信長の偉大さ

こういうニュースを聞くたびに、信長が日本にいて良かったな、と思うしかありません。

「インド列車テロ 宗教抗争化を懸念 イスラム過激派説強まる」
http://www.sankei.co.jp/news/morning/13int003.htm

インド最大の経済都市、ムンバイで11日夕に起きた列車同時爆弾テロは、パキスタンを拠点とするイスラム過激派組織と、インド国内のイスラム系非合法組織が連携して実行したとの見方が強まっている。これに多数派のヒンズー教徒が反発し、イスラム教徒との抗争に発展する事態が懸念されており、政府は国民に冷静に対処するよう呼びかけている。

こういうときほど、日本人は日本の歴史に自信を持ってよいと思うし、外国に日本がどうやって宗教戦争を克服したかを提示すべきです。
日本に宗教戦争なんかあったのか。ありました。私は門徒です。要するに、本願寺の信徒なんですが、今、その総本山である本願寺は東西に分かれて京都にあります。その前は、石山(今の大阪)にありました。さらにその前は、山科にありました。石山から撤退したのは、信長との講和が成立したからですが(そもそも宗教団体と当時の事実上の中央政府が「講和」した理由を考えてみて下さい)、石山に移ってきた理由は何だったのか。
それは山科の本願寺は、他宗(日蓮宗)によって焼き討ちされたからです。
戦国時代は、実は宗教戦争の時代でもあった。鎌倉以来の仏教が発展し、それぞれに大きな教団を形成していった結果、他の宗派を排斥・攻撃する事件が頻発した時期でもあります。中でも、もともと折伏という攻撃的な布教姿勢を持つ日蓮宗系と、阿弥陀如来を絶対的存在として信仰する本願寺は、事あるごとに対立しました。
歴史では、応仁の乱は習いますが、山科本願寺焼き討ちから始まった「天文法華の乱」という事件は、あまり記憶に残らないものではないでしょうか。
「天文法華の乱って何?」
http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/htmlsheet/toshi15.html#b

天文法華の乱は,天文5(1536)年,山門および南近江の守護六角(ろっかく)氏等が,京都の法華宗二十一本山を焼き討ちした戦闘のことです。
この時期,将軍不在の京都は管領細川晴元(ほそかわはるもと)の支配下にありました。天文元年,晴元と対立した一向一揆が入洛する噂が広がると,法華一揆と晴元が同盟してこれを防ぎ,翌年,山科本願寺を焼き討ちしました。これが,大規模な法華一揆のはじまりです。
天文5年2月,比叡山延暦寺西塔の華王房が法華門徒の松本久吉と宗論して破れました(松本問答)。これに端を発し,長年対立してきた山門と法華宗との戦闘に発展しました。これが天文法華の乱です。
山門勢は,六角氏や畿内近国の大寺院を味方につけ,7月22日早朝,松ヶ崎城を襲撃。続いて六角定頼(ろっかくさだより)以下近江の軍勢が三条口・四条口を攻撃して洛中に乱入。法華宗徒の町衆は総力を挙げて戦いましたが,法華寺院と町衆が集住する下京は焼失し,上京も3分の1ほどが焼け,兵火による被害規模は応仁・文明の乱を上回るものでした。この乱をもって,法華一揆は終息しました。

応仁の乱よりも被害規模が大きい。そんな宗教戦争が、日本にもあったのです。
それを収束させたのが、他ならぬ織田信長でした。詳しいことは、井沢元彦氏著作の「逆説の日本史」の第10巻をお読み頂きたいと思います。
簡略に言えば、信長は宗教勢力の武装解除を行ったのです。信仰は自由にしてもいい。公権力である信長政権が治安を維持し、他宗派からの攻撃を受けないようにするから、その代わり、武力を持つな。だから、信長は最初にこの要求を、日本仏教における「エルサレム」に相当する、比叡山に行った。しかし、比叡山は自らの利権にも繋がることでもあり、拒否しました。だから、信長は比叡山を奇襲したのではなく、宣言して焼き討ちにしたのです。その結果、ほとんどの宗派は、信長の「保護下」に入りました。焼き討ちした比叡山ですら、信長は信仰を停止させていない。それに本願寺は従わなかったので、信長と長い抗争を続けることになったのです。結局、本願寺も「講和」し、武装解除します。その際、信長は本願寺に対してすら、信仰を続けてよい、としているのです。かつて、信長軍に反抗し、信長軍の将兵の多くは、その戦闘で死んでいる。でも、信長は本願寺信仰を認めたのです。
で、信長の政策は、いわば「政教分離」の政策です。そして、その政策は秀吉の「兵農分離」によって完成します。兵農分離は、武士が支配のための特権を得た、と日教組教育ではなっているようですが、実情は寺社勢力の武装解除なのです。つまり、イラクとかアフガンとかにいるイスラム原理主義者の「武装勢力」の武装解除と全く同じ意味なのです。公権力が治安を維持する責任を持つ。だから、公権力以外が武装することは許さない。そういうことなんですね。
今でも、こうした宗教を理由にしたテロリズムが起きる背景には、公権力が治安維持を十分に行えていないこと。そして、その公権力が特定の宗教に加担あるいは支配されているからなのですね。
日本では信長が出てくれたお陰で、公権力は特定の宗教に加担しないものであることが「常識」になりました。信長の宗教的な行動は、まさに現代の日本人そのままなんです。どの宗教も認める。同盟国の支配者が本願寺門徒でも構わない(徳川家康門徒)し、部下がキリシタンでも構わない。自らは、自分自身が「神」だとも思い、とは言え、法華経にはそれなりに親しみがあって、京都には自らの居館を建てず、法華経系の本能寺を定宿にしていたわけです。これって、日本国憲法20条を行動で示したものじゃないですか。
日本には信長がいたから、宗教戦争がなくなった。でも、世界の他の国には、信長はいない。スターリン毛沢東のように、宗教を全否定した人物はいますけどね。
私は、世界に信長をアピールしていいと思います。特に彼の宗教政策を研究することは、現在世界の宗教、テロの問題の解決の一助になると思います。