巷で話題の朝日の社説です。

靖国参拝 遺族からの重い問いかけ」
http://www.asahi.com/paper/editorial20050614.html
私は自称・民主主義者ですが、一番民主主義者にとって憎むべきものは、少数の意見によって多数を圧することだと考えております。これは、はっきり言えば、専制政治と同じでありますので。だから、私はシナ共産党政権や北朝鮮労働党政権を憎むわけであります。しかし、日本で自称・民主主義を標榜する新聞社は、少数の意見によって多数を圧することを常に目論んでいるように思えてなりません。今日の社説もまさにその流れに沿ったものです。

これに対し、多くの遺族や読者の方々からお便りが届いた。首相の参拝は当然であるというご指摘もあったが、印象的だったのは、A級戦犯に代表される戦争指導者の責任をいまも厳しく問う遺族の声だった。

印象的だったそうですが、これにはカラクリがあります。この意見は「多くの遺族や読者の方々から」届いたお便りの中では少数派だったはずなのです。何故かというと、もしこの「印象的」な意見が多数であれば、朝日は間違いなく「頂いたお便りの多数は、A級戦犯に代表される戦争指導者の責任をいまも厳しく問うものであった」と書くはずだからですね。

23歳の兄を中国で、25歳の叔父をソ連で亡くした山形県の男性は「300万人の兵士、国民を亡くしてようやくアメリカに無条件降伏に至ったことは戦争指導者として万死に値する」と書いた。

ええ、この方の意見のうち、「戦争指導者として万死に値する」は正しいと思います。しかし、この男性の間違いは「アメリカに無条件降伏」という点。日本は、ポツダム宣言を受諾して、降伏したのだから、無条件降伏ではありません。無条件降伏をしたのは、ナチス・ドイツです。ちなみに、この方も戦争指導者が行政責任としての敗戦責任を取るべき、と書いておられるだけで、何も靖国神社に祀られることに反対しているようには思えませんけど。

静岡県の女性は、こう記している。
「私は常々、当時の政府や戦争指導者の日本国民に対しての責任・反省からも『靖国参拝』には絶対反対である。この戦争で肉親を亡くし、辛酸をなめてきた一国民としても、首相や閣僚の靖国参拝はどうしてもやめてもらいたい」

よろしく、靖国参拝者を首相にさせないよう、選挙運動を行って下さいませ。民主主義者としては、それしか認められません。

日本遺族会自民党の有力支持団体であり、靖国神社の国家護持や歴代首相の公式参拝を求める運動をしてきた。小泉首相は4年前の自民党総裁選のさなか、日本遺族会幹部に靖国参拝を条件に支援を求めたことを認めている。
その会長が首相に参拝自粛を促した。
「公約」の呪縛から首相を解き放つメッセージだったのだろう。靖国神社に代わる新たな追悼施設をつくろうという動きに、遺族会として歯止めをかける狙いもあったようだ。 古賀氏は発言を私見だとしているが、遺族会には批判も出ているという。読者からのお便りもそうだが、遺族の方々の思いには多様な広がりがある。そのひとつの表れであることは間違いない。

朝日はどういう考えでこの文章を書いたんでしょうか。日本遺族会という会は、思想統制団体ではないので、内部にいろんな考え方を持つ人がいて当然でしょう。会の総意としては、靖国参拝を求めるということになっていても、会員の方々には、その意に満足しない方々だっておられるだけのことでしょう。
また、古賀氏の発言には、当然、自らが再び政権の主流に立ちたいという思惑があることくらい、新聞社ともあろう情報の坩堝にいる人間がわからぬはずがないと思うんですがね。加藤紘一氏しかり、野田毅氏しかり、反小泉派閥の方々が政権奪取のための政争の道具に使っているわけですね。つまり、古賀氏が本当に「英霊が静かに休まることが大事」と考えているのなら、自らの権力奪取のために靖国神社を出すなと、朝日は批判すべきではないの? 外国の勢力と結託して奪った権力は、その後、その外国勢力からの傀儡になるというのは、世界の常識ではないですか。まして、普段から日本はアメリカの言うなりである、小泉はアメリカのポチである、と批判しているのなら、同じことをシナ共産党政府にやろうとしている、この方々も批判しなければならないのではないですかね。

そもそもの原因となっているA級戦犯合祀(ごうし)への割り切れなさもある。肉親や知人が東条英機元首相らと一緒に祭られることへの反発。合祀したのは遺族の総意ではないのに、そのために非難される不条理。そんな声も聞く。
外交的な行き詰まりが深まる中で、遺族の側からそうした発言が出始めている。首相は国内のさまざまな声にいま一度、耳を澄ませてほしい。

ということは、靖国参拝を実施して欲しい、と願う方々の声にも耳を澄ませることになるわけですね。首相がどういう判断をするかは、首相が決めることですね。朝日の書き方では、最近になって「そうした発言が出始めている」そうですが、私は違うと思う。日本遺族会ほどの大きな会員数を持つ団体になれば、当然、意見が全員一致するとは考えにくい。以前から、意見の不一致はあったはずだし、そう考えるのが自然です。今、こういう状況になったからこそ、こうした少数意見が朝日や毎日にとって取り上げる価値が出てきた、というわけなんです。つまり、朝日は、最大多数の幸福という民主主義における多数決的概念を真っ向から否定しているんですね。私が朝日の立場に立って論説を書くのなら、少なくとも最後の文章は次のように改めます。
「外交的な行き詰まりが深まる中で、遺族の側からもそうした発言が出始めている。外交は政権与党の重要な職務であり、小泉首相靖国参拝を強行することは日本の国益にとって望ましくない。そこで、野党各派や自民党良識派は、小泉内閣の不信任案を提出し、可決させ、総選挙において、国民の信を問うべきである。
とね。立法府議員という政治家が国民の声に耳を澄ませる方法は、選挙以外にありませんからね。
あ、上に書いた「良識派」ってのは、朝日にとっての「良識派」のことです。お間違えなきよう。