解釈などという曖昧な素地は残すな

自衛隊憲法に規定」多数、女性天皇も…衆院調査会」
http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20050323i101.htm
こういう議論が封殺されなくなったことを歓迎します。以前は憲法改正と言うだけで、軍国主義者だの右翼だの言われたものですが、日本も本当の意味での言論の自由が認められる社会に成りつつあるようです。

ただ、集団的自衛権行使の容認論については、「法的根拠を憲法におくべきである」との意見と、「解釈の変更によって行使が認められるので憲法に明記する必要はない」との意見に分かれていると整理している。

私は前者に賛成します。法解釈に曖昧さを残し、解釈変更が可能とする考え方は、昭和初期の軍部が持ち出した「統帥権」解釈の論理と同じです。明記しなければ、集団的自衛権は持たない、持つならば明記する。それが全世界に共通する「常識」であろうと思います。民主主義を守り、国際平和を願うのであれば、国際平和や民主主義を脅かす勢力と戦わなければならない。そのときは当然、同盟諸国と結束する必要があります。すなわち、集団的自衛権を認めないと言うことは、国際平和を願わないということで、一国だけの平和を求めていると宣言するに等しいと私は考えます。
ルールというのは、誰がどう読んだって一義にしか解釈できないように書かなければ意味がありません。そうでないと法治国家は成立しません。