これぞマッチポンプですな

麻生大臣の発言に早速食い付いたのが、朝日新聞でした。私は、どこの新聞もスルーしてると思ってました。だって、こんなのに食い付いたら、麻生大臣の思う壺じゃないですか。
「麻生発言 天皇を持ち出す危うさ」
http://www.asahi.com/paper/editorial20060131.html#syasetu1
まず何が気に食わないかというと、朝日新聞は常に「天皇」と書いていることなんですね。陛下を付けたためしがない。これがベタ記事ならまだわからなくはない。しかし、社説で「天皇」と呼び捨てる感覚は、私には大変不快に思います。
そもそも、麻生大臣の発言は、何ら問題もありませんし、実際、かつては天皇陛下がご参拝されていたわけですので、昔の状態に戻しましょう、というだけのことです。しかし、それが朝日新聞には気に食わないようです。

「英霊からすると天皇陛下のために万歳と言ったのであって、総理大臣万歳と言った人はゼロだ。だったら天皇の参拝なんだと思うね、それが一番」
 「(天皇の参拝が)何でできなくなったかと言えば、公人、私人の、あの話からだ。どうすれば解決するかという話にすれば、答えはいくつか出てくる」
 なにが言いたいのかよく分からないが、天皇靖国神社参拝こそが重要であるというメッセージは伝わってくる。

これで「なにが言いたいのかよく分からない」そうです。かなり頭がお悪いようですね。天皇陛下は国家の象徴でしょう。イギリス軍の兵隊さんに「貴方の忠誠の対象は誰ですか?」と質問して御覧なさい。いろんな答えは出てくると思いますが、過半数は「女王陛下」と答えると思います。そもそも、イングランドの国歌は「神よ、女王を護り給え」ですからね。
君主制のよいところは、国家という、人間の頭で考えた「概念」に対し、具体的な対象を示すことができるという点にあります。国家だと漠然としているけど、女王陛下や天皇陛下だと、具体的で分かりやすいわけです。

 昭和天皇は戦後8回靖国神社に参拝したが、75年11月を最後に参拝をやめた。戦争の指導者だったA級戦犯が78年に合祀(ごうし)された後は一度も参拝していない。
 天皇が参拝しない理由はなにか。麻生氏が「公人、私人の話」と述べたのは、75年8月に参拝した三木首相が「私的参拝」と位置づけたことを指すようだ。
 参拝支持派の一部はこのため「公的、私的の区別がない天皇は参拝できなくなった」と主張している。A級戦犯の合祀が障害なのではないと言いたいのだ。
 だが、この主張は筋が通らない。三木氏の参拝の3カ月後に天皇が最後の参拝をしたことの説明がつかないからだ。外相はどんな根拠があって天皇の真意について発言したのか、説明を求めたい。

あ〜、誰か朝日新聞に敬語の使い方を教えてやってくれ!
それはともかくとして、これ、朝日が書ける内容かと思いますね。三木首相が「私的参拝」と言いました。ですから、国家の象徴として存在される天皇陛下には、参拝できる理由がなくなったわけですね。しかし、三木首相の発言直後は、これが大きな問題になったとは言え、陛下のご参拝を制約するほどではなかったんです。
その後、朝日新聞が盛んに「公的か私的か」を盛んに言い立てるようになったんです。つまり、マスコミが大騒ぎをする。それに釣られて、シナ共産党政府が大騒ぎする。騒ぎが起きるようなら、参拝しないでおこう、というのが陛下のご真意でしょう。
A級戦犯の合祀が何ら問題でなかったことは、当時の国会でも何の議論にもなっていないことから明らかなんですね。
「ぼやきくっくり」さんのエントリから紹介しましょう。
「岡崎さんに論破された加藤・野田の親中派コンビ」
http://kukkuri.jpn.org/boyaki.html#050612

また、参拝反対派がよく言う「78年にA級戦犯を合祀してから天皇陛下が参拝していない」論について、岡崎さんが反論。
「76年に三木首相が私的参拝と言ってしまった。これが国会で問題になった。天皇陛下の参拝に私的・公的があるかと。陛下が参拝を止めたのは76年以降です。A級戦犯合祀には関係ない。国会に記録がある。記録を見ればわかる」
これに対する野田の反論。
A級戦犯については国内ですでに論議があった。昭和天皇は開戦を望んでいなかった。その意志に逆らって戦争を始めて死んだ人たち……この人たち(A級戦犯)は戦って死んだわけじゃないのに、普通の人より上のランクを与えられて祀られていいのか?と論議になった」。
はあ?何言い出すねん、この人は?!と呆れる間もなく、岡崎さんが指摘。
「そんな事実はない。中国が言ってくるまで日本でA級戦犯が問題になった記録はない。記録があるなら見せて下さい」。
すると野田はこう言ったのだ。「(記録は)あるはず」。
岡崎さん、失笑しながら「『あるはず』つってもないんです」。ウケた!(≧▽≦)

これを見れば分かるように、A級戦犯合祀が問題になったのは、朝日新聞がキャンペーンしてそれにシナ共産党政府が乗った(というか乗らざるを得なかった。後で、この件についてもくっくりさんのエントリを紹介します)。
つまり、この問題を作った張本人が朝日新聞なんですね。
そういう意味では、他紙が少なくとも本日付では、この問題を取り上げなかったのも頷ける話です。そう、こういうこと。
オレたちと朝日を一緒にするな
朝日が作った問題の尻馬に乗れるか、ということでしょう。
ちなみに、8.15になるとマスコミの記者が「公的ですか、私的ですか」と聞くこの問題。石原都知事閣下は、常に「バカなことを聞くな」と言っていますが、まさにバカの極み。信教の自由は、私人に認められたものなんですか? 違うでしょうが。個人に認められたでしょうが。それなら、その本人が公職にあろうが、なかろうが、個人の思想信条に従う自由が認められるべきでしょう。それを妨げないことが、政教分離の原則でしょう。公職にある間、信教の自由を停止することじゃない。そして、個人の問題とすれば、天皇陛下だって個人なのですから、陛下が靖国神社に参拝されても、何の問題もありません。現に陛下は、世界各国を歴訪されて、その国々の国立墓地を訪れておられる。そして、その国立墓地は無宗教の施設ではなく、各国の死者慰霊の形態、すなわち各国の宗教心に従った施設です。靖国はダメだが、アーリントン墓地は結構、というのは、全く理屈に合いません。
私は朝日新聞社の社員ご一同が、靖国神社に参拝しない自由は認めます。どうぞご自由に、と思います。しかし、社員以外の人に「靖国神社に参拝するな」という権利は、朝日新聞にはありません。そのことを、朝日新聞は理解するべきです。
(参考)朝日新聞マッチポンプの経緯(by 「ぼやきくっくり」さん)
「何度でも言う。靖国外交問題にしたのは朝日新聞!」
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri/index.php?eid=277
この中に産経新聞1.16付の記事が紹介されていますので、そちらを引用させて頂きます。

靖国問題をコンパクトにまとめてくれている論説を発見。

■1/16付産経朝刊掲載(ネットソースなし)
 「一筆多論」中静敬一郎『忘れ去られた民族の知恵』

 小泉純一郎首相が年頭会見で、自らの靖国神社参拝に関し、「日本人からおかしいとか、いけないとかいう批判が出るのは理解できない」と語ったことは、国論が割れていることへの危機感を示したものだろう。
 この問題をめぐる最大の対立点は、靖国神社に合祀されている、いわゆる「A級戦犯」問題だ。
 だが、指摘したいのは、A、B、C級の区別なく、「戦犯」の名誉は法的に回復され、決着済みということである。
 日本が独立(昭和二十七年四月二十八日)した直後から、極東国際軍事裁判東京裁判)などによって断罪された人たちの釈放を求める国民運動が展開された。署名は約四千万人にのぼった。
 「戦犯」の家族や遺族が貧困のどん底に喘いでいたことへの同情にとどまらず、当時の日本人は東京裁判の根拠が事後法であり、罪刑法定主義や方の不遡及性に違反する不当な裁判だったことを熟視していたからにほかならない。
 外相だったが、戦争には一切関係なかった重光葵が「A級戦犯」になったのは、ソ連が指名したからだ。理由は、駐ソ大使だったからとされている。それが受け入れられたのは、ソ連に反対されたら、裁判自体が成り立たなくなるためだった。重光は禁固七年の有罪判決を受けた。
 昭和二十八年八月八日、衆院は「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」を全会一致で裁決した。国会議員も、右も左も関係なかった。これを受け、受刑者などを対象とする遺族援護法や恩給法の改正が、社会党も含めた全員の賛成で成立した。これにより遺族年金の対象となる人たちは靖国神社の合祀対象の基本名簿に入り、「A級戦犯」合祀となった。
 日本は国際的には、サンフランシスコ講和条約十一条の「戦犯に関する規定」を受諾したものの、国内的には「戦犯」を「犯罪者」とみなさなかった。それが当時の日本人の総意だったろう。重光は釈放後、外相として国連加盟式典に参列、戦勝国から万雷の拍手を浴びた。国際社会からも受け入れられたといえなくはない。
 一方で、首相の靖国参拝も淡々と行われた。昭和二十七年十月十七日、吉田茂首相は独立後、初めて靖国神社を参拝した。翌日の朝刊は、朝日も産経も、東京版の「例大祭始まる」で首相参拝に触れた程度だった。政治ニュースとしては扱われておらず、首相参拝は、当たり前の光景だった。
 「A級戦犯」合祀が判明した直後の昭和五十四年四月、大平正芳首相は春の例大祭に参拝した。
 中国が抗議したのは、それから六年後の昭和六十年八月十五日、中曽根康弘首相の公式参拝の後だった。それまでの三十三年間の首相参拝を外国は批判したくても付け入る隙がなかったのだろう。
 だが、中曽根氏が翌年、「胡耀邦総書記を守らなければいけない」(『正論』平成十三年九月号)と、参拝を見送った以降、靖国問題が政治カードとして利用されているのはご存じの通りだ。
 最近では、先の戦争の敗北責任はあいまい、という指摘が出ている。うなずける部分はあるが、それを含めて、日本人は「戦犯」問題に決着をつけたのではなかったか。戦争が合法だった時代を今の価値観でさばくことができるのか、という先人たちの思いも込められていたように思える。
 大平首相が参拝後、「A級戦犯あるいは大東亜戦争というものに対する審判は歴史がいたすであろう」と語った通りである。外国の介入により国論が分断されるという惨状は、こうした民族の知恵が忘れ去られたためといえよう。

(太字はくっくりさんによる)
この後、くっくりさんによる朝日新聞マッチポンプの概要解説がありますので、ぜひお読み下さい。