橋下弁護士の意見に賛同

ラグビーのMSカップとチャンネルを替えつつ見ていた「たかじんのそこまで言って委員会」。昨日はどうも議論に白熱するような内容がなかったようです。で、司法制度は腐っているか?というコーナーで、橋下弁護士の発言内容が良かったと思いました。私の理解なりに要約しますと、
「司法関係者(弁護士、裁判官、検察官)は別に正義の人ではない。法律の専門家であるだけで、それを商売としてやっているだけのこと」「司法試験は正義感の試験じゃない」
これに田嶋陽子が独特のネチネチした言い回しで、そんなミもフタもないことを言っちゃおしまい、みたいなことを言ってたような気がします。
でもね、橋下氏の言うことが正論だし、そうでないと困る。正義を決めるのが、司法関係者だったら困るんです。世の正義(と言っても、あくまでその時点での多数意見)は法律に書かれなければならないのであって、正義や善悪の判断を司法関係者がするのはおかしいわけです。日本には大岡裁きとか、水戸黄門的な熱血正義漢による裁決に妙に思い入れがあるような気がしますが、水戸黄門の話はもちろんフィクションだし、大岡越前守にしても(その裁断はほとんどフィクションらしいけど、名奉行だったことは事実)、そういう人がもてはやされるのは、そういう人が少ないからです。残念ながら、我々凡人というのは、往々にして情に流されたりしやすいわけです。
日本は法治国家なのですから、正義の内容は法律に書けばよろしい。正義の内容が時代にあっていないとか、おかしい、ということなら、立法府(すなわち国会)で法律を改正する。司法関係者は、立法府が定めた法律にしたがって、事件を法的に処理すればよいのです。
司法関係者には正義感の強い人がなって欲しい、というのは当たり前で、それは他の仕事も似たり寄ったり。司法関係者に正義の判定を依頼しちゃうのは、ある意味で市民権の放棄でもある。司法関係者はあくまで、市民がコキ使うべき存在なんです。判断するのは、自分たち。その判断の根拠である法律を作るのは、自分たちであり、その代表者を選ぶのが議会員の選挙です。
新聞やテレビがよく裁判の判決を、市民感情と乖離している、とか、国際化の流れに反するとか、批判しますけど、司法機関が法よりも市民感情とか社会の流行に流されちゃ絶対にダメ。それこそ三権分立の崩壊。国権の最高機関が国会であることの所以は、司法が判断する際の法律、そして行政を機能させるための法律を作るところが立法府であり、その立法府の構成員が国民の選挙によって選ばれているということにあるわけです。その原点をよく理解した上で、司法改革云々の議論をして頂きたい。その点では、橋下弁護士はよく理解しているなと思った次第です。