トルコと日本の友好はもっと深い

これは昨日のニュースなんですが。
「中東和平推進へ協力確認 日・トルコ首脳会談」
http://www.sankei.co.jp/news/060111/sei006.htm

小泉首相は会談後の共同記者会見で、中東和平に触れ「欧米に比べ中東に関与が少ない日本として(イスラエルパレスチナなどへ)公平に支援協力を進めたい」と強調。イラクの復興支援について「トルコと日本が協力できる分野として医療活動がある」との考えを表明した。
 エルドアン首相は「日本の主導で始めた活動にトルコが協力できることがあれば、喜んで協力する」と応じ、日本企業によるトルコへの投資拡大への期待感も示した。両首脳は政治、経済、文化など各分野で両国関係を発展させる方針で合意した。

トルコを訪問していることよりも、ポスト小泉の話題をトルコでまでやっているバカマスコミに辟易しております。トルコは、アジアとヨーロッパをつなぐ重要な位置にありますし、中東・中央アジアに広がるイスラム諸国の中では、最も穏健で安定した国です。民族としてのトルコ人は、国家としてのトルコよりも広範囲に居住していますし(ウイグルと我々が呼ぶ地域は、東トルクメニスタントルキスタン(コメント欄のご指摘より修正:1/13 10:00)と自称しています。東のトルコ民族の国、の意)、また国家としてのトルコ領には、トルコ人ではない民族も住んでいます。代表的なのは、イラクで知られるようになったクルド系民族の方々。つまり、国家トルコと民族トルコは、中東社会の縮図でもあるわけで、国家トルコの安定は中東社会のモデルケースでもあるということ。イスラエルシャロン首相の危篤によって、中東和平への直接関与が無くなった、この訪問は形式上・儀礼上のものになった、と小泉外交批判の材料にするマスコミは、やはり頭が少しおかしいと思います。
さて、トルコはアジアか欧州か、というと、トルコ自身、最近は欧州よりに動いています。EU加盟を目指していますし、サッカーではUEFAに所属していますが、これはトルコが欧州国家として存在する、というよりも、不安定な中東社会よりは安定したEUに属することで、政治経済的な安定を欲している、と考えた方がいいでしょう。
そのトルコは、日本と深い関係があることは、ほとんど知られていないと思います。拙日記でも何度か紹介している話ですが(一回かも)、「国際派日本人養成講座」より次のお話をば。
「地球史探訪:エルトゥールル号事件のこと」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog102.html

昭和60(1985)年3月18日の朝日新聞朝刊に「イラン上空飛行すれば攻撃/イラクが民間機に警告」という見出しが躍った。当時はイラン・イラク戦争(1980-1988)の真っ只中であり、長びく戦闘にしびれを切らしたイラクサダム・フセインは、ついに総攻撃体制に入ったのである。
(中略)
外務省は救援機派遣を日本航空に依頼したが、 「帰る際の安全が保障されない」として日本航空側はイラン乗り入れを断念したという。事態はますます深刻度を増した。同日タ刊には「テへラン 邦人300人以上待機」という見出しを掲げ、現地に釘付けとなった邦人の孤立状況が続報された。
(中略)
こうして、もはや万事休すと思われた土壇場、翌20日の朝刊に「テへラン在留邦人希望者ほぼ全員出国/トルコ航空で215人」という朗報が載った。
何とトルコ航空機がテへランに乗り入れ、邦人215人を救出してくれたのである。
(中略)
さて、ここで考えなければならないのは、なぜトルコが危険を冒してまで邦人を助けたのかということであるが、この疑問に対して朝日新聞の記事はこうである。
すなはち「日本がこのところ対トルコ経済援助を強化していること」などが影響しているのではないかと、当て推量を書いておしまいなのである。
自国の歴史に無知とはこういうことを言う。日本とトルコには歴史的に深いつながりがあるのだ。この記事を書いた記者が知らないだけである。
その証左として、昨(平成9)年一月の産経新聞に載った駐日トルコ大使ネジャッティ・ウトカン氏のコラムを紹介する。
(中略)

勤勉な国民、原爆被爆国。若いころ、私はこんなイメージを日本に対して持っていた。中でも一番先に思い浮かべるのは軍艦エルトゥルル号だ。1887年に皇族がオスマン帝国(現トルコ)を訪問したのを受け1890年6月、エルトゥルル号は初のトルコ使節団を乗せ、横浜港に入港した。三ヵ月後、両国の友好を深めたあと、エルトゥルル号は日本を離れたが、台風に遭い和歌山県の串本沖で沈没してしまった。
悲劇ではあったが、この事故は日本との民間レべルの友好関係の始まりでもあった。この時、乗組員中600人近くが死亡した。しかし、約70人は地元民に救助された。手厚い看護を受け、その後、日本の船で無事トルコに帰国している。当時日本国内では犠牲者と遺族への義援金も集められ、遭難現場付近の岬と地中海に面するトルコ南岸の双方に慰霊碑が建てられた。エルトゥルル号遭難はトルコの歴史教科書にも掲載され、私も幼いころに学校で学んだ。子供でさえ知らない者はいないほど歴史上重要な出来事だ。

(中略)
いずれにせよ、一世紀を経た昭和60年に身の危険をも顧みずトルコがテへランに孤立した日本人を救出したのは、エルトゥールル号事件に対する恩義を背景として培われた親日の行為だったと見てはじめて得心がゆく。
じつは、このエルトゥールル号事件のことを授業の教材にすべく、昨年七月にトルコ大使館から貴重な資料を送っていただいた。
その際、邦人救出に対して感謝の旨を伝えると、大使は通訳を通じて「いやぁ大したことではありません。当然のことをしたまでですよ」とこともなげに謙遜されたが、忘れ難い言葉である。

中略が多すぎる引用で申し訳ありません。エルトゥールル号については、Google検索でもたくさんのお話が出てきますので、是非、検索してお読みになって下さい。
つまり、トルコと日本は深い友好があるということです。そして、日本人は忘れてしまった。しかし、トルコにはまだその気持ちは残っているということなんですね。だから、今回、イラク復興で日本に協力する、というのも、単に日本との協力関係を維持することで経済援助を引き出すため、と考えていると(そういう側面は実質的にあるとは思いますし、為政者の側にはそういう打算はあるにせよ)、せっかく長年続いた二国間の友好を台無しにしてしまう可能性があるわけです。そもそも、トルコと日本は、問題を抱えているわけでもないので、首脳が往来することもそれほど頻繁じゃありません。だからこそ、首相がトルコを訪問することを機会に、日本とトルコの関係について、報道してくれても良さそうなものです。
そう考えてみると、やっぱり日本のマスコミっておかしい。上記産経新聞の引用記事(共同通信の配信)に、

エルドアン首相は「日本の主導で始めた活動にトルコが協力できることがあれば、喜んで協力する」と応じ、日本企業によるトルコへの投資拡大への期待感も示した。

とある。20年前に朝日新聞がやったトルコへの「侮辱」を平然とやってのけている。エルドアン首相は、イラク復興で日本が始めた活動に協力する、と言ってるだけなのに、それは日本からの資金援助を得るため、と解釈する「悪意」。この共同通信の記者、不勉強極まりない。こういう報道が、何も知らない日本国民に伝えられ、トルコが日本に協力してくれる真意をねじ曲げてしまうんですね。