Y型染色体に拘るな−歴史的側面から

昨日のエントリの続きです。Y型染色体に拘るな、というお話(のつもり)。
実はですね、天皇家は「万世一系」ということになっていて、神武帝以来の血統である、ということになっております。でね、私は「神武帝以来の血統」が大事なのではなくて「神武帝以来の血統であると自称されていること」が大事なのだと思っています。
言ってることがよくわからぬ? では、こう言い換えましょうか。「事実」よりも「伝承」が大事だということなんです。
Y型染色体を皇位継承者の一つの資格と考えている方々は、日本書紀などの記述が「事実」だと思っているのだと思います。
日本書紀とは、Wikipediaによると次のような書物です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80
で、まあざっくり言ってしまうと、持統天皇までの各天皇の一代記を中心にした歴史書と言って差し支えないかと思います。
さて、一昨日のエントリにも書きましたが、持統天皇は何故、日本書紀を編纂したのか、という疑問があります。特に疑問があるのは、持統天皇の夫帝である、天武天皇。わずか持統天皇より一代前の天武天皇は、他のほとんどの天皇が1巻編集なのに、2巻も編集されている。つまり、天武天皇の業績は山ほど書かれているんですね。その業績を山ほど書かれた天武天皇は、実は日本書紀には生年が書かれていない。
あ や し い !
ね、怪しいでしょ。めちゃめちゃ怪しい。たった一代前の最高権力者なのに、生年がわからんのですよ。「逆説の日本史」で有名な井沢元彦氏は、天武帝皇位継承できる血統ではなかった、と著作で述べておられます。私も、この書紀編纂の時期、そして内容を考えると、十分あり得る話だと思います。
しかし、出自の怪しい(?)皇位継承者である天武天皇と、そのファミリーが記した日本書紀には、歴代の天皇家はすべて「神武帝以来の男系継承」であることが示されていて、天武帝自身についてもその一員であるかのように書かれている。
自分の出自を隠し、その正当性を誇示するために、日本書紀を書いた。そこで、それまでの天皇(日本の支配者)の一代記を編集し、その血統に自分も連なっている、と主張した。これが天武ファミリーが狙った日本書紀編纂の意図である、と井沢氏は主張します。私もそう思います。
実は、私は「神武帝以来の男系継承」は、この時期に定まったものではないかと考えています。
古代史ファンは知っていることと思いますが、古代の天皇家は一系ではない可能性が高いのですね。王朝が何度か変わっている可能性があります。怪しげなところで一番名前が挙がるのは、多分、継体天皇だと思います。だって、天皇は誰だって「継体の君」のはずですが、何故、わざわざ「継体」という名前を送ったのか。それは「本当の継体の君」ではなかったからではないかと。
つまり、Y型染色体に拘っていくと、歴史学の考証が進むにつれて、「神武帝以来の血統」は事実じゃなくなる可能性があるんです。だから、皇位継承議論には染色体継承論は不要な話だと私は思うんです。
むしろ、大事なのは、天武ファミリー時代に日本書紀が編纂され、そこで天皇家の正当な後継者の資格が示されたことにあります。それが「神武帝以来の男系血統であること」なんです。天武自身がそうではなかったにも関わらず、彼のファミリーはそのように自称したわけですね。それは、すでに皇位継承者の資格者は「神武帝以来の男系血統の継承者」が一つの条件になっていたことを示すものでもあるのではないかと思うのです。しかも、普通、ある王朝を滅ぼした者は、前王朝を貶めるような記述を書きます。これがお隣のシナ大陸の歴史であって、こともあろうに彼らはそれを「正史」と言います。しかし、日本では、王朝の簒奪者の可能性がある天武ファミリーですら、シナ大陸風の「正史」を書かなかったんですね。そこが、実は面白いと思う。
そして、それ以後、約1,300年、皇室は「神武帝以来の男系血統」であることを公言してきているわけですね。そして、神武帝以来の男系血統を遡ると、天孫降臨神話に辿り着く。ここで、歴史的側面と宗教的側面が一致するのです。
だから、重要なのは次の二点です。
1)歴史的に見ると、「天照大神の子孫である神武天皇の男系継承」を記した日本書紀の記述を伝承してきた家系であること。
2)宗教的に見ると、日本書紀に書かれた「天照大神の子孫」として、先祖祭祀を執り行ってきた家系であること。
ここに、皇位継承議論の核心があると、私は考えている次第です。