そんなに家って必要かね?

寝込んでテレビを見ていると、このニュースをまだやってんですな。
「仮住居家賃補助は3分の2 耐震強度偽装で国交省
http://www.sankei.co.jp/news/051216/sei040.htm
私、実はこの問題には全然興味がない。まあ、こういう偽装なんてのは、誰かがやってるに違いないわけで、ちょっと前まではリフォーム詐欺とかで騒いでいたのが、マンションとかホテルにまで飛び火しただけなんだなと。
で、なぜ興味がないかというと、私には「持ち家」思想ってのが全くないからなんです。父は転勤族でしたから、生まれてこの方、借家以外に住んだことがないんですもの。まあ、父は退職後、家を買いましたが、その家に私は住んだことがありませんしね(それにローンじゃなくて現金決済)。で、今も一応、全国規模に事業展開しているらしい会社に勤務していますから、何時転勤になるかわかったもんじゃない。だから、住まいは借家なんです。それに、生涯、借家住まいのつもりです。だって、死んでしまったら「自分のもの」もへったくれもないわけじゃないですか。
でね、こういうことをなかなか上手く説明できなかったんです。上記のような喧嘩腰な言葉にならざるを得なかった。だいたい、家を買った人に、如何に持ち家思想がよろしくないことを説明するために「死んだらオシマイ」とか言っても納得してもらえるわけがないんです。
そこで、今日は昨日の産経新聞「正論」に書かれていた文章を引用いたします。私の言いたいことが、丁寧にまとめられておりました。
「借家住まいを進める「3つの知恵」 「持ち家」至上主義時代の終わり」
聖学院大学大学院教授 真野輝彦 (産経新聞12.18付朝刊 「正論」より)

漱石の小説「三四郎」の恩師は一戸建ての借家に住んでいた。なぜ借家なのか。まさか帝国大学教授に持ち家購入のための借金能力がなかったとは思えない。当時の人は「三つの生活の知恵」を持っていたのである。
第一は「家族の構成変化に適応した家に住む」知恵である。独身者や新婚当初は寝室が一つあれば足りる。子供の数が増えるにつれ、複数の部家が必要になり、熟年になると逆に手間のかからない住居を選ぶという知恵だ。今回の事件が示すように住宅関連市場が未整備な状況では、マイホームの保有は、この住み替えの自由を制限することになるのである。
第二は「フローのコストはフロー収入で賄う」という知恵である。平たく言えば月給の範囲内で家賃を含め生活するということだ。それは、家計の健全性を維持する知恵ともいえよう。
第三は今回の事件と最も関係のある「資産の集中を避ける」知恵である。バブル崩壊阪神淡路や中越の大地震、そしえ今回の耐震偽装事件など、住居に関する陸姿構っている中で、将来の給与、退職金まで担保に借金をして住居を買う意味をどう考えるかだ。
「一つのバスケット」に、人生を左右しかねない大きな資金を投入するリスクを三四郎の恩師は認識していたともいえる。

今度から「何で家、買わないの?」と聞かれたら、上記のように答えようと思います。