反日デモ−背景を考えるなら

例えば朝日新聞なら、シナや南朝鮮で発生する反日デモについて「その背景を考えろ」と言います。その背景には首相の靖国参拝がある、と言って批判しますね。特に靖国神社に「A級戦犯」が祀られてから、靖国参拝は間違っている、などと言うようになってきた。しかし、以前にも紹介したように、A級戦犯を祀った後でも、シナと同じように「侵略」の対象になった東南アジア諸国からは、靖国参拝者が途絶えているわけでもありません。また、東京裁判自体が合法的ではない、ということはかのパール判事だけが仰っているわけではありませんね。そもそも、日本と死力を尽くして戦ったアメリカ軍の総司令官マッカーサー元帥が、太平洋戦争は日本にとって自衛のための戦争だった、と発言していることから見ても、自衛のための戦争を指揮し、敗北の責任を取らされて処刑された方々が靖国神社に祀られたのは、当然と考えられると思うわけです(無論、彼らの軍事的な能力の欠落とは別の問題です)。
そこで、太平洋戦争(大東亜戦争でもいい)がどういう背景で起こったのか、を考えることは実は非常に重要なのではないかと思うのです。残念ながら、新聞各紙を読むにおいて、この点に関する論説はほとんど存在しないように思います。
例えば、日本はシナ人を「虐殺」し、朝鮮半島を「搾取」したとされています。しかし、実情はどうなんでしょう。台湾も朝鮮半島と同じように日本統治下に置かれました。そして、その台湾総督府の財政は、所期を除き概ね黒字経営でした。黒字経営ということは、意地悪い見方をすれば、日本本土は台湾を「搾取」していたとも見れないことはない。それに対して、朝鮮総督府の財政は36年間のうち、わずか1年だけを除いて、赤字経営だった。赤字経営ということは、日本本土からの持ち出しの方が多いわけですから、これを見れば、日本が朝鮮半島を搾取していたと考えることは、ほぼ不可能であると思われます。
さて、太平洋戦争に突入する前の世界経済は、どういう状況だったのでしょうか。実は、ここにシナ北京政府と南朝鮮政府の反日教育の嘘を解く鍵があると思います。
当時の世界経済は、ブロック経済とよばれる、植民地をたくさん持つ主要国が自給自足を目指す経済構造を持っていました。まあ、自給自足と言っても、アジア、アフリカ、中南米の植民地を搾取するだけのことですが。つまり、ブロック以外の地区には、高くモノを売り付ける、関税を高くして売れなくする、という措置を取っていたわけですね。アメリカ、イギリス、フランスのように植民地をたくさん抱えている国は、原材料を手に入れることができる上、売り先もたくさんある。ところが、第一次大戦で植民地を失ったドイツ、遅れて統一国家を形成したイタリア、そして植民地がともに天然資源に乏しい日本にとって、世界経済のブロック化は死活問題だったわけです。何せ、エネルギー資源が一切入ってこない。自国で作ったものを海外で売ることができない。経済が全然発展しないわけです。既得権益を持っている強大国による支配体制を崩さない限り、経済的な成長はあり得ないわけです。
そこでブロック経済に対抗しようとすれば、自国でブロック経済を作るほかない。つまり、相手が持っている植民地(あるいは経済圏に巻き込んでいる地域)を軍事的に奪うか、本国を直接奪うか、という手段になります。現在のように話し合いのための機関は、存在していません(国際連盟にはアメリカが加盟していないなど、矛盾が多い)。ドイツは、結果的に本国を奪い取ること、日本は植民地を奪うことを選択したわけです。
日本の戦争への動機は(その指揮体系の矛盾については、大いに問題がありますが、それは別の問題)、自国のブロックの確保。そのブロックを、日本は大東亜共栄圏という美称で呼びましたが、何のことはない、日本の経済ブロックを作ることが目的だったわけです。つまり、資源と市場の確保が目的だったわけです。
資源の確保を行うためには、当然労働力が必要です。また、市場を確保するということは、購買者が必要です。
それなのに、出先の人々を虐殺することなんてあり得るでしょうか。
そりゃ、日本に反抗する人たちは、日本軍と戦争になったでしょうし、弾圧の対象にもなったでしょう。それが起きるから戦争というわけです。でも、そうでない一般の民衆を虐殺することは、当時の日本の経済的欲求には全く合致しないわけです。実際、台湾や東南アジアでは、シナ北京政府が主張してやまない「南京大虐殺」のような虐殺事件は、まず起きていませんでしょう。特にシナの人々の中でも、南京のような大都会民は、明らかに今後の購買者層を形成するわけですが、そういう人々を「一都市すり潰し」のように虐殺できるものなんでしょうか。
私は、この観点から見て「日本がシナ大陸や朝鮮半島で、虐殺、搾取、暴挙の限りを尽くした」として、まるでナチスユダヤ人殲滅を狙ったようなことを、シナと朝鮮半島で行ったという主張に対しては、合理的な説明が付かないように思うんです。ナチスユダヤ人殲滅を狙ったのは、実はユダヤ人が持つ大量の資産が狙いであったことは明白です。しかし、朝鮮民族やシナ人がユダヤ人のように資産を保有していたかというと、残念ながらそれはない。つまり、朝鮮民族やシナ人は日本人にとって、貴重な労働力であり、貴重な購買者であったわけです。ドイツとユダヤ人との関係と、日本と朝鮮・シナ人との関係は、全く異なっている。シナ北京政府や南朝鮮政府、そして扶桑社の歴史教科書を批判している方々は、以上の背景を全く知らないか、もしくは全く無視しているか、どちらかだと思います。前者であるなら、もっと勉強しろ、と言いたいし、無視しているなら、これこそ歴史に対する冒涜です。
日本が朝鮮半島総督府を置いて統治したことも、そして日本がシナ大陸に労働力と市場を求めて「侵略」したことも事実です。それに対して、日本は果たして反省していないのか?
日本どころか、世界全体が反省していると思います。日本やナチスが行った「蛮行」は、ブロック経済が原因であることを反省した世界は、GATTという協定を作り、そして現在はそれを発展させた形でWTOが設立され、国際経済が再びブロック経済化に陥らないようにしています。日本は戦後60年、いかなる戦争にも参加していません。イラク戦争も戦後の復興処理に参加しただけです。カンボジアPKOにしても、戦争ではなく平和を維持するための派遣でした(PKOの名前のまんまですが)。また、日本は世界が必要とする高性能なモノを安く作れれば、例え世界が再びブロック経済化しても絶対に困らない、という信念を持って経済活動を行ってきました。実際、東欧諸国の民主化には、日本と日本が資本導入した東南アジア諸国製の高性能電気機器の流入が、大きな役割を果たしたと見る見方もありますし、これは非常に説得力があります(「渡部昇一の日本史快読!」など)。
一方、日本に反省を求めるシナ北京政府は、50年にわたって台湾を武力で恫喝し続けているし、チベットウイグルに対して人権抑圧を行っている。言論の自由を認めず、天安門事件では自国民を戦車で轢き殺すという暴挙にも出ています。また、東南アジアや日本との間での海域紛争が絶えません。また、朝鮮半島の北の国は、他国民を拉致するというテロ行為を国策として行っています。そして、南の国では日本を少しでも褒める(あるいはイーブンな評価対象とする)だけで、敵視され挙句には、親日発言は言論の自由の範囲外である、とまで主張する、実質上言論の自由がない国となっている。また、南朝鮮ベトナム戦争では、現地で蛮行の限りを尽くしています。1945年以降、日本ほど他国に対して平和に付き合いをしてきた国があるでしょうか。これは、日本が第2次大戦での「失敗」を十分に反省してきた結果ではないのでしょうか。戦後60年、国内の派閥闘争に明け暮れ、経済的な発展を疎かにした(それでも今や世界トップ10クラスの経済力を持つ南朝鮮は立派だと思うのですが)結果が、今の日本とシナ、朝鮮半島の差になって現れているだけではないでしょうか。
日本の統治を受けた台湾では、国民党の独裁体制を事実上無視して、経済発展に努めました(無論、苦難はありました。それは司馬遼太郎氏の「街道をゆく−台湾紀行」に詳しいです)。シナ、朝鮮半島は、戦後60年、自らは「勝利者」だと思ってきた。ところが「敗者」の日本に、経済力でも国際的な信用度でも大きな差を付けられてしまったわけです。唯一、台湾の「本島人(国民党とともに台湾入りした大陸人ではない人)」だけが、台湾が「勝利者」であるとは認識せず、また日本を「敗者」として馬鹿にすることもなかったがゆえに、世界有数の外貨準備高を誇る経済大国となり、その結果、国民党によるイデオロギー体制を崩壊させ、恐らくアジア世界(朝日的アジアではなく、地球儀的アジアとしての意味)では一番の民主国家を築き上げたのです。
以上、物事を経済的な面から大雑把に検証してみるだけで、シナや南朝鮮の「反日」主張には全く論理性がないことがよくわかります。そもそも、これだけ事実無根の反日教育を行っている国に、日本が「反日教育はけしからん」と申し上げると「内政干渉である!」とする国が、日本に対しては堂々と内政干渉を行ってくることも、理屈として成り立っていないんですけどね。とにかく、一言言えるのは、洋の東西、そして何時の時代も問わず、イデオロギーありきで物事を見ると、必ず矛盾が生じるということです。イデオロギーとは司馬遼太郎氏の表現を借りれば「丸いものを四角、三角ということ」ですが、丸いものを丸いということは、普段からそれを実行している人には難しくない。しかし、シナや朝鮮半島のように、それを実行していない人には非常に勇気のいることです。その勇気を、いつ彼らが身に付けるのか、私は興味深く観察するつもりです。そして、朝日新聞とそのシンパに蔓延り続ける、日本流イデオロギストがいつまで生き延びるのか、という点も私は興味深く観察して行こうと思っています。