既成事実化ってのは、連中の得意技だ

チベット統治の正統性強くアピール、中国が宣伝本格化」
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20050208id25.htm

【北京=藤野彰】中国当局が今年9月のチベット自治区成立40周年に向け、チベット統治の正統性を内外に強くアピールする政治宣伝工作を本格始動させた。インド亡命中のダライ・ラマ14世がチベットへの「1国2制度」適用を訴える中、中国側はチベット仏教の新指導者として育成中のパンチェン・ラマ11世(14)を民族統合のシンボルに据え、自治区体制の継続・強化を図っていく構えだ。

何が自治区成立40周年やっちゅうねん。ふざけてんのか。傀儡という言葉がこれほど似合う状況もありませんな。こういうことをすればするだけ、北京政府の非常識加減が暴かれるんですがね。
北京政府がチベットを「統治」していった過程は、ウィキペディアよりこんな感じです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88
この↑ページから1900年代以降の時系列だけ拾ってみます。以下、引用者が時系列に編集。

1912年 清国の滅亡。チベットダライ・ラマ政権は完全な独立を模索
1913年 モンゴルとの間で「チベット・モンゴル相互承認条約」を締結。2国が手を携えて漢人の共和政権である「中華民国」に対抗する姿勢をとる。(当時の帝国主義列強諸国の中には、モンゴルとチベットの立場を支持して、この2国を「独立国」として承認する国は現れず)
    ラサを占拠していた清国軍を激しい市街戦のすえ駆逐
以後、チベット側は、ガンデンポタンの実効支配領域の内部には、いかなる中国の機関も設置を認めず。
1940年 ダライラマ十四世の即位式典。列席した中国の使節団は、式典のちも帰国せず、1948年に強制退去させられるまで、「中華民国蒙蔵委員会駐蔵辧事処」を名乗ってラサにとどまり続けた。
戦時中は中立を保ち、日本に物資支援をおこなった事もあった。
1950年 中国人民解放軍が侵攻

こうして見ると、北京政府がチベット統治の正当性を主張する根拠は、1913年の「チベット・モンゴル相互承認条約」を帝国主義列強諸国が承認しなかったことにあるようです。でもさ、北京政府って帝国主義に反対してるんじゃなかったっけ? 自らに都合が良ければ、何でも利用していく、見事なダブルスタンダードぶりを発揮しています。
当たり前のことなんですが、朝日はこのニュースをスルーしているようです。ま、書きようがないわな。