ま、国の成り立ちが違うから

http://www.sankei.co.jp/databox/Wcup/html/0407/26soc009.htm
現在開催中のサッカーのアジアカップ。各所のblogさんで指摘されているように、やたら反日感情渦巻いているようです。上記URLは、親日中国人観戦者が警備員につまみ出されるところ。ホント、この国には「自由」が存在しないことの証であろうと思います。しかし、先日の五輪代表の日韓戦でも見られたように、どうも日本の隣国には偏狭なナショナリズムが蔓延しているようですが、テレビ・新聞を見る限り、この点があまり報道されてないのはいったい何なんでしょうね。
韓国にしろ中国にしろ、スポーツイベントを自国で開催する意義は、ただ単に「国威発揚」。それしかないように思えるわけです。日本や諸外国でしたら、まず最初に「経済効果」を考えるやろね。開催によって発生する費用(投資)に対して、ペイできるかどうか。もともとスポーツが盛んで、スポーツ選手たちに対する敬意が根付いている日本では、外国から来た一流(まあ、サッカーのアジアカップは世界レベルでは二流ではあるものの、その国を代表している選手たち)選手たちに自国選手と同様に敬意を払う文化があるわけです。しかし、韓国・中国は果てしなく違うように感じますね。
んで、その背景には儒教ってのがキーワードになるんじゃないかと。よく日本はかつて儒教国家だった、なんて話を聞きますが、日本は書物だけの儒教国家であったんで。武士という本質的に身を労して働く階級(もともとの出自は農民だし)が政権を長期保持していたんで、たとえば剣術とか槍術、柔術、弓術といった、身を労して会得する体技の練達者はその出身階層を抜きにして、武士階層に取り立てられたりしてました。ようするに、日本では古くから社会全体に体技(現代語で言うところのスポーツ)を重んじる風土があった。これが、現代においてもスポーツ(しかも多種多様な)が盛んで、かつスポーツ選手に敬意が払われる基盤になってるんじゃないかと。ほら、スポーツ万能な男子って女子にモテますでしょ、日本って。
中国や韓国ってどっぷり儒教に浸かっていた国でしょ。上流階層の人間になればなるほど、身を労して働くなんてことはしない。これが「正しい」とされてきた国。だから、古くから体技は軽んじられてきたし、ましては武官・軍隊・兵士は虐げられてきた。まあ、そんな国が「剣道・柔道はわが国発祥である」とか堂々とのたまうのも、捏造だとかそういう問題じゃないと思って呆れるばかりなんですが、それは余談として。その儒教的思考から言うと、スポーツ選手はあからさまに身を労する存在ですから、本質的には敬意の対象にはならんのではないかと。実際、韓国のサッカー人口、野球人口は日本の1/10以下だという話を聞いたことがあります。総人口は1/3程度なのに。それはスポーツ選手の社会精神的な地位が高くないからかなと想像しております。となると、当然他国のスポーツ選手なんぞ敬意の対象であるはずもない。結局、スポーツという形を借りた国同士の「戦い」しか残らないわけです。スポーツという戦いに勝っても領土が増えるわけでもないし、相手から賠償金を取れるわけではない。そこにあるのは「国威発揚」という気分だけになる。と、まあ、こんな感じなんじゃないでしょうかね。そんな国、恐らく世界中見回してみても、中国と南北朝鮮だけなんじゃないかと思いますが。こうしたスポーツへの理解が足りない国で4年後にオリンピックって無理じゃないかなあと。
こうした気分の上に、反日思想が重ねられて、上記URLみたいなことになってるんだと思います。どっかの民放のアホ解説者が「重慶は日本が爆撃をしたところなので反日なんでしょう」なんて言ってたらしいですが、それなら東京ドームでメジャーリーグ選抜が日本プロ野球選抜と試合したときに、アメリカ国歌の演奏中にブーイングしたり、反米横断幕を出したりしてもいいのかって話です。そんなことやったら、日本は世界の尊敬を失うでしょ。だから、当然やらないし、やっているヤツがいたら周りが許さんでしょ。それを国家レベルで奨励しているような国がお隣さんですからね。それに比べれば、我が日本は実にお行儀がよろしいですね。お行儀の良さこそ、私は日本の美徳だと思っているし、世界に誇れるものだと思っています。これがお隣さんとの対比で浮かび上がってくるとは、まあ世の中、面白いものです。
国の成り立ちが違うと、現在社会の精神的な構造も変わってくるという良い例ですね。