急いで結論は出さなくていい

皇位継承権の問題です。
皇室典範有識者会議 「女系天皇」容認に走る 伝統重視派、巻き返しへ」
http://www.sankei.co.jp/news/morning/30iti002.htm

安定的な皇位継承のあり方を議論する政府の「皇室典範に関する有識者会議」(座長・吉川弘之元東大総長)は二十九日の第十二回会合で、継承「順位」の定め方について議論した。次々回会合から意見集約に入るが、現在まで百二十五代続いた皇室伝統である男系(父方に天皇を持つ)による継承は「将来行き詰まる」とし、女性・女系天皇容認の方向で走り出している。民間有識者らの間には、伝統重視の立場で発言するグループ発足の動きが目立っている。

私は「女性天皇」は容認しますが「女系天皇」は容認したくない、という立場です。言ってることが怪しゅうございましょう? 自分でも怪しい、と思いますんでw。
でね、本来、皇室のことは皇室でお決めあそばせばよろしいわけなんですが、皇族・皇室のことに、いわば「他人」である我々がとやかく申し上げるのも、かなり妙だと思います。ですから、皇室典範というルールを廃止するのも一つの方法だと思います。イギリスという国は、基本的に「無原則」な国でして、恐らく今も王位継承については、明確なルールはないのではないかと思います。例えば「名誉革命」後の王位継承騒動をウィキペディアで引いてみるとこんな感じになります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E8%AA%89%E9%9D%A9%E5%91%BD#.E6.96.B0.E7.8E.8B.E3.81.AE.E5.8D.B3.E4.BD.8D

議会側は当初メアリーの単独即位を望んでいたが、すでにロンドンを制圧してイングランドを軍事的に支配下においた夫のウィレムがそれを不服としたので、両者の共同統治と決まった。ここにウィレムはオランダ統領兼務のままウィリアム3世としてイングランド王にも即位することになった。
1689年2月13日、ウィリアム3世メアリー2世は即位すると、王位に対する議会の優位を認めた「権利の章典」に署名した。権利の章典は王の専制を排除する近代的な議会制民主主義を確立する契機として、イギリス史上高く評価されている。

王様は「ウィリアム&メアリー」(渡部昇一先生曰く「ポップス歌手みたい」)。要するに、決まらなかったんですね。とりあえず当座はこれで凌ぎますか、というところだと思います。これも、もし厳格なルールがあったら、こんな「いい加減」なことはできなかったでしょう。
同じ方法を取るのは無理だと思いますが、皇室のお家騒動ですから、皇室でお決めになるのが筋だと思います。
で、そうなると、現実的には宮家の復活しかないんじゃないでしょうかね。「宮家」を同じようにウィキで引きますと、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%AE%B6

幕末から明治時代にかけて、新しい宮家が続々と新設された。それまで出家していた皇族が還俗され天皇の藩屏としての役割を担う事になる。こうして新設された宮家には、梨本宮、山階宮久邇宮、聖護院宮、北白川宮華頂宮小松宮賀陽宮東伏見宮朝香宮竹田宮東久邇宮がある。

また、直宮としては、大正天皇の3人の皇子がそれぞれ、秩父宮高松宮三笠宮の称号を賜り宮家を創設した。

ところが、戦後、事態は一変する。昭和22年(1947年)10月に連合国軍最高司令官総司令部GHQ)の指令に基づいて、皇室財産の凍結、皇族の財産に関する特権の停止などが矢継ぎ早に打ち出された。そうした中、GHQは、秩父宮高松宮三笠宮の三直宮家を除く11宮家、51人の皇族の皇籍離脱を指令した。この指令に昭和天皇や一部の皇族は抵抗した。また、香淳皇后の実家、久邇宮や第1皇女照宮成子内親王が降嫁された東久邇宮などは皇族に残留させるように働きかけが行われたが、最終的には11宮家全部の皇籍離脱が決定し実施された。こうした旧皇族の中には戦後の荒波の中で苦難の生活を送った者も少なくない。

とあります。上記、産経の記事中には「旧宮家は現皇室とは600年前に分かれた」という有識者の見解もありますが、血統的にはそうであっても、わずか60年前までは皇室であられたわけだし、そもそも離脱を決定したのはGHQですからね。
さて、書き連ねていると話が妙な方向に行くんですが、実はGHQ占領政策には、当時のアメリカの民主党政権内に入り込んだ共産主義者の意向が強く反映されていた、という話があります。今月号のWiLL誌にも渡部昇一先生が紹介されていますね。共産主義者とはどういう連中か。これは、資本主義だけではなく君主制をも敵視し、排除しようとしていた連中なんですね。ですから、当時のGHQは日本解体の一環として、皇室の断絶を目論んでいたとも言えます。占領当時にいきなり皇室処分すると、これは日本で大暴動の危険があるから、時間をある程度かけて、断絶に向かわせようとしたのではないかと、想像してしまうわけです。
ということで、私が考える皇位継承権問題への解答。

  1. 皇室典範の廃止。皇室のことは皇室で決めて頂ければよろしいかと。
  2. その上で旧宮家を60年ぶりに復帰いただき、皇位継承権をお持ち頂く。過去にも出家後に還俗し、皇室に戻られた方もおられますから。

こういう問題を考えるときは、特に今の価値観だけで見るのではなくて、歴史上の先人たちの判断を尊重すべきだと思います。