジーコはそれを真っ向否定したのだと思います。それではサッカーに限らず、下手を前提にしたスポーツがあってたまるか。ジーコの考えはそこにあると思うのです。下手なら上手くなることを考えろ。当然のことが、日本では「克服できない前提条件」にされてきたのだと思います。
奇しくも、今年の正月開催の高校サッカー選手権では、「判断力の速さ、個人の技量」を前面に押し出した野洲高校が優勝しました。決勝で、体力とチームワークを売り物にしていた、鹿児島実業の方が先に脚が止まっていたことを考えれば、結局、野洲高校が提示したのは「速い判断力と、高い技量と、高い体力」を持ち合わせれば勝てる、ということでしょう。これが自ずから日本の目指すべき道じゃないかと思うのです。
日本人が体力レベルで世界に決して劣らないことは、陸上での高橋尚子選手や野口みずき選手、室伏選手の金メダルしかり、スピードスケートの清水選手の金メダルしかり、野球の日本代表のWBC優勝しかりで、決して日本はスポーツの弱小国じゃありません。ただ、種目が分散しすぎている感はありますけどね。だいたい、人口が1億人を越えるんですから、スポーツが優秀な選手がいるに決まっているんです。それを、これまでの指導者が「日本人は弱小である」という前提に立って指導してきた部分があるわけです。
私は、ジーコは、この日本の風潮に挑戦したのだと、今は解釈しています。
日本サッカー、そして日本のスポーツ界にとって、2006年を良い意味でのターニングポイントにしてもらいたいものです。