アンケート結果公表

短い時間でしたが、アンケートにご協力下さった方々、どうもありがとうございました。53人という皆さんからのご回答数は、実は想像より多かったです。結果は次の通り。

皇位継承権の議論において、最も尊重されるべきは次のどれですか?」
1.皇室のご意思   42人 80.8%
2.国民の意見     9人 17.3%
3.有識者会議の結論  1人 1.9% *
4.国会での議論    0%

以外だったのは、国会での議論がゼロだったこと。これが3番目だと思ってました。で、圧倒的に多かったのが「皇室のご意思」が最優先と考えておられる方々。っていうか、普通そうでしょう、という常識の範疇だと私は思います。9割は行くと、私は思っていましたけどね。まあ、サンプル数が極端に少ないので、何とも言えませんけど。
そもそも、日本ではプライベートの最小単位が「家」だったのだ、という考え方を、養老孟司先生は「無思想の発見」(筑摩書房)という本で述べておられます。実際、現在でも「家」が最小単位のプライベートであることは、結婚式を見ればわかります。結婚するのは、当の二人のはずですが、「○○家××家」と書かれるわけです。一時期、こういう形の結婚式は廃れたはず(実際、7歳年上の大学院時代の兄弟子は、「家」の出ない結婚式だったそうで、当時はそっちが主流だったらしい)ですが、現在ではこっちが主流。っていうか、個人だけの名前で行う結婚式に、私は出たことがない。これは、今でも日本における「プライベート(私)」の最小単位が「家」であることを示しているように思います。
ですから、他「家」のことには介入しない、というのが日本人の基本スタンスであるように思います。逆に言えば、自分は社会的には「家」を常に代表しているとも言える。個人以上に、「家」まで背負っているわけです。
ともかく、この皇位継承権議論でも、日本人は「天皇家」という「家」のプライベートな問題であると、多くの人が認識しているのではないでしょうか。サンプル数が少ないにせよ、今回のアンケートはそれを示しているように私には思えます。
さて、戦後の日本は、私の世代も含めて、個人を尊重する教育を受けてきました。人権優先教育とでも言えばよろしいのでしょうか。要するに、プライベートの最小単位は「家」じゃないぞ、「個人」だぞ、と言ってきた教育とも言えるでしょう。そういう教育、あるいは思想を推進してきた人にしてみれば、皇位継承権の問題は天皇家という「家」の問題じゃなくなる。具体的なお名前を挙げるのは、大変心苦しいのですが、愛子様という「個人」の問題になってしまうんですね。ところが、「個人」のレベルになると、愛子様と自分自身がどれほど違うんですか、ということになります。自分自身とどれほど違うのか、と思って、天皇制(この言葉も嫌いなんですが)止めちゃえ、という議論も出てくる。また、男も女も同じなんだから、愛子様、そして愛子様のお子様と皇位を継承すればいいじゃない、という話になるわけです。
でも、この議論、やっぱり違和感がある。
そこにあるのが、日本人の「家」意識なんじゃないですかね。
だって、日本人ほど「襲名」って好きな民族はいないんじゃないですか? 歌舞伎役者なんかはその典型だし、相撲取りもそうです。相撲の行司なんて、襲名だもんね。縁も所縁もないけど襲名。それを言えば、会社員なんて襲名の極み。○○商事の課長さん、部長さん、あるいは担当さんってことが大事なんであって、個人名は重要じゃない。これが、日本人の「家」意識なんでしょうね。
個人ではそうそう変わらないけど、背景に「家」を背負うと、その人がずいぶん違って見える。というか、そこまでの社会性のある人間同士が付き合う社会だとも言えるのかなと。で、伝統的に「襲名」してるようなところは、それなりに理由があって(芸能に優れるとか、扱っている商品が素晴らしいとか)続いているわけです。
その最たる例が、天皇家なんですよ。
というか、逆で、襲名制度っていうのは、天皇家がモデルになってるんでしょうね。天皇家の場合は、神武帝以来の男系血統による「襲名」。伝統芸能は、血統よりも芸のレベルによる襲名(血統であることが望ましいけど、必ずしもそうじゃなくていい)。つまり、「家」にルールがあって、それに従って継承していく、というのは天皇家の真似なんでしょう。
この「家」意識を鬱陶しいと思うか、それとも続けた方がいいと思うか。知識人とか進歩的な人は、鬱陶しいと思うんでしょう。何故なら、彼らは「個人」で十分社会に対峙できているからです。逆に、そういう知識人や進歩人には「家」はない。「家」は戦うべき権威の象徴のように見えているのかも知れませんね。ところが、私たち一般の人間は、「個人」では生きていけない。会社という「家」が与える「肩書き」で飯を食っているのが現実ですし、また「家」における役割が自己を規定しているわけです。それが「父」であったり「夫」であったり「子」であったりもする。で、当然、「個人」で立っているわけじゃないので、自分の「家」が攻撃の対象じゃなければ、それほどいきり立つこともない。だから、天皇家(すなわち皇族)の問題である皇位継承権の問題も、自分たちの「家」のことじゃないので、静観しているわけです。
ただ、その「静観」は決して、知識人や進歩人の言うことを「容認」しているわけじゃないんです。どういう結論であったとしても、それは天皇家がお決めになることだ、と思っているわけです。だから、知識人や進歩人の巣窟であるマスコミが、世論調査で「女系容認6割」と言っても、実はその前提条件として、
天皇家がお決めになられた結果であるならば」
ということなんじゃないでしょうか。
知識人も進歩人もマスコミも、それから国会議員さんも、その辺をもっと考えなくちゃならんと思うのですけど。