万世一系=男系か?

産経の「正論」というコラムが、月曜分だけWEB版に掲載されます。今回は話題の「女性天皇是非論」について。
「【正論】明治大学教授・入江隆則 女性天皇論は日本解体に他ならず」
http://www.sankei.co.jp/news/050221/morning/seiron.htm
まあ、いろいろ考え方はあるんでしょうね。先に表明しておきますと、私は女性天皇容認派です。っていうか、現状では皇統維持はそれしかないんじゃないかと。
《第一章に置くべき「天皇」》とか《感情論で判断してならず》の部分は、大筋、賛同できます。国家元首(あるいはそれに相当する「象徴」)を1番に書かないのも妙な気がすしますし、感情論で判断するのも理性的じゃないとは思う。で、問題はその後ね。

《正統性疑われる事の危険》
かりに現内親王殿下が、過去に何度か例があったように緊急避難的に女性天皇として、次々世代の皇位を継がれ、民間人と結婚されてお子さまが生まれ、その方が次の皇位を継承されるような事態になれば、史上初めての女系天皇の誕生となる。
これは残念ながら、男系で一貫してきた万世一系の皇統の中での、正統性が疑われて十分なケースとなる。この場合に問題なのは、男女同権の世の中で不合理だというような、口当たりの良い理屈にあるのではなくて、千数百年続いてきた皇統が、どんな理由にせよ切断されたという、疑い得ない事実そのものの中にある。これはやがて日本解体への道ではないだろうか。
権威としての天皇が、権力としての幕府と共存するという権・権分離の伝統は、古代の律令神祇官太政官より上位にあるとされて以来のもので、戦後のマッカーサー憲法においてさえ、滅亡せずに継承されてきた。
われわれが直面しているのは、この奇跡のような正統が切断される危険である。昭和二十二年に皇籍離脱された旧皇族の復活によって、それを防ぐ方策が今ならまだあるのだとすれば、次世代に難題を残すよりも、この際それを選ぶべきときだと言っておきたいと思う。

(以下の文章は、逆説の日本史(井沢元彦著)の第2巻に多くを拠ります。私のオリジナルではなく、井沢氏による仮説ですが、私は井沢説を支持する者であることを明記しておきます。)
入江氏は「万世一系」という歴史を盾に取っておられるようですが、それは「日本書紀」を全面的に信用した場合のことですね。「日本書紀」は、壬申の乱で勝利した天武天皇側による歴史書ですね。しかも勝利した相手は、天智天皇の息子であり、時の皇太子(壬申の乱時点では、間違いなく即位していたはず)の大友皇子。さらに謎はあり、その「日本書紀」には天武帝の没年齢が書かれていない(推定できる根拠もない)。で、天武帝の皇后は天智の実の娘です。そして、その天智の娘は持統天皇になります。
さて、面白いと思いませんか? 天皇の名前は生前にそう呼ばれたのではありません。死後に贈られたものです。ですから、天智も天武も持統も生前はそう呼ばれたのではない。死んでから、そう呼ばれたんです。天智と天武については、前掲の井沢氏の著作を読んで下さい。実に深い意味があります。で、ここでは「持統」にこだわってみましょう。
系統を維持した、と読めなくもない。いや、実際はそう読むのが正しいようです。つまり、持統天皇は皇室の血統を維持した、ということなんですね。ということはですよ、天武帝にはたくさんのお妃さんがいて、かつ子供もたくさんいたのだから、持統天皇のケッタイな相続(自分の息子を皇太子に。しかし、天武帝死後すぐに皇太子も死去。そこで、自身が即位し、孫を皇太子に指名)は奇妙です。しかし、この奇妙な相続をしたがゆえに「持統」と呼ばれることになったと。どういうことか。
武帝は皇統と縁薄い血統だったということです。
つまり天武帝と持統以外の妃の間に生まれた子は、明らかに皇統を継ぐ人間とは見なされていなかった。だから、持統天皇は自分の子に皇統を継がせることに必死になった(自身は正当な皇統である天智の娘)。それゆえに皇統を維持した天皇という意味の「持統」の名を贈られたというわけです。
となると、男系万世一系というのは、歴史上覆ったことがある(建前は別ですが)と考えた方がいいんじゃないかと。だから、私は男系優先ではあるけれど、女系を繋ぎに考えたところで、特に問題はないという立場です。
歴史を盾にこの問題を論じてかつ、男系に限るべし、というとこういう落とし穴があるってお話でした。