父上は違憲行為をされていたということですか?

別にご本人が靖国参拝しないのは全然構わないんです。
「福田氏、首相の靖国参拝強く批判 ポスト小泉は否定」
http://www.sankei.co.jp/news/060117/sei061.htm

自民党福田康夫官房長官は17日、福岡市内で講演し、中国との関係悪化の要因となっている小泉純一郎首相の靖国神社参拝を強く批判した。同時に党内で「ポスト小泉」候補に挙がっていることに関し、「首相になろうという気持ちを持ったことは一度もない」と否定した。
 福田氏は日中関係について「靖国問題がネックになって残念な状況だ。日中両国に不幸で、こういう状況が長期化するのは好ましくない」と指摘。「首相は参拝を『心の問題』としているが、外交的に問題にならない方法がないのかと思う。早く(局面を)打開しなければいけない」と述べた。
 また新たな国立追悼施設構想に触れ「戦争で犠牲になった方をまとめて追悼し、平和も祈念する施設がないのは国家の怠慢だ」と実現に意欲を示した。

同内容のことが本日付の産経朝刊紙面にも掲載されていました。そこには「首相としての靖国参拝違憲」と書かれていました。なるほど、父君であられる福田赳夫首相は、憲法違反行為をされていた、と認識させていただいてよろしいのかな。
さて、新潮新書の新刊「超バカの壁」で、養老孟司先生がこの件について、明確にご回答下さっていますので、引用します。

靖国神社に参拝するのは小泉首相の勝手です。憲法で「思想及び良心の自由」「信教の自由」は保障されているのです。ただし政教分離なのですから日本国総理大臣と署名して参拝するのだけはやめればいい。個人で参拝する分には自由です。だから極論すれば、オウム真理教に入ろうが何をしようが完全に個人の勝手です。
(中略)
本来はいちいち細かくいう必要もないくらいあほみたいな話です。
とにかくあほくさいけれども、その議論が延々と繰り返されている。それは要するに「思想及び良心の自由」「信教の自由」を真面目に考えない人が多いからです。
(「超バカの壁」p.108〜109)

署名云々については、私は「内閣総理大臣」と書いても差し支えないと思っていますが、他のところは全く養老先生に同意します。
このあと、養老先生はお仕事であった解剖検体の慰霊を通じて、この問題を語っておられます。それを受けて、次のように仰る。

もし中立派がいうところの無宗教の墓地を作ったら、その管理もすべて国がやるということになる。当然、そこで働くのもすべて公務員ということになります。それは名前こそ「○○教」となっていなくても、実際には国が新しく宗教を作ったのと同じことになります。それは政教分離に反する危険な行為ではないですか。管理するのが総務省だとしたら、いわば総務省教みたいなものがそこに誕生するわけです。憲法ではそれを禁止しているというのが、私の憲法解釈です。
だから、逆に外部の宗教団体に預けておくのが一番安全なのです。
(中略)
せっかく穏便な形で外部の施設で追悼しているのです。それなのに「無宗教」の墓地を作るというのは、考えが足りな過ぎるよと言いたくなった。
(「超バカの壁」p.113〜114)

ですから靖国神社の問題で、無宗教の施設を作るという考え方には賛成できないのです。新聞の記事でも「無宗教の施設に参拝する」という表現があります。無宗教の施設に「参拝する」ことはできません。
それは美術館に参拝するというのと同じことでしょう。入場や観光はできても参拝はできない。この議論一つとってもいかに日本人は宗教音痴かがわかるでしょう。
もともと人間は何かを信じなければ生きていけない存在です。それを信仰といいます。ということは、信仰のない人はいません。「俺は何も信じない」と言っている人は、そのルールだけは信じている。思想も宗教もない社会はない。
憲法でいうところの政教分離というのは、政治が宗教と一緒になって悪いことをするなということです。別な言い方をすれば、宗教は宗教の持ち分、政治は政治の持ち分をはっきり決めるということです。
(「超バカの壁」p.114〜115)

ちなみに、「無宗教の施設」が「参拝」の対象ではなく「入場」「観光」の対象になってしまうことは、すでにドイツで証明されています(エントリ末にリンクを貼っておきます)。
さて、ここまでは理解できても、最後に立ちはだかる(?)のがシナ共産党政府や朝鮮半島の気持ちを考えろ、という論理。しかし、それにも養老先生は次のようにお答えです。

彼らとしてはこの件で文句をいうのが一番都合がいい。もしもまじめに日本に抗議して、東芝は出ていけなどと言って、本当にそうなったら彼らも困るわけです。中国の方が損をする。一番実害がないのがこの問題なのです。
それで彼らは日本に文句が言える。日本人も、向こうは害がないから言っているんだろうとニコニコして聞き流せばいいのです。それをまじめに相手にする人がいるからややこしくなる。余計なお世話です。放っておけばいい。
誰も損するわけでもあるまいし、得をするわけでもない。
もしも首相が靖国神社に行ったから損をした、という人が日本にいるとすれば、そんな商売はするなと言いたい。
(「超バカの壁」p.116)

ユニクロとかトヨタの経営者の方々、わかったかな?
さて、靖国参拝が何時から問題になったのか、というのは、最近はよく知られるようになっています。さらに、誰が問題にしたのか、というのも朝日新聞であることも知られている。では、その朝日の記事は誰が書いたのか、というところを紹介してくれたのが、「ぼやきくっくり」のくっくりさん。
「何度でも言う。靖国外交問題にしたのは朝日新聞!」
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri/index.php?eid=277

中曽根首相は昭和58年(1983年)、昭和59年にも参拝していますが、その時は中国は何も言ってきませんでした。靖国を特に問題視していなかったのです。
 昭和60年8月15日、“戦後の総決算”ということで中曽根首相は「公式参拝」をすることになるのですが(これは公約だった)、その少し前から朝日新聞は反靖国キャンペーンを始めました。
 そして参拝直前の8月7日、朝日新聞は「『靖国』問題 アジア諸国の目」という特集記事を掲載します。
 その中で「(中国と)同じ『愛国心』が、日本ではかつては軍国主義を底支えする役割を担わされたことを、中国は自らの体験として知っている。それだけに、靖国問題が今『愛国心』のかなめとして登場してきたことを、中国は厳しい視線で凝視している」と書いたのです。
 が、ここには具体的な根拠(誰が何と言ったのか、言ったとしたらその人物は靖国神社についてどの程度知っていたのか等)が全く書かれてありませんでした。
 当時の中国メディア(人民日報や新華社電)を精査したところ、案の定そのような言動は全くなかったとのことです。
 まさに朝日新聞お得意の「火のないところに火種を落とす」記事の実例でした。
 この記事を書いたのは、現在『報道ステーション』でお馴染みの加藤千洋です。
 放火魔が「靖国問題で日中外交は八方ふさがり。小泉さんにも困ったもんです」としたり顔で“解説”している。まるで漫画ですな。

 さて8月11日になって、人民日報が8月7日の朝日新聞の記事を受け、「日本国内に靖国参拝に批判的な動きがある」と報じました。それが中国側の最初の反応でした。
 但しこの記事は直接の論評はせず、「日本の一部新聞」を引用する形で書かれていたのです。
 実は当時、野田毅衆院議員が密使として訪中しており、当時の中国の外相らに「中国の反対で公式参拝ができなくなったりしたら、日本国内で反中・嫌中感情が高まってしまうから、ここは黙認してほしい」と要請していました。
 そして中国側から「黙認はできないが、批判のトーンを極力抑える」という約束を取り付けてきたとのことです(平成17年6月12日のテレ朝『サンデープロジェクト』における本人の証言による)。
 実際、中国政府は批判を抑制していたのです。
 ところが朝日新聞は8月12日、加藤千洋特派員が「公式参拝反対の声など詳報 人民日報」と題し、「日本の報道や消息筋の指摘を引用し」た人民日報の記事を紹介します。
 「日本の各野党や、キリスト教、仏教を含む宗教団体が一斉に『強烈に反対』し、抗議活動や決議を行った事などを伝えている」と書かれたその内容は、もともと8月10日の朝日新聞に掲載された記事「『いつか来た道』を警戒」に載っていたものと同じでした。
 当の中国・人民日報は日中友好のために批判を抑制していたのに、朝日新聞が東京と北京の間で同じ反日記事をキャッチボールして、騒ぎを増幅させていたのです。
 ついに8月14日、中国政府が「東條英機ら戦犯が合祀されている靖国神社に参拝することは中日両国民を含むアジア各国人民の感情を傷つける」として公式に反対表明をすることとなりました。
 ただこれも、中国政府が自ら進んで参拝反対の声明を出したのではなく、定例記者会見の場で、「公式参拝について中国側はどう論評するのか」との質問に答える形で述べたものでした。中国の立場とすれば、質問されればこう答えるしかありません。
 8月15日の参拝当日紙面に合わせて、前日の会見の場で誘導質問をした「工作員」がいたということです。
 質問した記者が誰かは不明ですが、おそらく日本人記者でしょう。なお、この記事(8月15日付)を書いたのもやはり加藤千洋特派員でした。
(太字、改行等、引用者が多少修正)

報道ステーションという番組自体が、壮大なスケールのマッチポンプだってことなんですね。
(参考資料)
ドイツの「ナチ虐殺ユダヤ人追悼施設」の顛末については、「マイネ・ザッヘ」さんが詳しいです。
「恥の記念碑」http://meinesache.seesaa.net/article/5826743.html
ホロコースト記念碑の教訓」http://meinesache.seesaa.net/article/3605103.html